君の不確実と僕の確実な退屈

「なにもかもが思い通りになったら、世界なんてほんと退屈じゃん」


「だけど、予想外のことって僕は、戸惑っちゃうんだ。だからね、予想できる範囲で準備をしておくんだよ」


「つまらないよ、そんなの。嘘でも本当でもなんでも、可能性を自分から小さくしないと落ち着けないなんて、ほんと退屈。昨日と明日が同じ一日になってしまうなんて、到底耐えられそうにないよ」


 高校の同級生のなかではひときわ目立っていた、というよりクラスからも学年からも浮いていて、誰からも相手にされていないというのが実際だったらしい。男は当時のクラスメイトに言われた言葉をはっきりと覚えている。「完全に標的になったな」と、笑われた。

 標的。少しして意味を理解した。彼は突拍子もなく声をあげたり、歌い出したり踊り出したりする。奇をてらっていると言えばそれまでだが、平坦な日常をあえて平坦なままにしないための抵抗だと、男は理解していた。

 予測できないこと、先の読めないことは嫌いなはずだったのに、少年だった男は、唯一気の置けない友人を得たと密かに喜んでいた。密かに。伝えることは一度だってなかった。伝えていたらきっとそれは、二人にとっては予測できない出来事になったかもしれないのに。

 今になって男は思う。彼の存在だけが、唯一予測のできない存在だったのではないか、と。




「また、どういう風の吹き回しなの?」


 と言いながらも、妻の頬はゆるんでいるのがわかる。感触は悪くなかった。

 特別な日にプレゼントを用意したところで、さほど喜ばれないが、なにもない日に理由もなくあげると、何かを疑われるか、特別に喜ばれるかのどちらかだった。

 関係性が悪くなっていると感じたわけではない。ただ、そろそろバランスを取り直したほうが良いと判断した。


「ちょっと、たまたま帰りに花屋によったものだから」


「ハハ、たまたま花屋に寄る、なんてことあるものかな? 同窓会でなにかあったの?」


 妻が笑った。予想通りの可愛らしい笑みだった。


「いや、昔のことをちょっと思い出してさ」


 妻が一瞬、眉を顰める。邪推しているらしい。だが、男は過去を話す気にはならなかった。




「女ってのはさ、やっぱりものに弱いんだよな」


「え、そういうものなの?」


 二人の少年が公園のベンチで並んで座っていた。手には赤い缶が握られていた。


「アマゾンのヤノマミ族の女と寝た時は、本当に命がけだったよ。バナナ一房で十分だったけど、実際のところは命一つ差し出したようなものだったからな。部族内で女ってのは貴重だからな、外から来た男とやらせるなんてことは絶対にないんだ。危なかったよ」


 ――また、嘘ばっかり。


 突然降り始めた雨が駐輪場の屋根を激しく打った。不規則な雨音のリズムが気に入ったらしく、少年は誰のかもわからないサドルを楽器のようにして叩き始めた。ペンケースとノートを荷台に置いた。グロッケンシュピール、と甲高い奇声を上げて雨とともに演奏する。手には指示棒と芯の折れないシャープペンシル。バン、カン、パッパッ、ときどきチャリン。

 儀式だよ、と少年は言った。精霊を呼んでいるんだ、と。嘘を現実に引き寄せるために遊ぶ少年の奇行が、何度でも日常を破いて新しくしてくれた。


 同窓会で彼のことを覚えている者がほとんどいないのが不思議だった。細かな事柄、事件とも言えないほどの下らない事柄ばかりがみなの口にのぼる。ありふれていて、ほろ苦くて、恥ずかしい少年時代の記憶。男はどれもこれも自分とは無関係な気がした。

 彼だけがいなかった。

 誰かと彼のことを少しでも話せればいいと思ったから出席したのに。「あいつのこと、残念だったな」と言ったのは、標的にされてるなと笑ったクラスメイトだった。

 覚えているのは自分とその一人だけだった。




「大丈夫、女の子のことじゃないよ」


「別に、なにも言ってないじゃない」


 瞬間的に不安がよぎったものの、妻はやはり上機嫌だった。「女ってのはさ、やっぱりものに弱いんだよな」という言葉が、彼の声が、思い出される。

 夜になると、妻はベッドで男の腕をつかんで身を寄せた。男が思った通りの反応をする妻を、愛おしく思う。だが、物足りなくも感じる。なにかが欠けていて、満たされないまま平坦な日常が続く。幸福はそこにあると知りながらも、同時に思い出してしまう過去があるからだ。

 男は妻を強く抱きしめた。


 ――やっぱり、君のいない世界は退屈だ。

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