~気づかされる思い、気づきたくなかった思い~

「ただいま」






そう言っても、もう母さんはやってこない。僕が母さんの機嫌をとれるのは、テストで一位を取ることだけ。

バスケだって、鈴音さんにはすごいと言われたけど、この家では意味がないんだ。人並み以上にできても、一番でなければ。そして、それができるのは理人。

僕は、バスケでは理人に勝てない。どんなに頑張っても。






下を向くと、靴が一つ多いことに気づいた。

僕と理人と同じ、ローファーだ。考えられるのは・・・。






「わたしは理人が嫌でも別れないから!」






その声が聞こえたのと同時に、ドタバタと慌ただしい足音が近づいてきた。

そして現れたのは、今まで泣いていたのだろう、目を真っ赤にした愛衣さんだった。

愛衣さんはまるで魂を抜かれたように、僕に見向きもしないで家から出ていった。

理人と何かあったのか。

けど、僕には関係のないことだと思い、自分の部屋で勉強を始めた。






しばらくすると、ドアの向こうから声がした。






「千翔ー、入っていいか?」






僕はドアを開け、理人を部屋に入らせた。

しかし、後に入らせたことを後悔することになる。






「相変わらず殺風景な部屋だな。黒ばっかり」

「理人が派手すぎるんです」

「ははっ。本当、俺らって正反対だよなあ」






その言葉からは、理人が何を考えているのか想像がつかない。

僕はそれには何も答えず、別の話題を出した。何気に気になっていたことだ。






「愛衣さんと、何かあったんですか?」

「んー?なんだろうなあ・・・」






理人は、じめじめとした空気を漂わせた。






「まあ、どうにかなるだろ!」






理人は、自分の中の悩みを振り切るように、打って変わって明るい口調になった。

無理をしていることは明らかだ。

もしかしたら、鈴音さんなら、僕の時みたいに理人の不安も取り除いてくれるかもしれない。






「ところでさあ、やっぱりお前劣ったな」






話の内容も、急に変わった。






「バスケですか」

「ああ」

「そうですね。また、練習しないといけません」

「けど、ちょっとびっくりした。意外にもついてこれてたから。まあ、それでも俺には勝てないけどな」

「言ったじゃないですか。理人に勝てなくても、他の人には負けないと」

「それは嘘じゃなかったみたいだな。嬉しい」

「嬉しい?」

「ああ。ふっ、ははっ」

「何ですか。気持ち悪いです」






理人は、喜びを瞼に浮かべ、相当嬉しいのか一人で笑っている。

しばらくすると、急に今度は真顔になり、突拍子もない話をしだした。






「ところでさ、千翔って、鈴音のことどう思ってたんだ?」

「は・・・?」






僕は、意味が分からなかった。理人がなぜそんなことを言うのか、真意を探ろうと目をじっと見つめたが、何も伝わってこない。

昔からそうだった。理人だけは、何を考えているのかさっぱりわからない。のらりくらりとしたその性格は、いつも僕を困らせる。さっきだって、辛いことがあるなら言ってくれればいいのに、うまくかわされて。そしたら今度は鈴音さんのこと。

本当、嫌いだ。掴みどころがなくて嫌いだ。






何もかも、上手くいってて、嫌いだ。






「どう・・・って、何がですか」

「はっ、あんなことしておいて、気づいてねえのかよ」

「あんなこと、とは?」

「俺、見てたんだけど。今日の昼休みのやつ」

「昼休み・・・って!」






嘘だ・・・。あれを見られてたなんて、恥ずかしいの言葉じゃ収まりきらないくらいの羞恥心が、僕を襲う。






「びっくりするくらいイチャイチャして、いいムードだったよなあ?」

「イチャイチャなんて・・・!そもそも僕は鈴音さんのことは___」

「あ?ああ、そっか。その時に呼び方変わったんだったな。お前ら、どこまで進展してんだよ」

「違います!」






僕は胸に違和感を覚えた。今日はやけに絡んでくる。






「違う?じゃあ、なんだよ。お前は、鈴音のこと好きなんじゃねえのか!?」






“好き”・・・?僕が、鈴音さんを?

その瞬間、頭の中に浮かんだ。






___『・・・私さ、八年間ずっと好きな人がいるんだー』






___『それがさ、理人なんだよねー。でも、愛衣と付き合ってることを知った』






そうだ。鈴音さんは、理人のことが好きなんだ。それは、僕が一番よく知ってる。

理人に呼び捨てで呼ばれて、頬が緩んでいる顔。頭を撫でられたと話してくれた時の、幸せそうな顔。

それらは、本気で恋をしている人の顔だった。

それがわかってて、それを見てきて、鈴音さんのことを好きになるなんて、愚かなことだ。

そんなの、負け戦じゃないか。






「僕が、鈴音さんのことを好き?そんなわけ、ないじゃないですか。ただの友達です」






ただの友達というのは本当だし、これからもそうでありたい。

ずっととは言わず、せめて高校を卒業するまでは友達でいたい。そう思ってるのに・・・。そう思ってるはずなのに・・・。

なんなんだ。この胸を締め付けられるような痛みは。






「ふーん。そうかよ」






理人は、自分からこの話題を持ち出したくせに、たいして興味もないような返事をして、部屋から出ていった。






その途端、僕は膝から崩れ落ちた。






胸が痛い。

心を引き裂くような後悔の念が押し寄せてくる。

胸が締め付けられる。

胸がえぐられるほどの自責の念に駆られる。

胸がいっぱいになって涙が突き上げてくる。

腹立たしいほどの苦痛を感じる。

ナイフで胸を貫かれたような苦しみだ。

胃に穴が開くような気がする。

胸の底に沈んだ漠然たる苦痛。

胸の底で悲鳴が上がる。

呻くような気持ち。

焼けただれた心の痛み。

釜の中で煮られるような思い。

感情がもろくなって胸が張り裂けそう。

切り傷が風に触れるように心が痛い。

自分の内臓を嚙み潰してやりたいほど悔しい。

無人島へでも流されたいやるせなさ。

息が詰まるような気がする。

息もできないような暗い圧迫を胸に受ける。

胸に苦しい波が打ち寄せる。






僕は、今までたくさんの本を読んできて、辛くて胸が痛いという思いを表現した文章を何度も見てきた。

でも、ただの表現であって、実際にはそうは思わないと、どれも本気にしていなかった。

今ならわかる。

本に書いてあった文なんかでは言い表せないほどの辛さ、痛み、妬み。






なんで、あんなことを言ったんだろう。

ただの友達じゃ、いやだ。

もう、さすがに気づいた。気づかされた。

これが、恋。僕は、鈴音さんが好きなんだ。

その時、鈴音さんの言葉が、頭の中を流れた。






___『会ったばかりだけど、でも今日一日だけで千翔くんは優しい人だって気づいた』






___『私は、疑うなんてできないよ、そんな難しいこと。それに、人を疑いながら生きるより、信じる方が楽じゃん?』






___『ごめん。でも、私が千翔くんとしたかったの』






___『でも・・・何事にも一生懸命って、それだけでなんか魅力的だよね』






___『あんたと付き合ってる噂が流れても、別に嫌じゃないし』






___『普通に嬉しいんだけど』






___『ていうか、気になったんだけど、その“藤宮さん”っての、やめない?私だけ呼び捨てってなんか不公平』






___『ほら、そんな顔しておいて、大丈夫なわけないでしょ!?馬鹿なの!?』






___『だから、千翔が“友達です”って言ってくれた時、すごく嬉しかった。救いになった』






今改めて思い返すと、どれも好意を持たせるような言葉ばかりだ。本人はそのつもりはないだろうから、無自覚って怖いな・・・。

他の男にも必要以上に言わなければいいけど。

けど、クラスの男子たちに好かれていることに気づいていなかったのには驚いた。






でも、鈴音さんが好きなのは理人。

なんで、理人なんだ。

どうして、理人よりも早く出会わなかったんだ。

どうして、この想いに気づいてしまったんだ。

気づかなければ、こんなに辛い思いをしなくてすんだのに。

僕は、自分の頬に手を添える。






「・・・あれ」






濡れている。






ない、ている?






そっか。泣いてるんだ。

びっくりだなあ。泣いたのは、バスケができなくなった時以来だっけ。






「ははっ・・・」






あの時より、ずっと辛いや。

でも、鈴音さんも同じ気持ちなんだ。






「強いなあ・・・」






理人と愛衣さんが付き合ってるのを知っても、諦めずにあんなに明るく振舞って。

だったら、僕は今まで通り応援しよう。

好きな人が幸せになるように。

そうなったら、僕も嬉しい。

でも・・・叶うことなら、僕に想いが向いたらな、なんて。

そんなこと願ってもどうにもならないけど。

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