お返事します
「好きならそれでいいじゃん。全部でしょ。付き合うとか付き合わないとか、別問題じゃないの」
――それもそうか。
女は考えるのをやめた。そもそも、考えること自体、性分ではなかった。
紙パックのイチゴミルクをズズズッと飲み干し、よしっと一言、立ち上がる。折り畳みの携帯電話をパカリと開いて、カチカチカチっとメールを送る。これで全てかたがつくはずだ。
恋愛も愛情もまだよくわからない年齢だった。ずっと記憶に残って、秋に紅葉を目にするたびに思い出した。なぜだろう、告白されたのも、返事をしたのも、秋とは無関係だったのに。
「それにしても、よくだよね」「まあ、蓼食う虫も好き好きっていうし」「あ、ひど」「ハハハ。まあでも、ルックスは良いと思うよ」「少しも褒められてる気がしないんだけど」「ハハハハ、だって褒めてないし」
女が教師という職を選択をした瞬間から、学校という永遠の郷愁ともいうべき場所が日常になった。無関係な季節と結びついて無造作に過去が引きずりだされるのだってきっと、高校生たちの不安と恐れと期待に満ちた、笑うような泣くようなその表情がいけないのだ。
女は渡り廊下から、中庭越しに校舎を見上げた。どこもかしこも記憶の音がする。母校ではないはずなのに、渡り廊下に抜ける風が無性に懐かしいのだ。
「えーなにそれ。で、オッケーしたの」「ううん。まだ。悩んでる」「付き合ってみれば良いと思うけど。嫌いじゃないんでしょ」「嫌いではないけど、好きでもない」「なら付き合う価値あるよ」「好きじゃなくても?」「そう、好きじゃなくても。他に好きな人がいるわけじゃないんでしょ」「うん」「なら、その人のことを好きになる可能性にかけてみるってのが、手っ取り早いと思うよ」「可能性、か」「だって、人生は一度きりだから、なんだって試してみるしか他にしかたないでしょ」「そゆもんかねえ」
――可能性。
中庭のベンチに座るふたりの会話に耳を傾けたのは、偶然ではない。生徒たちにとってあそこはうってつけの場所であると同時に、教師にとっては生徒間で飛び交う噂にアンテナを張るための、うってつけの場所でもある。
高く、まっすぐ空に伸びた銀杏からは黄色い葉が落ち始めていた。人肌恋しくなる季節。樹々の枝は寂しくなる一方だが、冬が近づき、生徒たちはひそかに色めき立っていた。
部室棟の裏手。学校の裏通りに面していたが、人目はそれほど気にならない。野球部のネットがちょうど視界を避けるのに役立っていた。声は筒抜けだ。雨樋が一箇所欠けていた。そこから、溝に溜まった落ち葉が腐って土のかわりになっているのか、小さな雑草が芽吹いていた。鮮明に、どうでも良い詳細だけが思い出される。
「手紙、ありがとう」「うん」「あたしも好き。それだけ」「え、ああ、うん。ありがとう。じゃあ、付き合う、で、いいのかな?」「ううん。付き合わない。付き合うとか、あたしはまだ考えられない」「え、あ、じゃあ僕はフラれたってこと」「どうだろ、そうなるかもね」
完結するはずだった物語は、女の過去の一ページで続きを待ち続けていた。
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