第13話 EAST MIDDLE
イチノクニ学院校舎「東の中」屋上。
その場所には、賢者と奇術師の姿があった。
「せっかくのお誘いだけど、遠慮しておくよ。僕はもう闘いを辞めたんだ」
奇術師は、賢者の誘いを断っていた。
「ええ、知っています。でもコレならどうですか──」
それでも賢者はめげなかった。
───その頃。ムルムルが慌てたように飛び立った「央」跡地付近では、新たな異変が起きていた。
ドサッ
周囲の人物の鼓膜を揺らす、何かが倒れる音。
「七菜ちゃん!?」
倒れたのが七菜だといち早く察知した美波が、慌てて抱き起こす。
「・・・くうにいさま」
うわごとを言うように、意識が朦朧とした状態の七菜が小さく口を開く。
『陸獣』の攻略を見届けた巨大な一つ眼、『AI』。
七菜の才『コンパイル』によって生み出されたその眼は、彼女にとって一つの大きな山であった。
その山を超えたことで、七菜の意識は深い眠りについたのだ。
「・・・・いまのは」
その時。美波のアホ毛がピンっと跳ねた。
彼女の顔に浮かんでいた緊迫の色が、より一層濃くなった。
『フェブラリ=アクエリアス VS スート』
弐ノ国『知の王』フェブラリ=アクエリアス 。彼女は知的な見た目をしていた。細いフレームの丸メガネと小脇に抱えた「本」が、その印象を色濃くしているものと思われる。
「───なるほど。それならいいよ」
スートは、アクエリアスの要求を呑んだ。
闘いを嫌がるスートに対して、アクエリアスは「それならゲームをしましょう」と提案したのだ。
最初は難色を示したスートであったが、彼女がゲームの国の王と聞いては、話に乗る意思を見せたのであった。
「それでは早速ルール説明を───」
「ちょっと待って」
小脇に抱えた一冊の「本」を両手に持ち替え、ゲームの説明を始めようとしていたアクエリアスを遮るかたちで、スートは何処からか「カード」を取り出した。
「せっかくの王様とのゲームだからね。勝負の前に結果を占って余興にしよう」
テーブルゲームのディーラーのように、体の前で片手を左から右に動かすと、数十枚のカードが裏向きの状態で展開された。
まるで空中に見えない机があるかのような光景である。
その内の一枚を引き、表にする。そこには「逆さまの人間」が描かれていた。
「『吊し人』の逆位置か。いい結果とはいえないね」
スートはカードを指で挟み、不敵な笑みを浮かべた。
それからアクエリアスに笑みを向け、説明の続きを促す。
アクエリアスは困惑顔で視線を「本」に落とした後、何か思い当たったようにスートに視線を戻した。
「そういえば、貴方に会ったら尋ねてみようと思っていたことがありました」
「王様が僕に?どんな質問かな?」
「人は何のために生きていると思いますか」
アクエリアスの唐突な問いに、スートは少し考える素振りを見せてから、こう答えた。
「快楽を味わうため、かな」
説明を求める視線で、アクエリアスが丸メガネの奥からじっと見つめる。
「ヒトの行動、その全ての裏には欲がある。その欲の根源は、快楽さ。そして、その快楽を味わうために、ヒトは必死になって労働をする。全くヒトは矛盾の生き物だよ」
つらつらと語るスートの言葉を咀嚼するように、アクエリアスは深く頷いた。
「貴方が勝負師として優秀な理由がよくわかりました。ゲームに戻りましょう」
アクエリアスは、手元の「本」をゆっくりと開いた。
「『曖昧Meマイン』。これが今回のゲームの名前です」
開いた「本」に視線を落とし、表紙と裏表紙をスートに見せるような形で、アクエリアスが言葉を紡いでいく。
「この本は『ルールブック』。ココに書いたルールを一定の範囲に反映させることができます。ただし、ルールは公平でなくてはいけません。今回のゲーム『曖昧Meマイン』のルールもここに明記されており、私が読み上げることで反映されます。仮にもゲームの国の王として、嘘をつくような真似は決してしませんので、どうか安心してください」
「わかった。信じるよ」
アクエリアスの言葉に、スートは薄い笑みを浮かべた。
「『曖昧Meマイン』のルールは至ってシンプル。ゲーム開始前に、プレイヤーには二種類の『マイン』が配られます。その概要は、相手が爆発する地雷と自分が爆発する地雷。衝撃が加わると、対象者が爆発する仕掛けです。衝撃は相手からのモノに限り、自分で起爆するような真似はできません。今回だとプレイヤーが二人なので、『マイン』は一人二つです。この二つの『マイン』を自分の体の何処かに設置して、ゲーム開始となります」
「なるほど。相手と自分、それぞれの弱点を持った状態で闘うわけだね」
「その通りです。爆発の威力はどうしますか?」
「もちろん最大で」
スートは間髪入れずに答えた。
「いいのですか?最大威力を食らえば、まず助かりませんよ」
「それがいいんじゃないか。最大の緊張は、最大の快楽を生むモノだ」
スートは恍惚とした表情で告げた。
「わかりました。それでは早速、設置してください」
アクエリアスの言葉を合図に、二人の眼前に二つの球体がそれぞれ出現した。
赤と青。共に掌サイズのモノだ。
「赤い方が自分の地雷。青い方が相手の地雷です。そうですね、それぞれ『マイマイン』『ユアマイン』と呼ぶことにしましょうか。『マイン』は頭の中で思い浮かべた箇所にそれぞれ設置されます。設置後は不可視状態となり、後から位置を変更することはできません。相手の設置場所は把握不可能ですので安心してどうぞ」
「りょーかい」
程なくして、両者共に『マイン』が視えなくなった。
「それからもう一つ。相手の『ユアマイン』を取り除く方法ですが───」
「ストップ」
アクエリアスの説明を、またしてもスートが遮る。
「その説明を聞かない代わりに、一つ僕から『ルール』を追加するというのはどうかな?」
「・・聞きましょう」
「話が早くて助かるよ。どうも相手が配ったカードだけで勝負するのは嫌でね」
いやらしい笑みを見せると、スートは例の数十枚の「カード」を、もう一度裏向きで展開した。
それから滑らかな手つきで、3枚のカードをオープンする。
「『ワンド』に『カップ』に『ペンタクル』か・・・」
3枚のカードには、それぞれ「杖」「聖杯」「金貨」の絵柄が描かれていた。
「それじゃあ、コレにしよう」
その内の「聖杯」のカードを手に取る。
「『カップ』は、水のエレメント。ゲーム開始と同時に王様には空の聖杯が、僕には液体がなみなみに注がれた聖杯がそれぞれ配られる。ゲームの経過と共に、僕の聖杯に注がれた液体は段々と王様の聖杯に移っていく。聖杯から液体が溢れると、その聖杯の持ち主が抱える弱点の位置が晒される。これでどうかな?」
「・・ええ、いいでしょう」
少し考える素振りを見せた後、アクエリアスはスートの提案を受け入れた。
「ただし、液体の移動速度は、『ルールブック』が適切なモノを算出し、適応します」
「うん。いいよ」
アクエリアスが、新しいルールを『ルールブック』に書き込んでいく。
「それでは始めましょうか」
「いつでもいーよ」
スートが首を鳴らし、アクエリアスが「本」を閉じる。
程なくして、二人の眼前にそれぞれ「聖杯」が配られた。二人はソレを左手の掌に乗せる。
『ルールブック』のルールが適応された。
それすなわち、ゲーム開始の合図だ。
「っ!?」
その直後。アクエリアスの顔面めがけて、ナニカが飛来した。
「うーん。やっぱりハズレか・・」
素早く避けたアクエリアスを眺め、スートはニヤリと笑った。
「いったい何を考えているんですか!?」
わけがわからない、と言わんばかりの顔でアクエリアスが声を荒げる。
ゲーム開始早々、スートがアクエリアスの顔面に飛ばしたモノ。それは、「金貨」であった。
スートの才、それは『アルカナ』。カードにそれぞれ付与された能力を自在に扱うというモノだ。
ゲーム開始前、スートは3枚のカードをオープンした。
そこに描かれていた「杖」「聖杯」「金貨」の絵柄は、それぞれ能力の概要を示していたのだ。
そうして具現化された「金貨」をスートはアクエリアスの顔面めがけて器用に弾いた訳だが、アクエリアスが驚いたのは、スートがいきなり攻撃を仕掛けたことにあった。
『曖昧Meマイン』が始まった。
それすなわち、相手の「ユアマイン」に衝撃を与えれば、自分が死ぬということ。
もしもアクエリアスが「金貨」を避けず、アクエリアスの「ユアマイン」が顔面に設置されていたのなら、スートは今ごろ死んでいたのだ。
「そんなに驚くことはないだろ。寧ろ定石だよ」
スートは、なんでもない調子で口を開いた。
「このゲームの勝利条件は二つに一つ。自分の『ユアマイン』を相手に踏ませるか、相手の『マイマイン』を踏むか。つまり完全な勝利を収めるには、相手の動きを誘導するか、地雷を見つけ出すしかないわけだ」
スートの言う通り、自分は無事で、相手だけを爆発させようと思えば、その2択となる。
「それで実質的な時間制限のルールを提案したら、王様はあっさり受け入れた。つまりは、このゲームが長期戦になるとは思っていない。僕に与えられた時間は限られているというわけだ」
ペラペラと喋り続けるスート。
「となれば、多少のリスクを負ってでも相手の地雷を見つけることに努めるべきだ。誘導には、どうしても時間が掛かるからね」
「・・時間がない状態で地雷を見つけるには、意表を突いた先制攻撃が効果的だと。そう判断したわけですか」
「その通り」
『マイン』の設置場所。ソレには戦略と性格が色濃くでる。
『マイマイン』は頭や心臓といった人としての元々の弱点に重ね、『ユアマイン』は機動力に定評のある部位に設置する。
プレイヤーの心理としては一旦この考えが過ぎるところだが、最終的にどう判断するかはプレイヤーの性格次第だろう。
「リスクに見合ったリターンは頂戴したよ」
スートの口角がニヤリと上がる。
「想定外の一撃だろうが、頭部に『ユアマイン』を設置していれば、多少なりとも動きに出る筈だ。比較的簡単に頭部に動かせる部位、腕などに設置していた場合も同様にね。よって『ユアマイン』は首より下。誤爆を恐れて『マイマイン』とは位置を離すだろうから、脚部が第一候補かな。機動性もあるし」
真か偽か。アクエリアスの額に汗が浮かぶ。
もしもスートの推測が合っているなら、アクエリアスが自分の『ユアマイン』にスートを誘導することは、極めて困難になったと言えるだろう。
「命を賭けてるわけだし、ゲーム関係なしに頭部を狙っても良いけど、衝撃を与える位置を一点に絞るのは危険だし、何より面白みに欠ける。となれば、考えるべきは『マイマイン』の位置だけど──」
「そんなに悠長にしていて良いのですか」
今度は、アクエリアスがスートの呟きを遮る。
「おっと、そうだったね」
スートは、とぼけた顔をした。
彼がペラペラと持論を述べている間に、スートの「聖杯」の液体は、段々とアクエリアスの「聖杯」に移動していた。
スートが危惧していた時間が、それだけ経過していることの証明である。
「僕の方はひとまずこれで安心かな」
最初はなみなみに液体が注がれていたスートの「聖杯」だが、今では8割程度まで減っている。
器用なスートであれば、液体を溢さずにゲームを続行することも可能だろう。
「貴方は、このゲームは短期戦だと予測した。それは恐らく正解です」
アクエリアスが、「聖杯」を持つ手とは逆の掌を上に向ける。
「・・ほう。これは流石に予想外だね」
目を丸くするスートの視線の先。
そこには、一羽の「鳩」の姿があった。
「貴方が説明を省いた、『曖昧Meマイン』もう一つのルール。それがこの『マメ吉さん』です」
アクエリアスの掌に乗る「鳩」が、ちょこんと飛んで着地する。
人の言葉を理解しているのか、「オニハソト、フクハウチ」と、首を前後に揺らしながら、謎の言葉を繰り返している。
ちょこちょこと移動する「鳩」。「マメ吉さん」のつぶらな丸目が、スートを捉えた。
「オニハソト」
「なんだ!?」
「マメ吉さん」の口が開いたかと思うと、そこから「ナニカ」が吐き出された。
それは中々のスピードで、スートは慌てて避ける。
弾丸のように飛ばされた「ナニカ」は、屋上を包むように存在する見えざる壁、「サイゲン」にぶつかった。
「これは・・」
その様子を観察し、スートが呟く。
「『マメ吉さん』の攻撃は、『マイマイン』に当たると起爆し、『ユアマイン』に当たると除去します。つまりは、ノーリスクで攻撃を仕掛けることが出来るわけです」
その間、アクエリアスは「マメ吉さん」の説明を始めた。
「本来は貴方にも配られる筈の切り札ですが、断られた為、二羽とも私が使わせてもらいます」
彼女の右手に、もう一羽「マメ吉さん」が現れた。
「オニハソト」「フクハウチ」
二羽の「マメ吉さん」は、スートに標準を合わせた。
「いいだろう。受けて立つよ」
スートも「金貨」を弾いて応戦する。
「王様には当たらないように注意しないとね」
雑に弾いては、アクエリアスが「ユアマイン」の起爆に利用することが考えられるため、細心の注意を払って「マメ吉さん」だけに狙いをすます。
「マメ吉さん」は、向かってくる「金貨」に向かって「ナニカ」を吐き出し、空中で捉えた。
「ふーん。ロボットみたいに正確だね」
地に伏した「金貨」を眺め、後ろで手を組んだスートが呟く。
「金貨」は、ベタついた「ナニカ」によって、地面に張り付いている。
「金貨」も「ナニカ」もサイズは共に小さく、「マメ吉さん」の射的精度がロボット並みであることがよく分かる。
いや、もしくはそれ以外の存在か。
『曖昧Meマイン』というゲームを構成するためだけの存在ということなら、「マメ吉さん」はbotといったところか。
注意してみると、動きがやけに規則的だ。
「そういうことなら──」
スートは左手の「カップ」を垂直に上に投げると、空いた両手で器用に「金貨」を弾いた。
二枚の「金貨」が向かう先、そこには二羽の「マメ吉さん」が。
「オニハソト」「オニハソト」
先ほどと同様の攻撃に、「ナニカ」を吐き出すことで対処しようとする。
が、ぶつかる前に「金貨」は形を変え、「ナニカ」はするりとすり抜けた。
標的に当たらなかったことで、「マメ吉さん」達がもう一度発射しようと準備を始める。
それが整う少し前に、「金貨」から形を変えたモノは、「マメ吉さん」に到達した。
そのモノの形状は「輪」。その「輪」が、「マメ吉さん」のクチバシをすっぽりと収める。
僅差で「マメ吉さん」が「ナニカ」を発射。クチバシが塞がれていたことで、「ナニカ」は口内に留まった。
「ッ!・・」「ッ!・・」
程なくして「マメ吉さん」達が苦しみだす。
「カップ」をキャッチして、スートはニヤリと笑った。
「説明が欲しそうな顔をしているね」
アクエリアスの表情を覗き込むようにして、スートは体の後ろから「杖」を取り出した。
「もう一枚のカードの能力だよ。『疑似の杖』、触れた対象の見た目を変える代物さ」
ゲーム開始前にスートがオープンした3枚のカード。
その内の「杖」の能力により、「輪」の見た目を「金貨」に変化させていたというわけだ。
「その『輪』も、別のカードの能力だよ。大アルカナの一つ、『運命の輪』さ」
一枚のカードを指で挟み、ひらひらと揺らす。
カードの表には、「輪」の絵柄が描かれていた。
ソレを視界に映し、ここまで黙り込んでいたアクエリアスが、ゆっくりと口を開く。
「誤射によって『マメ吉さん』が行動不能になることは──」
「勿論、計算通りだよ」
完全に動きを止めた「マメ吉さん」に視線を向け、スートが満足そうな顔をする。
「あの物体の正体は、『ピンズ』でしょ」
「・・その通りです」
「マメ吉さん」の動きを止めたのがまぐれではなかったことを認め、アクエリアスは苦笑を浮かべた。
「ピンズ」。それは、弐ノ国産の豆。
その使用用途は多岐にわたり、強い衝撃を与えれば強力な捕縛剤に早変わりするという性質をもつ。
今回、スートは「マメ吉さん」が吐き出す「ナニカ」の正体が「ピンズ」と判った時点で、喉を詰まらせるという手を思いつき、実行したのであった。
「それにしても、地雷を除去する役割までこなすとは。『ピンズ』は本当に万能食材だね」
感心した顔でスートが頷く。
豊富な特性を持つ「ピンズ」は、弐ノ国の民にとって、なくてはならぬ存在だ。
「奇術師として、ハトには敬意を払わないとね」
続いて、カードを一枚オープンする。
そこに描かれていた絵柄は『隠者』。カードの能力か、スートの前に大きな「布」が出現し、その姿を一瞬隠した。
続いてスートは、眼前に広がる「布」を真っ二つに切り裂いた。刃物のようなモノを使った形跡はなく、恐らくは自身の才で生み出した「布」であるため、ある程度自在に操れるものと思われる。
二つに分かれた「布」はヒラヒラと舞い、二羽の「マメ吉さん」それぞれに覆いかぶさる形で着地。亡骸を隠した。
「さあ、フィナーレだ」
アクエリアスの「聖杯」に視線を向けて、スートが告げる。
この時点で、スートの「聖杯」は空に、アクエリアスの「聖杯」はなみなみに。それぞれ、ゲーム開始時とは逆の状態となっていた。
アクエリアスの「聖杯」からは、今にも液体が溢れそうである。
「貴方はこの『聖杯』が実質的な時間制限だと仰いましたが、そうじゃないと言ったらどうしますか?」
しかし、アクエリアスの表情には余裕が残っている。
スートが怪訝な表情を浮かべていると、アクエリアスは自分の「聖杯」を逆さまにした。
「これはどういうことだい・・」
アクエリアスが逆さまにした「聖杯」。
物理法則に従うなら、なみなみに注がれた液体は溢れるはずだが、その様子は見られない。
「新たな『ルール』です」
アクエリアスは誇らしげな表情で答えた。
「『聖杯』の液体が溢れると、その持ち主が抱える弱点の位置が晒される。貴方が提案したこのルールに加えてもう一つ、特殊なルールを与えさせて貰いました」
アクエリアスが「聖杯」に与えた『ルール』。
それは、「聖杯」を逆さまにした時、そのモノに限り重力は逆向きに働き、尚且つ固定される、というものだ。
つまり、今のアクエリアスの「聖杯」は、彼女の動きによって溢れることは先ずない、ということになる。
「聖杯」の底を上から掴み、「聖杯」の口は下向きに。それでいて、中身は一切溢れない。
手品でも見ているような光景を前に、スートが薄く笑う。
「いいねえ。不思議は大好物だよ」
余裕を崩さないスートに、アクエリアスが「はぁ」とため息を一つ。
「その手は無駄ですよ」
アクエリアスの視線の先。
「聖杯」の下を向いた口の先に、一枚の「金貨」が転がり、到達していた。
「重力が逆向きとなった『聖杯』に『金貨』を入れ、液体を溢れさせる魂胆でしょうが、『聖杯』には液体以外のモノを受け入れない『ルール』も追加しておいたので、不可能です」
してやったり顔で、アクエリアスが続ける。
「・・」
思案顔で押し黙るスート。
「それから、貴方が言うように私はこのゲームを短期で終わらせるつもりでしたが、長期戦を望んでいないわけではありません」
アクエリアスの言葉を合図に、屋上の二箇所に変化があった。
それというのは、スートが真っ二つに切り裂いた『隠者』の「布」。
「マメ吉さん」の亡骸を隠していた筈の2枚の「布」はアクエリアスの眼前に集結。
再び繋がれた幕が剥がれた時、そこには一回り大きくなった、一羽の「鳩」の姿があった。
「『マメ吉さんEX』です。通常の「マメ吉さん」と比べて、全てのステータスが2倍だと思ってください」
『オニハソト!フクモソト!』
「マメ吉さんEX」は、「ピンズ」を口から発射しつつ、猛スピードでスートに迫った。
「・・コイツは参ったね」
アクエリアスの「聖杯」に注がれた液体を溢れさせることは困難となり、封じた「マメ吉さん」は更なる進化を遂げて舞い戻った。
客観的に見たスートの戦況は、かなり分が悪いように思える。
「奇術師として、ハトに乱暴な真似はしたくないけど──」
スートは一枚、「金貨」を取り出した。
『オニハソト!フクモソト!』
時を同じくして、「マメ吉さんEX」から一回り大きな「ピンズ」の塊が発射される。
スートはそれをギリギリで躱すと、取り出した「金貨」を「マメ吉さんEX」に向かって、力いっぱい弾いた。
「金貨」は真っ直ぐに飛び、「マメ吉さんEX」の眉間にヒット。
その直後、「金貨」は「杖」に変化した。
『オニモ・・フクモ・・』
して、「マメ吉さんEX」は、勢いよく燃えだした。
「そんな・・」
燃え盛る「マメ吉さんEX」を眺め、アクエリアスが言葉を漏らす。
炎は一層勢いを増していたが、大きさを取り戻した「布」が、おそらくはスートの差金で覆いかぶさると、すっかり鎮火した。
「『発火の杖』は出来たら使いたくなかったけど、仕方がないよね」
スートは少し寂しそうな顔で「布」に近づいていった。
ゲーム開始前にオープンしたカードにより、スートが生成した「杖」は、二本あった。
その一つは、『疑似の杖』。
そしてもう一つは、『発火の杖』。
触れることで発火する『発火の杖』を、『疑似の杖』で「金貨」の見た目に変化させ、「マメ吉さんEX」に弾いたわけだ。
「運命は反転した。本人が気付かぬ内に、本人の意識の外で、本人の手によってね」
「布」に優しく触れるスートの発言に合わせて、アクエリアスは視界の隅に変化を捉えた。
それというのは、逆さまにした「聖杯」の下。
真上に「聖杯」の口があるその場所に、地を転がって到達していた一枚の「金貨」が、その形を変えたのだ。
明らかになったそのモノの正体は、小瓶。
弐ノ国にて、スートが弟のハツから奪っておいた、何の変哲もないただの小瓶であった。
ハツは、兄のスートに一杯食わせようと空の小瓶を奪わせたわけだが、現在の小瓶には液体が入っていた。
その液体とは、「聖杯」の液体。
スートが追加した『ルール』により、スートの「聖杯」に注がれた液体は、時間経過と共にアクエリアスの「聖杯」に移っていく。
それでいて、現在のスートの「聖杯」は空で、アクエリアスの「聖杯」は満タンなのに、小瓶にも液体が入っている。
この状況は一体どういうことか。
その答えは、スートとアクエリアスで配られた「聖杯」の大きさが違うから、であった。
スートの「聖杯」は、アクエリアスの「聖杯」より一回り大きい。
つまり、液体の移動が完了すれば、アクエリアスの「聖杯」は必ず溢れる仕様となっていたのだ。
スートは、この差分を小瓶に移し、切り札として保有していた。
そして今、「金貨」から小瓶に戻ったことで、その中身は、本来の重力とは逆の向きで「聖杯」に注がれる。
アクエリアスの「聖杯」から、空に向かって液体が溢れた。
「弱点、みっけ」
指で丸をつくり、そこから覗くスート。
その先のアクエリアス。体の一部が赤く光る。
「脚に『マイマイン』か。どうやら僕の予想は逆だったみたいだね」
『ルール』によって晒されたアクエリアスの弱点。
その位置は、スートが「ユアマイン」の位置だと予想した、脚であった。
右脚の付け根部分で、赤く光る弱点。
スートは「金貨」を片手に持つと、弱点が晒されたのとは逆の左脚めがけて放った。
「・・っ!」
アクエリアスは「金貨」を避けるために片足立ちに。
「チェックメイトだね」
その隙に一気に距離を詰めたスートが、晒された弱点へと蹴りを打ち込む動作をする。
「「・・」」
この刹那。両者は共に勝利を確信した。
アクエリアスが晒した弱点。それは「ユアマイン」であった。
スートは新たな『ルール』として、「聖杯」から液体が溢れると、その「聖杯」の持ち主が抱える弱点の位置が晒される、と提示した。
ここで重要なのは、弱点が具体的にナニを示すのかは明記されていないこと。
つまり、アクエリアスによって晒す弱点を操作することができたわけだ。
自分の命を司る「マイマイン」が弱点となることは間違いないが、相手に位置を悟られては不利になるという点で、「ユアマイン」もある意味で弱点だといる。強みと弱みは表裏一体という話だ。
脚部に「ユアマイン」があるというスートの予想は、見事的中していたことになる。
一方のスートは、蹴りを打ち込む動作の中で、アクエリアスの思惑の全てに思い至っていた。
スートは、アクエリアスが弱点として「ユアマイン」を晒すことを、最初から予測していた。
そこまで計算した上での、「聖杯」のルール提案であったのだ。
それはあくまで可能性の一つであったが、今回の攻撃に対するアクエリアスの反応で、スートは確信を持った。
仮に弱点が「マイマイン」だった場合、それが晒された時点で、その一点に100パーセントの警戒を向ける筈だ。
にも関わらず、こうしてスートは比較的容易に弱点に辿り着いている。
相手が全くの素人なれば話は分かるが、アクエリアスは仮にもゲームの国の王を名乗る存在。スートの正確な牽制があったにせよ、「マイマイン」に到達することは本来不可能に近い筈。
となれば、導き出される答えは、アクエリアスが「ユアマイン」を弱点として晒している、という事実である。
「「・・」」
スートは弱点に当たる寸前で蹴りを止めると、赤く光るその箇所に一枚のカードを投げ、大きく身を引いた。
「一体なんの真似です」
そのカード。『月』の絵柄が描かれたカードに視線を落とし、アクエリアスが疑問の声を漏らす。
「存在の証明は、観測者が存在して初めてなされる。それがこの世界の『ルール』だ」
スートの言葉を合図に、「マメ吉さんEX」を隠すように存在していた「布」が消滅。
そこに「マメ吉さんEX」の姿はなく、代わりに在ったのは大量の「鳩」であった。
「なんです!?」
大量の「鳩」は一斉に飛び立ち、アクエリアスを襲った。
視界を覆うほどの大量の「鳩」に、アクエリアスがすっかり目を回していると、その内の一匹が肩にぶつかり、姿を変えた。
「これは・・」
ソレはまたしてもカードであった。
肩に張り付いたそのカードの絵柄は『太陽』。脚に張り付いたままの『月』のカードと何か関係があるのだろうか、とアクエリアスが思考を巡らせていると───。
「太陽に照らされて初めて、僕たちは月を認識できる」
スートが意味深な言葉を吐き、大量の「鳩」がアクエリアスの元を離れるように一斉に飛び立つ。
その歪な変化に、アクエリアスの背中に寒気が走ったかと思うと、次いで燃えるような熱さが襲った。
それは一瞬の衝撃。
アクエリアスの意識は、瞬間的に飛んだ。
「・・どうして、どうして助けたのですか」
気を取り戻したアクエリアスが、弱った声で呼びかける。
一体、何が起きたのか。
まずはじめに、スートは事前に『疑似の杖』を用いて、「マメ吉さんEX」を大量の「鳩」に変化させていた。
さらに、『太陽』のカード1枚を「鳩」に変化させ、大群に紛れ込ませておいた。
アクエリアスが感じた衝撃は、この『太陽』のカードによるものだ。
貼り付けた対象の全身に燃えるような衝撃を与える、という効果を持つ。
そして、アクエリアスの「ユアマイン」に貼り付けた『月』のカード。
こちらは逆に、その箇所に与えられた衝撃を打ち消す効果を持つ。
すなわちスートの手、『太陽』による衝撃が、『月』がある箇所以外の、アクエリアスの全身を駆け巡ったということ。
では何故、アクエリアスは無事なのか。
「ユアマイン」以外の全身に衝撃が与えられたのなら、「マイマイン」が起動している筈だ。
その答えは、『太陽』の効果が発動する直前にスートが弾いた、一枚の「金貨」にあった。
「月は一つじゃない。満月でさえ、見えているのは半分だけだからね」
その「金貨」の正体は、もう一枚の『月』のカードであった。
スートはアクエリアスの脚部の他にもう一枚。腹部にも『月』のカードを貼り付けたのだ。
そしてその腹部こそ、アクエリアスの「マイマイン」が設置された箇所であった。
わざわざ一度「金貨」に変化させたのは、飛ばす精度を高める為だと思われる。
「納得がいっていないという顔だね」
スートが両手をあげるポーズをとる。
自分が助かった理由は理解したアクエリアスだが、自分を助けた理由に考えが至らない様子だ。
「それじゃあ一つ問題を出そう」
スートは何気ない調子で口を開いた。
「今回僕が使用したのは、二つのカップに二本のワンド。それなら金貨、ペンタクルは一体何枚だったでしょう?」
「・・なんです。その質問は?」
アクエリアスが怪訝な表情を浮かべる。
「いいから答えてよ」
スートが言うと、アクエリアスは指を折り始めた。
「・・8枚、いや9枚、ですか?」
「そう、その状態が正解。明確な答えは僕にも分からない。あいまい、ってわけさ」
スートの回答に、アクエリアスは理解したような、していないような、複雑な表情を浮かべた。
「それにちょっとズルをしちゃったからね」
「ゲームは僕の勝ちでおしまい、でいいよね」とスートが言い、頷くアクエリアスが『ルール』を解除すると、赤と青の球体が、スートの股間から現れた。
スートは「マイマイン」と「ユアマイン」を、どちらも股間に設置していたのだ。
「貴方みたいな人は初めて見ました」
アクエリアスの顔に、思わず笑みが溢れる。
その時、アクエリアスの「聖杯」から、一枚のカードがヒラリと落ちた。
「占い通りだったね」
ソレを拾い上げ、スートが絵柄をアクエリアスに見せる。
「知ってるかい?カードの意味は、その向きによって変わるんだよ」
描かれていた絵柄は、『吊し人』。
ゲーム開始前に余興として表にしたそのカードは、いつのまにかアクエリアスの「聖杯」に張り付いていたのだった。
「貴方、一体どこまで計算して・・」
自分が「聖杯」を逆さまにしたこともスートの掌の上であったのかと、アクエリアスは恐怖から寒気を覚えた。
「いやあ、久々に楽しいゲームだった」
アクエリアスの疑問には答えず、スートは器用にカードを弄ぶ。
「またやろうよ。王様」
好敵手を見つけたと喜ぶように、無邪気な笑みを浮かべる。
「・・ああ、そうだ」
それから何かを思い出したようにゆっくりと歩き出すと、今回のゲームの切り札となった、小瓶を拾い上げた。
「勘違いしてるだろうアイツも鍛え直してあげないとね」
小瓶を太陽にかざし、スートは眩しそうに目を細めた。
『ドゥオデキム』フェブラリ=アクエリアス、攻略完了。
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