コンビニの屋根のハト

村野一太

コンビニの屋根のハト

「あ、あのさー」

「……ちょっと待ってッ」

「いや、でも、そのさー」

「……」

 運転席で丸まってスマホをいじる花子。

 花子は集中すればするほど背中が丸まっていく。そんな花子の習性に、普段はやわらかい気持ちで接することのできる太郎だが、先ほどから助手席のシートベルトをつけたりはずしたりしながら、フロントガラスの向こう側にある国道らしき忙しい道を眺め、はらわたを突き刺す棘に耐えていた。

 コンビニの屋根にハトがいた。

「ふー、これでOK。よし、行こっ」

 花子は太郎を見ることもなく、スマホをスマホホルダーに設置すると、シートベルトをした。

 エンジンを始動させると、

「で、なに?さっきなんか言おうとしてなかった?」

「あ、いや、もういいや」

 太郎と花子は見知らぬ街にあるケーキ屋に向かっていた。そのケーキ屋のモンブランがおいしいらしい。花子が言っていた。いや、花子が食べたわけではない。見知らぬ誰かが食べた感想から、花子が「おいしい」と判断したのだった。

 先ほど駐車していたコンビニから、ぐるっと、こまかい道を何度か右左折した後、結局、太郎が眺めていた国道らしき道にスマホに導かれた。すぐに駐車していたコンビニを通過した。

「あれ、さっきオイラたちがいたコンビニだね」

「えっ?ウソでしょ、そんなわけないわ。ま、そうだとしても、どうでもいいけど」

 花子はチラチラとスマホのナビを見ながら運転していた。

「シバラク、ミチナリ、デス」

 というプラスチック音に安堵あんどしたのか、花子は、先ほどコンビニで買ったコーヒーにようやく口をつけた。

 何の変哲もないただの国道だった。日本全国どこにでもあるようなでっかい看板のチェーン店が腕まくりして並んでいた。太郎は、見知らぬ街の細かい路地をテキトーに歩くのが好きだった。ゴミだらけの住宅、手の行き届いている花壇、鬱蒼うっそうとした神社、廃墟のラブホ……、机の上で地図をいくら眺めても知ることのできない世界に入り込むことは、太郎にとって冒険であり、海外旅行をしているような高揚感を覚えるのだった。

 しかし、花子にとって、それは「無駄」なのだった。それは「無駄」とは呼ばない、と花子を説得しようと太郎は奮闘したこともあるが、無駄だった。

「ツギノ、シンゴウ、ウセツ、デス」

「え、どれどれ、この信号のことかな」

「どれでもいいじゃない」

 太郎はつい毒を吐いてしまった。実際にどの信号を曲がろうが大した違いはない、と太郎は思っている。

「何言ってんの、どれでもいいわけないじゃないッ」

 花子はあわててハンドルを切った。

「シバラク、ミチナリ、デス」

 とスマホの賛同を得ると、花子は再びコーヒーをすすった。

「あ、そうだ、この前貸した、安部公房、どうだった?」

「あ、あれね、そうね、評価は高かったわね。でも、ところどころ意味不明らしいわね」

「いやいや、キミの評価はどうなの?」

「そんなの、どうでもいいじゃない、みんながどう評価したかが重要なんじゃない。本を読むなんて無駄だし、解説と評価を読めば、だいたいわかるでしょ。『いいね』の量でだいたいわかるわ」

「じゃあ、今からモンブランを食べなくてもいいんじゃない?」

「たしかにね」

 珍しく花子は認めた。花子は栗が好きなわけではなかった。

「でもね、モンブランを食べた、という証拠が必要なのよ。日曜日に彼氏とドライブしてモンブランを食べた、という証拠がね」

 なんのために、と太郎は訊こうとしたがグッとこらえた。この議論の行きつく先はもうわかり切っているのだ。

「ツギノ、シンゴウ、ウセツ、デス」

「たぶん、これ、さっきのコンビニにもどってるよ」

「はっ、なに言ってんの、そんなわけないじゃない、ナビが言ってるのよ」

 花子は新興宗教の信者のように、ハンドルをいそいそと確信を持って切った。

 太郎の予想はあたり、先ほどのコンビニにもどった。屋根にはハトが同じ位置にいた。

「シバラク、ミチナリ、デス」

「ほらみろ、さっきのコンビニだよ、あれ」

「そんなわけないでしょ、ま、そうだとしても、どうでもいいけど」

 花子はコーヒーをすすった。太郎は煙草を吸いたかったが、花子の車は禁煙だった。

「ねえ、あのコンビニのモンブランでいいんじゃない。コンビニのケーキもなかなかイケるよ」

「ダメッ。コンビニのケーキ食べたって、誰も、アタイが幸せだと思わないでしょッ」

 どこのケーキを食べても、誰も花子に対して「いいね」とは思わないという点では同じことのような気もするが太郎は口には出さなかった。

「ツギノ、シンゴウ、サセツ、デス」

 先ほど右折した信号を、花子は左折した。

 花子の背中が少し丸くなったように太郎は感じたが、もう何もかもどうでもよくなってきた。今日のモンブランで終わりにしよう。もう太郎には限界だった。今日も本当は一人で山に登りたかった。東西南北の情報の有無が死活問題になる山にいたかったのだ。

「ツギノ、シンゴウ、バック、デス」

 花子は青信号にも関わらず車を急停車させ、シフトレバーを「リバース」に動かした。そして、花子は後ろを見ることもなく、スマホだけを見つめ、アクセルを踏み込んだ。

 太郎はシートベルトをはずした。

 後ろからクラクション音がヒステリックに鳴っていた。

 花子は丸まっていた。

 太郎は煙草に火を点けた。

 よけられない後方の車にグシャリとぶつかった。

 スピードが出ていなかったので、それほどの衝撃はなかったが、太郎がくわえていた煙草はどこかに吹っ飛んだ。

「ニゲル、マエ、デス」

 花子はスマホにこくりと頷いた。

 太郎は新たな煙草に火を点けた。

「あのさー」

「なに?今、集中してんだからッ」

「これから廃墟のラブホ探してさ、ガラクタだらけの部屋で全裸になってさ、マダニだらけの汚いベッドの上で交尾しないか?いや、するんだッ!これは命令だッ!いいか、オレはオマエをめちゃくちゃにしてやる、わかったかッ!このまま真っすぐ行け、オレの言う通りに運転しろッ!」

「うふふ、ばかね」

 花子はスマホホルダーからスマホを取り外した。窓を開け、スマホを外に放り投げた。

「うふふ、ばかね」

 最初のコンビニが見えた。

 コンビニの屋根にハトがいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

コンビニの屋根のハト 村野一太 @muranoichita

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ