第29話 マナーレッスン
食器類をセイラ先生が出してきて、それで授業が開始となった。
なんで店にこんなものが? 店でも従業員が食事をとるかららしい。そりゃ、締め切り前に徹夜で縫ったりすることもあるんだろうな。
元々、私はそれなりにテーブルマナーは知っていた。
もちろん、元の世界のものだけれど、普段専属メイドとしても働いているから、貴族の奥様たちの食事を見ている。見た目はそんなに変わらないと思っていた。
――……その私なのだが、その自信あったテーブルマナーを挫折というか、投げ出したくなった。
だって、あんなのあんまりだ。
「リリアンヌ。林檎などの丸い果物はこのナイフで、この二股のフォークを使うの。三本のフォークはダメよ」
「陶製の時は、スプーンを裏側にして、右端。銀色の金属の時は左側ね。赤味がかった金属の時は手前に並べて……」
とカトラリーの種類も、食器の数も膨大すぎて、しかも食器の材質によってまた、ルールが変わったり例外も出て来たり、でいちいち細かい決まり事を覚えてられるか!
どのように食べるかも、一応は知っているつもりだったけど、……あの公爵家の人達ってちゃんとできてるの?
セイラ先生が教えてくれたのが正式だとしたら、マナー身についてないんじゃない?
こんな細かくて面倒な原因は、私が知っているフランス料理のコースの時みたいに、次々と新しい皿が現れて、そして交換されるスタイルじゃないからだ。
あらかじめ全部の皿に対応する分量のカトラリーがテーブルの上に準備されて配膳されてあるから、どれがどれに組み合わせになるか、その符丁を覚えていないと、とたんに食べにくくなるのだ。
最悪の時は、食べるスプーンやフォークが最後までに使い切ってなくなる。
もちろん給仕に言えば持ってきてくれるだろうけれど、それは非常に恥ずかしい行いだそうで。
食器の材質なんか意識しながら食べたことなんてないよ。
食べる方に知識を負担にさせるくらいなら、料理を出す方をコース料理みたいにして洗練させてほしい。あれだったら外から順番に食べればいいだけだから。
「他の人のを見ながら食べるというのは、ダメなのですかね……」
あまりのしんどさに、35回目のカトラリーの選択ミスを注意された時に、思わずぼやいたら。
「それするとバレちゃって、笑いものになるわよ? やめた方が無難ね」
と、釘を刺されてしまった。さすが貴族社会は視線が厳しいな。
ううん、でも一通り見せてもらってわかった。私には覚えきれないと。
とりあえず片っ端からメモを取っておく。後で系統立ててルールを分析して覚えるようお嬢様に教えよう。
「あの図書室、マナーの本なんてあったかな……」
いつも見るようなところにはなかったような気もするが。一応、確認しなければならない。
なんとか疲れる授業を終えて、部屋からよろよろと出てきた私に、明るく声をかけてくれた人がいた。
「リリアンヌさん、お帰りですか?」
私が授業を受けていた奥の部屋からすぐそこの、中の部屋で帳簿をつけていたリベラルタスが顔をあげてほほ笑んだ。
「へー、リベラルタスは計算早いのね」
何をどうやっているのかと思って、彼の手元を覗くが、はっきりいってさっぱりわからない。
帳簿ってお小遣い帳みたいなものかな、と思ったけれど、全然仕組みが違うようだ。やはりそうだろう。
「そこまで出かける用事がありますから、街の入り口まで送りますよ」
「え? 別にいいわよ」
「でもなんか……ほっとくとけつまずきそうで、危なそうなんですけど」
「平気平気……きゃあああ!!」
この店は、入り口の段差がやや高い。後ろを向いて話していて、思い切り足が空を踏んだ。
とっさに私の腕を掴んでくれたリベラルタスがいなかったら、転んでいただろう。
なんだこの漫画みたいなやり取りは。さすがに恥ずかしくて真っ赤になってしまった。
「やっぱり。店長、すみません。後で帳簿はやりますので、先に配達行ってきます」
「はーい」
私のドジっぷりは店で作業をしていた人に余すところなく見られたようで、不安に思われたのか、誰もそれを引き留める人がいなかった。
「あー、脳みそが疲れたわ……」
「お疲れ様です」
私というよりリリアンヌの躰が学ぶことに慣れていなさそうだ。
そんなに長い間教えてもらったわけでないのに疲労度が半端ない。
本を読み慣れていない体だったから覚悟はしていたが、集中力を保つ作業に慣れていないようだ。
小学生だって毎日六時間授業受けるのに。1コマ45分くらいだけど。
これを訓練次第でなんとかこなして、お嬢様に知識を与えていかないと、とうんざりしてきた。
「リリアンヌさんは貴族のマナーを学んでいるんですか? それまたどうして」
メイドにしたら不要な知識だろうから、彼が不思議に思うのは自然だろう。しかしここでメリュジーヌお嬢様のことを話すのはまだ時期が早い。
「必要なことだからね」
そう言って誤魔化そうとしたら、もしかして、と彼が言った。
「貴族の家にお嫁いりされるんですか?」
そして人なつっこい笑顔を浮かべると彼はおめでとございます、と祝ってくれたのだが。
「そんな予定はないわよ。まぁ、いつかは貴族になりたいけど」
「え?」
「私ね、元々貴族なのよ。といっても男爵家だけど」
お嬢様のことではなく、自分のことを話すならいいか、と私はつらつらと話し始めた。
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