あたしたちにひみつはない


「なにさ、人生相談ってやつ?」


 女は、冷やかすように男の肩を肘でついた。

 小さな居酒屋のカウンターは満席で、一番奥がふたりの定位置になっていた。店員はなにも言わずとも、生ビールと枝豆を出した。店の日替わりのお通しがふたりに出されたのは最初の一度だけだ。二度目に断りをいれてからは、勝手にお通しを持ってくることはなくなった。

 選択したわけでもないものが勝手に運ばれれくることに、二人して我慢がならなかったのだ。

 ビールを飲むときは、選択していただろうか。二人してそんな反省をしてみることもあるのだが、よくわからない。本当は、選択などどうでもいいのだ。


「まあ、そんな感じかな。あいつ、いつも言ってること、よくわかんねんだよな」


 ――それ、お前もだよ。


 男の言葉に、女は心のうちで静かに応じた。




「公園の秘密基地集合な」「お菓子は?」「あいつに頼んどいたけど」「んじゃ平気」「基地の補強しないと」「紐なら用意した。新聞とか段ボール縛るやつ」「屋根も欲しいよ」「段ボールでもいい?」「駄目だよ。雨がふったらおしまいじゃん」「そっか」


 三丁目の公園のとなりは雑木林になっていた。生垣によって隔てられ、子供が抜けられるほどの穴がひとつあいている。入り口はそこにしかない。つまり、雑木林に入ることができるのは子供だけ。無垢なものだけが入ることを許される、そこは聖域。少なくとも、当時その雑木林で遊んでいた少年少女のほとんどは、そう信じていた。

 高い枝から紐を吊るし、繋いで、防水性の布地を掛けた。簡単にテントができあがるはずだった。基地づくりはそっちのけで、吊るした紐でブランコやターザン遊びを始めた。

 子供の計画が予定通りに進むわけなどなかったと、誰もが気づかないくらいに、誰もがまだ子供だった。


「大人の体重でも、紐、切れないんだね」


「ね、なんかスタンドバイミーみたい」


 ――初めて見た。


 当時の子供たちには、どうやってその大人が雑木林に入ったのかわからなかった。子供しか入れないはずの場所に入ってきた大人が、本当に大人だったのかもわからなかった。

 子供たちのあいだでは、奇妙なうわさが流れていた。


 ――二人の子供がひとつに繋がれ、大人の服を着せて吊るされてたんだ。


 変な発想だが、子供たちにとっては、大人とは、ただ子供が二人分くらいの大きさになった存在に過ぎなかった。あるいは、もう少し、汚いもの。正しさを押し付けてくるもの。矛盾に気づかず愚かにももがいているもの。そういうものだと思っていた。

 通報を受け、警察官や救急隊員が訪れた。その様子に子供たちは拍子抜けした。三丁目の公園の反対側には雑木林への入り口があり、暗い内側からではよく見えなかった。特に、子供の視線の高さからは見えにくくなっているのだ。そこから雑木林にぞろぞろと大人がなだれこんだ。

 聖域など、初めからどこにもなかった。子供たちは子供でいることの絶対的な力を失い、大人の領域にとうに飲み込まれていたことに気づき、愕然とした。


「もう、子供のままではいられないのだ」




 部屋に戻り、ベッドに横になった。シーツにしみこんだにおいが、さっきまでここにいた男を思い出させる。

 煙草のにおい。男性用シャンプーのにおい。お酒のにおい。惰性と倦怠のにおい。毎週末に洗濯して、日曜から新しい一日を始める。六日間は柔軟剤と女性用のシャンプーのにおい。次の土曜にまたマンネリがしみこむ繰り返しだった。

 子供のころに見た死体。

 恐怖はあった。だが、好奇心がそれにまさった。仲良しグループで、小さな林をぐるぐる探し回った。本当にあった。見つけて怖くなって大人を呼んだ。

 なぜ、そんなことばかり思い出すのだろうか。


「次の来週も来る?」


「ああいや、やめとこうかな」


 男が土曜に来ないのは、付き合い始めて以来、初めてのことだった。

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