第9話 約束
セイラ先生はそうですね、と唇に手を当てるようにして考えていたが。
「お値段の方は、貴方がどの程度の知識を持っていて、どれくらいの知識を求めてらっしゃるかにもよります。教えるためにはあらかじめ、こちらも下準備が必要ですしね」
「それなら私のテストから始まるということでしょうか」
「ええ」
うん、私、この人、好きだわ。
この人ってば、ちゃんと授業前準備してるんだ。
そして立場的にそれほど高度な知識がないはずのメイドにも敬意を持ってくれている。だって雑に教える程度なら、あらかじめ下調べなんかしなくてもいいのだから。相手が自分に匹敵する知識を持っている可能性をちゃんと考えて、自分の知識の新しさ、確実さを確認する必要があると言ってくれてるのは、私、舐められてないんだ、とわかった。
それに、相手が平民のメイドだとしても、学ぼうという意欲のある人間には教える気があると言ってくれてる。それがなによりありがたい。
その対価がいかほどのものかはわからないけれどね……リリアンヌのお給料、それほどいいとは言えないんだよなぁ……。
「テストとか、勉強とか難しいことは考えずに一度、私と色んなお話をしましょう、リリアンヌ嬢」
「私の名前を憶えてらっしゃったんですか?」
「はい、シシリー様がお呼びになっているのを何度か聞いてますから」
「あ、でも私は平民ですので、リリアンヌとお呼び捨てください」
「わかりました」
よそんちのメイドの名前なんて、呼ぶ機会もないのに正しく覚えているなんて……すごいな。
それでも私に家名があるかどうかはわからなかったようだけど、万が一を考えて礼儀正しく接していたのはさすがな大人の対応力だと思う。公爵家の侍女に貴族令嬢がいたりするのは珍しくないからね。
私がこの人の記憶力や卒のなさに感心していたら、顔がすっと近づいてきて、ぎゅっと手を握られた。
「それに私は貴方に興味があります」
……無駄に格好いいんですけれど、この人!
思わず顔が赤くなってしまった。この人は、女性だから!! ちゃんとわかってるから!
この人が王都の社交界に出ていた頃って、さぞかし周囲のお嬢さんたちをきゃーきゃー言わせていたのだろうな……。その周りを男性が苦虫を噛み潰したような顔で見ている様子とかが、容易に想像できる。
「えっと、先生のご期待に添えるかわかりませんが、この家の中で先生とお話するのは問題がありますので、屋敷外でお会いできる時間を作ってはいただけないでしょうか」
「そうですね……私の方が貴方より自由に時間が作れるような気がします。貴方のお休みに会うか、もしくはお屋敷のお使いでラルセー街の方に出られることがある折に休憩がてら、私と落ち合うようにすればよいかと思います」
さすが貴族令嬢だけあって、屋敷に仕える使用人の行動パターンは把握されているご様子。でも生憎お嬢様付のメイドだから、お使いで外に出る機会はあまりないんだよね。
リリアンヌが仕事で外出するとしたら、シシリーの個人的な用事で外に出されるくらいしか思いつかない。
しかし、なぜラルセー街なのだろうあそこは商店街だ。あそこはもちろん商人が住む街だから、貴族である先生が住んでるわけはないのだが。
「先生はラルセー街の方によくいらっしゃるのですか?」
「ええ、仕事の関係で」
先生は当たり前のように頷くが。
仕事? 貴族令嬢でもあるセイラ先生の仕事とはなんだろう。貴族の女性が外で仕事をすることは卑しいこととして嫌がられることが多いので、仕事をしていると明言されて少し驚いた。あまり深く追求しない方がいいだろうかね。
「わかりました。もし、外に出られそうな時には、先に子爵家の方に連絡を差し上げます」
「いえ、それでしたらラルセー街の『銀の鹿と小さじ』という店に連絡をください。そちらの方が確実ですので」
「あ、はい」
銀の鹿と小さじってなんの店だっけ?
基本的に屋敷に引きこもっていたリリアンヌはあまり外には詳しくないようで、記憶の中にはないようだ。お店の名前を言われてもピンとこないが、誰かに聞けばわかるだろうか。
「それではまた」
「ありがとうございました」
玄関に出て、先生を馬車まで見送ってから踵を返す。
話し込んでしまったので、遅いとお小言を貰うかもしれないが、心が浮き立っていた。
セイラ先生の本を見つけた時に中を開いて読んだが、さっぱり意味が分からなかった。
専門用語すぎてわからないものも多かった。
かろうじて経済用語? と推測はついたが、それはみずほとして得ていた知識があったからこそ推理できたようなもので。
この体の持ち主が、字を読む習慣をもっていなかったらしく、読めはするけれど頭に入ってくる速度が遅い。
例えるとしたら英語を習っているから英語の読み方はわかるし、簡単な英単語は拾えたとしても、母国語の日本語ほど見た瞬間に意味が取れたり簡単に読めたりしない、という感じだろうか。
リリアンヌは読み書きを習ってはいても、それを習熟させるような機会を持たされてないし、作ってもいなかったのだろう。
人間というものは使っていない知識はそれほど使えなくなって衰えるものなのか、と思わされる。
それでも字を読めて書けるだけの教育は受けているようでよかったのだが。
周囲のメイドでも、字が書ける人はどれだけいるのだろうか、と思う。
これはどうにかしないとな、と思っているところに、意外なところでチャンスがやってきた。
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