~文化祭~

一番の大舞台であるインターハイも終わり、その後はびっくりするくらいあっという間に過ぎていき、夏休みは終わった。






「全国高等学校総合体育大会、バスケ部優勝」

「はい!」






二学期に入って最初の表彰式。私たちバスケ部が呼ばれ、代表で漣先輩が伸びやかな大声で返事をした。

漣先輩とは、合宿中ちょっとあったけど、変わらず普通に接してくれた。

インターハイ優勝。あの日、私はおかしいほどに酷く興奮した。興奮して胸がぞくぞくと躍るようで、泣きながらいろんな人と抱き合った。抱き合ったことは私自身は覚えていない。でも、千翔が言っていたから本当なんだろう。私はそれほど嬉しくて、三日間ぐらい眠れなかった。

そして三年生は引退し、部活は二年生が引っ張っていくようになった。

壇上の上では、漣先輩が賞状を受け取っている。その姿は、今までの軌跡を表しているようで、堂々としていた。







「夏休みが終わってもうじき、大きな行事があります。入学説明会でも言ったと思うけど、この学校では体育祭と文化祭が交互に行われています。で、今年は文化祭です。開催日は九月の十九と二十日。もう時間はあまりないです。ということで、今日はクラスの催し物を決めてもらおうと思います」






始業式、表彰式が終わって教室に戻ると、担任がそう言った。






「それと、その前に。文化祭の中に合唱コンクールというものもあるので、ソプラノ・アルト・テノール・バスに分かれてもらって、その中でパートリーダーを決めてください。それと、これは立候補とかになると思うんだけど、指揮者と伴奏者をやってくれる人も・・・」






決めなければならないことがたくさんあって、大変だ。






「先生。私と白崎君で仕切ります。ほら、千翔」






千翔も連れて、クラスの前に立つ。

千翔には書記を頼む。






「じゃあ、まず順番的に合唱コンクールの方を決めた方が良いよね。まず、ソプラノパートに行きたい人」






そう言うと、ちらほらと女子の手が上がる。クラスのみんなは意外と協力的で、全部のパートが同じくらいの人数で割り当てられることが出来た。ちなみに私はソプラノで、パートリーダーも任された。そして千翔はテノールになった。






「えっと、次に指揮者と伴奏者を決めます。立候補したい人、いる?」






私が言うと、今まで積極的に動いてくれていたみんながぴたりと止まった。

まあ、こうなるよね。指揮者と伴奏者は一番目立つし。

すると、一人の男子が口に出した。






「指揮者は別に誰でも良いけどさ、伴奏者はピアノ弾ける奴しか無理だろ。出来る奴いねえの?」






男子のその言葉にみんなの意見が一致する。私はその様子を少し見ていたが、ピアノを弾ける人は出てこない。次第にがやがや騒がしくなる。

仕方ない・・・。






「私がやるよ」






そう言うと、どよめきが生まれた。

代表して、千翔が聞いてきた。






「え、良いんですか?鈴音さん、パートリーダーも引き受けたんでしょう?大丈夫なんですか?」

「うん」

「鈴音さんは弾けるんですか?」

「うん。だから、大丈夫だよ」






私の一言で場の空気が収まるなら、それで良い。






「それに、弾ける人がいないんだから仕方ないでしょう?」

「まあ・・・そうですけど。じゃあ、指揮者は僕がやりますよ」

「え、いいの?」

「はい」

「ありがとう!じゃあ、合唱コンクールの事は全部決まったから、次にクラスの催し物だね。何か、やりたい人いる?」






すると、次々に意見が出てきた。それを、千翔が黒板に書いていく。今のところ、喫茶店に屋台、クレープ屋さんなどたくさんの文字が躍っている。






「うーん。もう充分かな」






そして多数決を取り、喫茶店に決まった。しかも女子はメイド、男子は執事。この設定はクラスの女子の意見で、絶対にやるんだって。

普通で良いと思うんだけど。そう言ったら怒られた。まあ、もう決まったことだから断りはしないけどさ。







「はーあ・・・。喫茶店かあ。嫌だー」

「何でですか?」

「決まってるでしょう。メイドよ、メイド!あんなひらひらしたやつ着なきゃいけないのよ!?」

「でも、鈴音さんのメイド姿、楽しみにしてる男子はいくらでもいますよ。だから、クラスの女子も怒ってたんですよ。鈴音さんは、看板娘になりますからね」






帰り道、いつものように千翔と帰る。話題はやはり文化祭の事。

そういえば、男子からの告白はあれから全然なくなったんだよね。その代わり、私のファンクラブなんてものがこっそり作られてるそうだけど・・・。






「そんなの知らないよー。あ、でもよく考えてみれば、千翔も執事になるんだよね!楽しみだなあ!」

「えっ。そ、そんな・・・あの」






千翔は、私の言葉にどぎまぎした。






「あははっ!千翔、動揺しすぎ!」

「わ、笑い過ぎです!」

「あははっ・・・ははっ、もー・・・面白いなあ」

「それより、本当に大丈夫なんですか?鈴音さん、いろいろ引き受けてしまって・・・」

「あー、大丈夫だよ!」

「何か出来ることがあれば言ってくださいね。鈴音さんは、誰にも相談せずに溜め込んじゃうので、心配ですよ・・・」

「うん、ありがとう。今度はちゃんと言うよ。あ、じゃあね、千翔」

「はい、さようなら」






明日から、本格的に合唱の練習と催し物の準備が始まる。合唱は、今日の様子だと音楽の事に関してそれなりに知ってるのは私だけみたいだし、しっかりしなきゃな。







次の日の学校。

私は電子ピアノで伴奏の練習をしようと思ったんだけど、意外にみんな楽譜の記号の意味を聞きに来て、なかなか自分の練習が出来なかった。なので、今日の部活は休んで、特別に音楽室のグランドピアノを使わせてもらうことになった。

課題曲と自由曲の両方を練習していると、音楽室の扉ががらっと開いた。誰かと思いその方向を見ると、






「鈴音さんだったんですね。ピアノの音が聞こえたので、誰が弾いているのかと思いました」






それは千翔だった。






「千翔!そっちこそどうしたの?部活は?」

「途中で抜けてきました」

「何で?」

「僕も、指揮の練習をと思いまして」

「そっか」

「あの・・・」

「何?」

「ピアノ、もう一度弾いてくれませんか?」






急に千翔からお願いされた。そんなに改まってお願いされると、恥ずかしくなる。






「どうして?」

「聴きたいんです」






その迷いのない目でじっと見つめられ、私は射すくめられる。

何なの?この気持ちは・・・。






「良いけど、まだ完璧じゃないよ?」

「それでも、聴きたいです」






芯の通ったはっきりとした声に、気づくと私の手は鍵盤の上に置かれていた。まるで、千翔に操られているようで、変な感じがする。

そして、演奏した。

千翔に聴かれている、見られている。それだけで普通は緊張するはず。だけど、不思議だ。

全然緊張しなかった。それどころか、手が勝手に動いてるみたいで、いつもよりも表現力に長けていた気がする。






「はあっ・・・はあ・・・」






終わると、私は息が上がっていた。

初めてだ。こんな感覚。






「どこが完璧じゃないんですか。普通に全力だったじゃないですか」

「あ、ああ・・・私にも、よく分かんなくて・・・」






いつもと違うのは、千翔がいること。

もしかして、千翔が見てたから・・・?






「どうだった?」

「とても、良かったですよ。綺麗でした」






千翔に褒められ、頬が緩む。音が綺麗だと言われただけなのに、なぜか恥ずかしくなって照れ笑いをする。






「びっくりしました。そんなに弾けるなんて」

「えへへ・・・。私、絶対音感も持ってるんだよ」

「絶対音感・・・ですか?」






千翔は首を傾げた。それを見て、私はグランドピアノの傍にあったホワイトボードを叩く。コンッと心地よい音が、音楽室に響く。






「今の、何の音か分かる?」

「ホワイトボードを叩いた___」

「違う!そうじゃなくて、音階!」






よくある間違いをされ、少し大きめの声で指摘する。






「え・・・?分かりません」

「叩く場所によって音は変わるけど、今の音はミだよ」

「分かるんですか!?」

「まあね。私、昔から人よりも耳が良いの。超人的に。だから、このせいで良いこともあれば悪いこともあってさー、大変だったよ。でも、最近は落ち着いてる」

「そうですか・・・」

「うん。ねえ、千翔の指揮も付け足して、一緒に練習しよう?」

「分かりました」






そう言うと、千翔は指揮棒を持って構えた。私は千翔を見て、指揮棒が振り下ろされるのを待つ。私と千翔の視線が絡む。お互い、何も言わない。張られた弦のような緊迫感の中、胸がどきどき張り詰めてくるのを感じる。でも、決して居心地が悪いものではなかった。






そして、指揮棒が振り下ろされた。千翔の指揮はぎこちないものだったけど、まるでその時間だけ、その空間だけが私と千翔のコンサートのように思えた。









文化祭本番まで四週間。その中で、合唱とクラスの催し物の二つを進めていかなければならない。

でも、合唱の方はなんとかなりそう。問題なのは喫茶店。教室の飾り付けだけでなく、衣装やメニューだって用意しなくてはならない。






「今日は、喫茶店で出すメニューを考えてもらいます。たぶん、時間的に作ることは難しいから、お店と相談して、注文という形になると思うので、出来るだけ“あのお店の何て言うメニューが良い”というので案を出して頂けたら嬉しいです」






五、六時間目のホームルームの時間、先生がそう言った。後は私たちで決めろということか。

私と千翔は、教卓の前に出て仕切る。






「じゃあ、何か案を出してください。ていうか、喫茶店って何を出すの?」






私が指示を出すと同時に質問をすると、クラスの女子が答えてくれた。






「一般的には、飲み物とかケーキじゃないかな?」

「そうなんだ。そういう所に行くのは、大体女子だよね。何か出したいものとかない?」

「ブランシェのブルーベリーチーズケーキは?すっごく美味しいよ」

「あー、分かる。そこ行った時、いつもそれ頼む。でも、ラ・ポルト・ルージュって所のチョコレートケーキもいけると思うんだけど」

「アンジェリックのショートケーキもいいんじゃない?」






さすが女子。いろんな店知ってるな。

私は、出てきたお店とケーキの名前をメモしながら聞く。千翔はチョーク持って立ってるけど、全然ついてこれてないし。

何はともあれ、これだけ出れば種類は足りる。あとは、直接お店に交渉しに行かなくては。






「よし、メニューはもういいかな。次は、教室内の飾り付けをどうするかというのと、メイドと執事の衣装だね」

「あ、私、装飾関係は得意だよ」

「え、本当に?やってくれる?」

「うん!」

「ありがとう!じゃあ、どうしようか・・・」






私が迷っていると、千翔が声を掛けてきた。






「鈴音さん、装飾と衣装に別れた方が良いんじゃないですか?」

「ああー、そうだね!衣装は、確か家庭科部の子、結構いたよね?出来るかな・・・」

「たぶん、出来ると思うけど・・・」

「お、やってくれない?」

「うん、分かった」

「ありがとう!じゃあ、装飾と衣装のどっちでもいいから分かれて、作業してください!」






その声掛けで、みんなが各自に移動する。私は、人数が少ない衣装の方に向かう。






「ねえ、衣装って、最初から全部作るの?」

「いや、さすがにそんな!実は友達が趣味でそういうのを作ってる人がいてさ。その人に貸してもらうことも出来るから」

「へー、そうなんだ。じゃあ、私たちは特に何もしなくて良いってこと?」

「うん!」

「おー、それは楽だね」






家庭科部の子と話し合い、衣装は次の時間の時に持って来てもらうことになり、することもないので装飾の方に顔を出した。






「今何してるの?」

「今はね、教室内をどう飾り付けるのかってのをみんなに案を出してもらってるところ」

「喫茶店って、私行ったことないから勝手が分かんないや。テーブルとか、あと看板は必要でしょ?」

「もちろん。他にはメニュー表とかも一から作らないといけないし・・・」






そっか・・・。結構大変なんだな。

それからは、私も加わって装飾の案を出した。

しばらく経って、ホームルームの時間も終わり千翔と部活に向かう。






「こんにちはー」

「こんにちは」






私たちが最後だったのか、その後すぐに集合が掛かる。その集合を掛けるのも、もう漣先輩ではなく新キャプテンの二年生。三年生が引退してしばらく経つが、漣先輩が集合を掛けない部活はまだ慣れない。かといって、別に寂しいわけではない。

すると、私がドリンクを作っている最中、漣先輩が話しかけてきた。






「お、鈴音。来るのおっせーなあ」

「こんにちは、漣先輩。暇なんですか」






こうやってちょくちょく私たちのことを見に来てくれている。憎まれ口をたたいてはいるが、正直私も嬉しい。けど、漣先輩はもうじき大学の推薦が控えてるのに、こんな所に来てていいのか。






「暇じゃあねえけど、俺、頭良いし大丈夫だよ。それに、お前たちのことも心配だからな」






そう言う漣先輩は、前よりも顔つきが良い。






「はあ、そうですか」

「もう、だいぶ手つきが慣れてるな」

「そりゃそうですよ。もう少しで半年経つんですよ。ただでさえ、ドリンク担当は私なんですから、さすがにもう完璧です」

「・・・時間が経つのは早いよな」






急に、漣先輩がしみじみとするようなことを口に出した。私は漣先輩の顔を見た。けど、何を思っているのか、分からなかった。






「はあ・・・そうですね」






とりあえず、私も共感しておく。






「俺さ、鈴音に会えて良かったわ」

「・・・そういうのは、卒業式の時に言ってください」

「そうだな。じゃあ、今のは聞かなかったことにしてくれ」

「はい」






会話は終わり、しばらく沈黙が流れる。

なんか、今日の漣先輩おかしいな。結局のところ、何が言いたいんだろう。

すると、また漣先輩が口を開いた。






「もうすぐ文化祭だけど、お前のクラスは何をするんだ?」






今度は何の変哲もない、普通の話題だった。






「喫茶店です」

「お、それって、メイドと執事の?」

「そうですけど・・・まさか」

「絶対行く。鈴音のメイド姿、楽しみにしとくわ」

「別に来なくていいです!」






漣先輩は私の言葉を聞かず、笑いながら体育館に戻っていく。

はあ・・・。先が思いやられるよ。

大きなため息をつき、首を振った。首を振ってどうなるというものでもないけれど。

まあ、断ってもどうせ来るんだろうなあ。

私は、半ば諦めて仕事を再開した。






それにしても、文化祭かあ。合唱コンクールも、喫茶店も成功させなくちゃ。

漣先輩が言っていた通り、本当に時間が経つのは早い。色々あったから、余計にそう感じる。

けど、この学校に入学して、まだ一年も経っていない。






「この先も、みんなと仲良くしてるといいな」






私は、無意識に口角が上がっていた。







準備は着々と進み、文化祭まであと一週間。クラスのみんなも、段々と士気が上がっていってるように感じる。

特に困ったことはなく、合唱も、喫茶店も、あと少し。

で、今は音楽室で合唱の練習中。一応、私が中心となって金賞を取れるかなというところまできたんだけど。

それは、一人の女子の言葉からだった。






「ねえ、前から思ってたんだけどさ、男子もっと大きな声出せないの?」






その子からすれば自分の意見を言っただけなんだろうけど、男子からすればそれが逆鱗に触れたようで。






「はあ!?じゃあこっちも言わせてもらうけどよ、女子ってクレッシェンドとかの記号、あんま守ってねえよな。ただ大きいだけじゃん」

「それは、男子が小さすぎるの!記号だって、うちらは出来る限りしようと頑張ってるじゃん!でも上手くいかないんだもん、仕方ないじゃない!けど大きい声で歌うのなんて、誰だって出来るじゃん!なんでしようとしないの!?」






始まってしまった。本格的な言い合い。

みんなで一体になって何か一つの物を作ろうとした時、それが本気であればあるほど言い合いや意見の食い違いが起こる。

けど、このクラスはそんなのないなと思っていたら、まさかのあと一週間というこの時期。

私からしてみれば、どっちの意見も正しい。私も気になってはいたのだけど、あえて無視をしていた。

理由は一つ。

それを完璧にするだけの時間が足りない。つまり、中途半端になるということ。最悪の場合、今まで出来ていたことも出来なくなってしまう可能性があるからだ。そうなると、みんなの自信が消失してしまう。ただでさえ、喫茶店の方もあるのに、そっちにまで影響が出てしまうのは避けたい。






「えっと・・・みんな?とりあえず、もう一度歌おっか」






私は、この重くなってしまった空気を消すため、言葉を発した。

だが、






「はあ?何言ってんの?私たちはもっとこうした方が良いって意見出してんじゃん。無視してこのまま続けようっていうの?ていうか、藤宮さんしか音楽に関しての知識ないんだよ?ちゃんと解決策出してよ」






その子の言葉で、みんなの怒りの矛先が私に向けられた。






どうしよう。どうすればいいの。何を言えばこの騒動は収まる?

明らかに経験不足からなるパニックだった。今までこんなことに直面したことなんてない。

そりゃそうだ。中学までは中心人物になることもなかったし、行事の時だって、言われたことをやるだけ。ただそれだけだった。

だから、自分がまとめる側になったクラスで言い合いが起こって、ましてや自分が責められるようになるなんて考えたことなかった。






「なあ、なんか言えよ」

「普段偉そうに指示出してるくせに、こういう時はなんも出来ないの?」






段々とエスカレートしていき、その内容は私の事。






「どうせクラス委員長になったのも、評価をもらうためだろ」

「はっきり言って楽だもんね、クラス委員長なんてさ。指示さえ出しとけば、先生の目には良いように映るんだから」






そういうふうに考えたことなんて一度もない。なんで、そんなこと言われなきゃなんないの。

私のこと分かってないくせに、べらべら喋らないでよ。






はあ・・・。最近落ち着いてたのにな。

不協和音が、私の耳をつんざく。聴いていたくなくて、この部屋から逃げ出したい衝動に駆られる。

その時、一音だけ、弾け飛んだ。芯の通った、とても強い音。






「藤宮さんを悪く言うのは、違うんじゃないですか!?」






千翔だった。すると、それまでアヒル小屋のようだった音楽室が深く静まり返った。まさしく、鶴の一声と呼ぶのに相応しいものだった。

深夜の病院のようなその室内に、千翔の声が響く。






「そんなに言うんでしたら、自分がクラス委員長に立候補すれば良かったじゃないですか。立候補もしていないのに、他人にはあれこれ言って、それこそ偉そうですよ」






千翔・・・。

私は、その言葉に胸が温かくなった。この空間に一人でも助けてくれる人がいる。それだけで、私の今までの行動が報われた気がした。本当に、千翔にはたくさん救われてるなあ。でも、千翔ばかりにすがってはいけない。

私も、自分で壁を乗り越えていかなくちゃいけないんだ。じゃないと、中学までの自分と同じになってしまう。全然成長していないことになってしまう。






「ねえ、一つ聞いていい?」






声を発すると、私に視線が集中する。






「みんなは、コンクールで金賞を取るのと、少しでも良いものを目指すけどその努力は報われないの。どっちを取る?」






そう言うと、みんなが互いに顔を見合わせる。






「この選択で、これからの練習が変わっていくよ」






ますます意味が分からなくなったようで、「何を言っているんだ、こいつ」みたいな表情を向けられる。けど、さすが真面目なクラス。スルーされてもおかしくない私の質問に、きちんと答えてくれる。






「どっちかって言ったら、そりゃ金賞だろ」

「うん。だって、それを目指して今まで練習してきたんだよ?」

「当たり前だろ。合唱コンクールが何で開かれるようになったと思ってんだ。生徒の競争心を煽るためなんだぞ」

「煽るなんて言葉の悪い。育てると言いなさいよ」

「まあ、やるなら一番じゃねえとな」






“やるなら一番”。

クラスの男子がそう言った途端、千翔の顔が強張ったように見えた。

大丈夫かな。






「じゃあ、金賞を取る方向でいいのね?」






私は、最後の確認を取る。みんなが賛成した。






「分かった。このまま、今の状態で歌うよ」






私がそう言えば、予想していた通りブーイングが広がる。






「はあ!?どういうことだよ!?」

「意味分かんない!」

「今の状態なら、金賞を取れる可能性は充分にある」






その時、チャイムが鳴った。タイミングが悪い。けど、もうこの後は掃除をして、放課後になる。部活は、文化祭の準備ということで本番の日まですべての部が休み。






「とにかく、進む方向を決めたのはみんななんだから、文句は言わないで。今日の放課後は、喫茶店の方をやるよ。もうあと一週間しかないから、授業も段々少なくなるし、邪魔にならないところの飾り付けをしていこう」






私がそう指示を出しても、返事をした人は誰一人としていなかった。

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