第10話 デバガメ
屋敷の構造がリリアンヌの記憶だけではいささか不案内だ。
例えばメリュジーヌお嬢様が暮らす屋根裏部屋や、私が与えられている地下の侍女居住地域などは行かなくてもわかっている。
しかし、厩舎や庭師の小屋など、リリアンヌから縁が遠いものは知識としては知っていても、足を踏み入れたことのない場所はとっさにわからない。
どこになにがあるのかを調べるためにも、一度、邸内探索する必要あるなぁ、と、休憩時間を利用して屋敷内を歩き回っていた。
公爵家の屋敷だけあって、この家は広い。100坪のおばあちゃんちでも子供の時に迷子になったことがある私は、下手に動けば大人になった今でもこの邸宅では迷子になりそうだ。
ここは空港か?と思うレベルで広い。幸い普段必要なのはせいぜいその辺の学校の広さ程度だが。
今日の探検は屋敷の自慢の花園内だ。
花園と言っても、道になったりして入り組んだ場所だとほぼ迷路状態で。
奥側のあずまやまでお客様をご案内したりすることもあるし、ちゃんと覚えておかないといけないだろう。
ちょうど薔薇のシーズンだったらしく、周囲の香りがとてもよくて歩いているだけで気分がいい。
この世界でも食事の内容があまり変わらなかったところを見ると、植物の構造も変わらないなぁ、と見事に品種改良されている薔薇を眺めていると、薔薇の生垣の向こう側に人影が見えた。
珍しいな、園丁だろうか。
そう思いながら顔を上げたら、キスしている二人が見えた。
ぎょっとして背筋が思わず跳ねる。
人間、本当に驚くと、漫画でよく「ぎょっ」というシーンで見るあのポーズをとるのだな、と思ったりして。
人の気配に気づいたのか、女の方が目を開けて、ばっちり目が合ってしまった。
その顔は見覚えがある。確か彼女の名前はミレディ。
奥様の専属侍女であり、侍女頭ミリィ夫人の娘でもある。メリュジーヌお嬢様をいじめるメイドの一人でもあった。
ミリィ夫人は結構公正な人なのに、なんで娘はこーなんだろうねと思うくらい、性格が悪いというかきつい。
自分を見た瞬間に、青ざめる彼女にとっさに手を振って「大丈夫」といわんばかりにコクコクとうなずいて見せて慌てて背中を向ける。
男の姿は後ろ姿しか見えなかったが、服装から執事の一人。そして背の高さで誰かわかった。元々執事は三人しかいないからね。第二執事のジェームズだ。
しかし、私の予想が正しかったら、あれはいわゆる……不倫? なんだけれど。
ジェームズは確か、お針子として働いている娘さんと結婚していたはずなんだが。
この国の法律でも一夫一妻が原則で、王族だけが側妃を持つことを公的に許される。
それは王族がこの帝国で唯一の支配階級ということを表しているから、らしい。
貴族はあくまでも王族のサポートでしかない。
貴族も土地や財産や爵位のために離婚したり結婚したりすることはできるけれど、でも一応ルールがある。もちろん旦那様のように結婚前から続いていて子供までこさえている愛人というのは例外というかほとんどタブーだから、みんなお利巧にも口を閉ざしているようだけれどね。公然の秘密だけれど。
その点しがらみがなく一番自由なのは平民ではあるけれど、神の前で誓った相手がもちろん優先権あるわけだし、修羅場度は現代日本と同じかもしれない。
慌てて屋敷の方に戻りながら、とんでもないものを見てしまったなぁ、と思った。
私自身、昼メロみたいなのはあまり得意ではないから、見なかったことにしたかったのだけど、遠目でも私の赤毛は結構目立つから無理だろうなと思ったら案の定だった。
「リリアンヌ……あの、お話が……」
「ミレディ?」
シシリーのためにお茶の準備をするために厨房に顔を出した時だった。
あの後、ずっと自分を張っていたのだろうか。ミレディに声をかけられた。仕事はどうしたのだろうか。それどころではないから、とサボっていたんだろうか。
ミレディは随分と思いつめたような表情をしている。
奥様の派閥でメリュジーヌお嬢様を嫌っているミレディは、今まで私に近づいてこようともしなかった。それほど先ほどのシーンを見られたのは衝撃だったのだろう。
私のお茶の支度を無理やり中断させ、厨房の外に連れ出すと、小声で詰め寄った。
「お願い、誰にも言わないで!」
それ、人に物を頼む態度じゃないのだけれど。
それと、誰にも言われたくないなら、あんなところでキスなんかするなっての。
しかし、自分と相手の今までの関係が悪すぎて、二つ返事でOKしてもきっと彼女は信じないだろうと思う。こういう時は、相手が負担に思わないように、代償となるものをふっかけてあげた方がいいかもしれない。
私はなるべく邪悪な顔をして、にやっと笑った。こっちが貴方の生殺与奪の権を持っているのよ、とでもいうかのように。
「じゃあ、条件を飲んでくれれば、誰にも言わないでおいてあげる」
私がそういうと、緊張したのかミレディの喉がこくん、と動いた。
「書庫を開けられる鍵を渡してちょうだい。必要なことがある時には返すから言ってね」
屋敷の管理は基本的に執事や侍従など男性使用人が管理をしている。
しかし、奥様付の侍女は宝石の管理をしている貴重品室や図書室の鍵を掃除のために持たされている。それだけ信頼されているのだ。
「何をするの?」
「本を読むに決まっているでしょ」
そう言ったら、ああ、と気が抜けたような顔をされた。それを見て、本は貴重なものだから、盗難を警戒していたという、当たり前のことを彼女の反応を見てから思い至った。
彼女は腰から鍵束を外し、その中から1つの鍵を取り外すと私に手渡した。
「絶対に無くさないでね」
「これで秘密の共有しているのだから、それはしないわ」
その代わり、できる限り貴方の味方になってあげる、と囁いたら、驚いたような顔をしていた。
「それより、貴方はそれでいいの? 彼が妻帯者なのわかってて好きなんでしょ?」
「……彼を愛してるの」
うつむいて表情が暗いミレディに、私は小さくため息をついてみせる。
「そう。それが貴方の選択なのね。辛い恋だと思うけれど、私は貴方を否定しないわ」
肯定もしないけれどね。
あえて自分でいばらの道を選ぶなら、それで困るのは当人たちの問題だ。
何を言っても不倫は不倫だし、状況からしてミレディがジェームズに遊ばれているんだろうなとも思うけれど、それは私の知ったことではない。
この国の法律が一夫一婦制だというのなら、正式に結婚している奥さんの方が優先されるのが当然なので、二人の恋愛がばれたら、まず追い出されるのはミレディだとわかっているんだろうか。
そしてミリィ夫人の立場も悪くなるのに。
そういう障害があるからこそ、悪いことをしているという蜜の味がなおさら美味しく感じるのかもしれないのだけれど。
とりあえず私は、自分の目的のためにこの女を利用しよう。
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