第27話 契約
「じゃあ、ここにサインをしてちょうだいね」
セイラ先生に発明者として使用料がもらえる旨が書かれた契約書の内容を説明してもらい、そして最後に署名をする。
ペンは借りたものだが、インクはあえて先ほどいただいたものを使わせてもらう。うん、イイ感じで気持ちがいい。
「既にいくつかの実業家から、新製品の開発の打診が来ているのよね。今後、貴方の発見がこの国の、そして帝国中の世界を変えるわよ。これは希望論ではなく確信よ」
セイラ先生は燃えている。そりゃそうだろうなぁ。大きなビジネスチャンスだもの。
アドバルーンに目を付けた人達が、次はどうするかなんて簡単に予想がつく。
「大方、空輸に向けての事業展開ってところですかね」
この地で余るように取れる天然ガスは、空にもっとたくさんの重量を浮かせられるようになる可能性を秘めている。思いのままに移動ができれば、今までは陸路で何日というものが、もっと早く、もっと大量に移動できるようになるかもしれない……そう思う人が出ない方がおかしい。
それに空を使えば、それまでは潮の流れや海の荒れに左右されていた海路での輸送や移動も、問題がなくなるだろう。今までは帝国内でのやりとりがメインだった貿易の幅が、もっと広がるかもしれない。
物が浮いたら次は人。
人が空を飛んでから、どういうことが起きたかなんて、歴史をあまり真面目に学んだことのない自分でも知っている。
最後には軍事転用されてしまうのだ。
しかし、例えそうなったとしても、もう私にはどうしようもないし、いつかはこうなっただろうことが、少し前倒しになっただけだと割り切るしかなかった。
「この辺りって、風はどっちから吹いてます?」
「ええ? そんなこと考えたことないわね」
もしうまいところ風が利用できるような吹き方をしていたら、アドバルーンを改良した気球か、熱気球を作って運送業でもしようかなと思ったのだが、この辺りは季節により風の吹き方がコロコロ変わるらしい。それでは無理だろう。
「王都の方からなら、隣国に向かって常に風が吹いているときいたことあるけれど、それ以外は知らないわね」
ううむ、ここでできないなら意味がないから、諦めるしかないか。
プロペラとエンジンを使った飛行船を作るような根性も知識もないから、このアイディアは形になりえない。
大体、既にこの世界にエンジンがあったら、車だって既にあるだろうに。見かけないということは、ないのだろう。
そう思ってから、アドバルーンのチラシ撒きを思い出す。
しかし、ただ浮いてるだけのアドバルーンでも、ここでは物珍しくて目立って、それだけで人を寄せることができるのだ。
「……ものを運ぶ必要はないか」
アドバルーンだけでも、これだけ話題になったのだ。浮かせるだけでも相当に楽しめる娯楽になるのではないか。
「高いところから下を見ることができたら楽しいですよね」
私が唐突に切り出したら、話が繋がっていないのでセイラ先生がきょとんとしている。
「え? でもそんなの登るの大変よね?」
高いところといったら、確かに建物や山を連想するだろう。
「そうじゃないです。アドバルーンのような仕組みを応用して人間を空に浮かせて、空から下を眺められたら楽しいだろうなって。そういう娯楽施設みたいなのがあったら、楽しそうじゃないですか」
単に気球を作って浮かせるだけだから、大がかりで複雑な装置などは必要がない。
そして、熱気球だったら広い場所さえあれば、地域などを選ばないでできる。
アドバルーンは天然ガスが安定して運ぶ方法がないこの世界では、天然ガスが豊かなこの公爵領でしか使えないが、熱気球ならどこでも使えるだろうからね。
「なにかまた、アイディアがあるのね?」
セイラ先生が何かを嗅ぎつけたのか目をキラキラさせている。
最近わかってきたけれど、セイラ先生は新しいものが大好きなタイプな気がする。
「そうですね。これは私の方で事業化をして複製権を申請してみたいですね。セイラ先生、次の授業はその申請の仕方を私に教えてくださいませんか?」
「もう、貴方ってばしっかりしているわね」
私の提案にセイラ先生は大笑いをする。
その笑い声を聞きながら、自分もこの世界にきて、逞しくなったものだなぁとちょっとばかり誇らしくなった。
羊皮紙に書かれた契約書の一枚を大事に受け取りながら、いつものメリュジーヌお嬢様のカード販売スペースに無意識に目を向けた。
その端にはインテリアのように、お嬢様の作品のうさぎのぬいぐるみがあった。
「あれ、これ、販売物じゃないですよね?」
それは確かに見覚えがあるのだけれど、私がこのお店に持ち運んだ記憶はない。
「ええ、そうよ。それ、メリュジーヌ公爵令嬢の作品でしょう?」
「はい、そうですけど……あれ?」
これはどこから来たのだろう。そして、どこで私はそれを以前に見たんだっけ。
思い出せそうで思い出せない。
「やっぱりそうだったのね。それ、バザーで買ったものよ。エルヴィラお嬢様のものだと言われて売ってたけれど、どうにも作りの緻密さやセンス、好みがメリュジーヌ公爵令嬢の手のものだと思ったから、貴方に見せようと思ったの」
あー、そうだ。
これは奥様がエルヴィラやシシリーの代わりにお嬢様に作らせたバザーの品物の中に入っていたものだ。
「それなら私、余計なことを言ってしまいましたかね」
「私が本当のことを知りたかっただけだから、他の人に吹聴したりしないわ」
功績は全部奪われてしまって、メリュジーヌお嬢様の腕前は表だって褒められない毎日だけれど、このように彼女の存在を知って、分かってくれてる存在も外に増えている。
それが今の私とお嬢様の心の支えだった。
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