第28話 帝国最高試験
「それでは少し授業をしましょうか。どんな内容をリリアンヌは知りたいの?」
「そうですね……個人的には帝国内の詳しい地理や政治、法律や文化も知りたいですけど、ぶっちゃけていうと、公爵令嬢が必要な教養というものを一通り教えてほしいですね」
本当はこんなもの全部勉強したくないけれど、自分を守るために知っておかないといけないと思うから、頑張るしかない。
私がメリュジーヌお嬢様のことを頭に浮かべて言うと、セイラ先生が困ったように首を傾げている。
「教養って……知識だけでいいのかしら?」
「え?」
「貴族は確かに相手の情報も覚えておく必要があるけれど、気品のある振舞いやマナーができていることも大事なのよ。そういうのって一朝一夕で覚えきれない量もさることながら、普段から体に身に着けておくものでもあるわけだし」
要するにそういうものこそ見られているということなのだろう。そして、付け焼刃では無理だということ。
セイラ先生はメリュジーヌお嬢様に対して私が教えるということに気づいて、そう伝えようとしているのだとわかる。
「それならせめて、最低限で恥をかかない教養だけでもお願いします。これを知らなかったら、他人に迷惑をかけるかもしれないような大事なものから」
情報がなくて喋れないなら最悪黙り込めばいい。付け焼刃だということがばれるとしても、その場の雰囲気を壊すほどの悪いふるまいじゃなければそれでいいと思う。
私はいつも生徒に言っていた。満点なんか狙わなくていい。合格点だけクリアすれば入試には受かる! と。
マナー完璧な令嬢じゃなくても、行儀が悪くない人、と思われるだけでいいのですよ。
その優先順位が、貴族ではない人間にはまるっきりわからないからこそ、貴族であるセイラ先生に頼って教えてもらわざるを得ないけれどね。
「そうね。目立った功績をあげて叙勲されたり、帝国最高試験に合格して特士になった平民もいるけれど、そういう人達も貴族と付き合って、一番最初の覚えるというのは食事や挨拶のマナーだというわね。それなら【一人でも】練習できるでしょう?」
ああ、やっぱりメリュジーヌお嬢様に教えやすいものから教える、と言われている。
なんて気が利く人なんだ。ありがたい。
しかし、彼女の言葉の中で、聞きなれない言葉が出てきて首を傾げた。
「特士? それってなんですか?」
「ああ、あまり知られてないかもしれないわね。この帝国の中に9つの王国、1つの共和国があるのだけれど、その中に存在するありとあらゆる試験の中で一番難しいと言われている共通試験なの。出題分野もとても広いし、専門知識も深いし。何より帝国共通語での受験だし。それに合格した人間は、特士と言われて、様々な恩恵を受けることができるわ。特士になった時点で平民でも貴族になれるくらいすごい難しい試験よ」
10個の国でみんなが一斉に受ける試験という感じだろうか。
感覚的には現代日本でいう司法試験と医師国家試験を合わせたようなものかな。
中国でいう科挙とかいうのよりすごそうな感じがするんだけれどね。
身分差が激しいこの国で、それに合格しただけで平民が貴族になれるのは、相当すごい恩恵だ。
「それってどれくらい専門性が高いんですか? セイラ先生も受験なさったりしたんですか?」
そういう事をきいてしまったのは、やはり元の仕事柄だろう。
受けるつもりはないが、記念受験とかもあるのかなぁ、という軽い気持ちで聞いたけれど、とんでもない! と思った以上に強烈な否定が帰って来た。
「リリアンヌ、受けるつもりなの? 本当に、本当にやめた方がいいわよ。時間と金を無駄にするだけだから」
いや、受けるつもりはないけど。
しかし、受けてみないとわからないだろうに、なんでこんなに受からないのを前提にするんだろう。
それだけで、相当難しいらしいということが分かってしまったのだけれど。
科挙だって、一生受験勉強してたのに受からなかった人だっているのだから、この試験もそういう人も多いのだろう。
「平民が受けるにはまず、受験するのに貴族の紹介状が必要ね。字を知っている平民は仕事が有利になるから事業を自ら起こしたり、貴族に仕えることが多いの。そういう伝手を使って後見人になってもらうことが多いわね。でも受験するのは貴族の嫡男以外の子弟が多いわ」
なんだって!?
となると、平民の受験生はそういうコネを得るためにも時間もかかるということじゃないか。
スタートダッシュからして、平民は不利になるし。
「長期間勉強しなくてはいけないから、経済的なものもあるし。裕福な貴族がスポンサーになってくれることもあるけれど、そういう貴族も支援するのは経済的に豊かではない貴族の子供の方をするわね」
うわぁ、徹底した平民排斥な世界だな。
せっかくのサクセスストーリーなものが転がっていても、その恩恵に預かるにしても、相当大変な条件が待っているのか。
もったいないなぁ。
「平民でもその環境を整えて、勉強させれば受かると思うのになぁ」
頭の良し悪しは貴族と平民もそれほど差がないだろう。
頭が悪そうな貴族を周囲にちらほら見ているせいでそう思ってしまう。
貴族と平民の人数差を考えたら、圧倒的に多い平民の頭の良さそうな人をピックアップして、それに全力投資して特士になる数を増やせば、他の国に対する威圧にもなりそうなのだけれど。
この国の王はそういうことを考えないのだろうか。
いわば進学校の、T大の合格数がその学校の知名度を上げていくようなもの。
塾だって、有名中学に入ってくれそうな優秀な子を特待生制度で勧誘して合格者数の底上げを図るのだから、国同士もそういうことをやっていけば、武力など必要なく国の威信が上がっていくだろうに。
この国の教育水準自体がまだまだ低いのだから、それどころではないのだろうか。
「受けてみたいと思う平民がいても、後押しをするようなサポートの仕組みが整っていないのか」
義務教育というシステムがないから、学ぶ環境が整っていない。そして塾というシステムも当然ない。
男子向けには寄宿舎制のアカデミーはあっても、女子は家庭教師だけだし。
「俺が養ってあげるから、君は気兼ねなく特士になるための試験勉強をしていいよ……みたいなプロポーズとかもありえそうですね」
「それは男のセリフ? 特士の受験生で女子はほとんどいないのよねえ。女性からそう言うならまだイけそうだけど」
「よし、じゃあ、私はそういうことを言えるような脛の太い女性になりますよ」
「頑張ってね。じゃあ、さっそくテーブルマナーの練習をしましょうか。この国では稼ぐ女より、優美な人間の方がモテるからその方が早く結婚できそうよ?」
そう、夢見る私に、あっさりとセイラ先生が現実を教えてくれた。
どこの国でも男って生き物はぁ……いや、どこの世界も、だなぁ。
でもいいんだ。
今に見てろ。金持ちになって金がなくて受験ができない人のスポンサーになってみせるから。
そう、私は心に誓った。
私、いい人?
いいや、もちろん違う。下心しかないよ。
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