梟と猿

"Shirokanipe ranran pishkan, konkanipe ranran pishkan."


 仕事中、オフィスの八割以上がイヤフォンをしている。必要なコミュニケーションはチャットアプリで完結するため、耳を誰かのために空けておく必要がなかった。ログが残る、というのも重要な理由だ。メールでのやり取りもほぼゼロ。PCのディスプレイ右下に絶え間なく通知が表示され、瞬間的に全員がイマココの出来事を把握する。取捨選択は個人の裁量だ。タスクが厳密にチケット化された環境下で責任の所在は明確だった。誰がいつどこでなにをすべきか。綿密なシステムに、無駄の入り込む余地はない。

 女が仕事中に、小声で歌を口ずさむのを聞いたものは一人としていない。


  シロカニペ ランラン ピシュカン

  コンカニペ ランラン ピシュカン


 個が完全に独立しながらも、全体としてチームとして機能しているなかの異端は、俯瞰するように全体を眺めながらその情景を精緻に語っていった。

 仕事量の差異は評価に直結するため、多くやろうが少なくやろうが問題にはならない。時給や日給という不合理な仕組みを脱却し、限りなく完全な出来高制に近づける事で公平性を担保している。歯車となって摩耗していくのは人間ではなく、道具として使用されるPCやその他備品だけだ。合理性はむしろ、人間をエネルギーとして利用する。燃焼効率が良く、量も多ければ重宝される。要するに、投入できる燃料として消費されていく人間の対価が、賃金だ。

 今日の富者が明日の貧者となり、今日の貧者が明日の富者となるような、栄枯盛衰の不安定なシステムはここにはない。女はとうにそんなことに気づいていたため、富者になることを望むこともなければ貧者に落ちるのを恐れることもなかった。ただ自分の時間を投入し、対価をもらう。消費された時間がなにを生み出すかなど問題にはならなかった。


 紅葉した木々、さつまいもやくり、シャケ、まつたけ。中央にまるで置物のように鎮座する、堂々たる梟。ディスプレイに並ぶ絵文字の数々は、長いながい彼らの神話の一部だった。


*


 梟は闇に瞳を光らせて、首をぐるぐる回して周囲の状況をつぶさに見定める。国を守り、村を守り、家を守り、人々を守る神さまだ。

 そんな神が宴を催そうとしたのは、ちょうど秋も立ちはじめた季節だった。梟は森の動物たちに、招待状を送った。猿や鹿、猪、熊、狐、カワガラス。銘々が手紙を受け取り、返事を書いた。誰もがその宴を期す中、猿が皆の楽しみに水を差した。

「梟には手がないというのに、どうしてもてなしの料理が振る舞えるってんだ」

 皆は猿の言葉になかば納得し、宴を期待する気持ちが削がれた。

「こんな茶番、馬鹿げている。俺は宴には参加しないぞ」

 賛同を得られて悦に入った猿はその勢いを借り、高々と宣言した。誰もが半信半疑ながらも、自身ありげな猿の大きな声に、ひとりまたひとりと、猿のあとに続いた。残ったのは忠実なるカワガラスだけだった。

 一方、梟は着々と宴の準備をしていた。

 梟には手がなくとも、立派な翼と、力強い足と鋭い爪があった。それだけではない。村や国の守り神として崇められていた梟は、人間の力を借りることができた。猿のように、人間を模しただけの卑しい獣だと、人間に馬鹿にされることはなく、彼らはせっせと梟に尽くした。

 かつて梟は、人間たちを飢饉から救い出した。彼らの喘ぐ姿を目にし、見かねた梟は天にことづてを頼んだ。そのことづてを正確に天に伝えたのがカワガラスだった。カワガラスは知っていた。梟と人間とには特別な信頼関係が築かれている。宴を催すならきっと、人間の力を借りることになるだろう、と。


 宴の日が訪れた。梟は人間たちへ感謝を伝えるために、歌いながら空を舞った。


  シロカニペ ランラン ピシュカン

  コンカニペ ランラン ピシュカン


 梟の羽ばたきとともに、雪のように光る粒が、ぱらぱらと降り出した。人間ははじめ、早い冬が訪れたのだと思った。よく見るとそれは銀の砂粒で、太陽の日差しもないのに、まばゆいばかりの輝きを放っていた。

 カワガラスが梟の住む森に到着すると、人間たちが銀を拾い集めて帰ろうとしているところだった。宴の準備は澄んでいた。切り株の上には、人間の作った野菜や果物、そして数々の料理が並んでいた。酒は樽四つ分、招待した客に振る舞うには十分な量だ。

 しかし、肝心の客たちが、姿を現さなかった。

「どうしたのだろうか。せっかくの宴というのに」

「梟様、梟様。猿のやつがみんなを唆したんです」

 カワガラスは梟にことの成り行きを伝えた。

「なるほど。道理で皆が来ないわけだ。ならば、こちらから迎えに行こう」

 そういうと梟は大きな翼をばさりと広げて、すっかり暗くなった森のうえを悠々と飛行した。


  シロカニペ ランラン ピシュカン

  コンカニペ ランラン ピシュカン


 猿は気を良くしていた。手先の器用な猿は、自分の力でたいていのことができた。野菜や果物を人間から盗むのだって難しいことではないし、料理だって動物たちの好みに合わせて、なんだって作ってやれた。ただ、酒だけが、その作り方を人間しか知らなかった。

「やはり、お酒がないのは寂しいですね」

 そう言い出したのは熊だった。隣の猪は猿に悪いと思ったのか、口に出して賛同はしなかったものの、静かに頷いた。

「立派なお酒を出せるのは、やっぱり梟だけなのかもしれないなあ」

 鹿がぼんやりとつぶやいたが、悪気があるようには見えなかった。猿はその言葉を聞き逃さなかった。

「さてさて宴も酣、ここで皆さまお待ちかねの、金の酒を銀の酒をこのわたくしが振る舞いましょう。といっても、すぐというわけにはいきません。ちょいと準備が必要なわけでありまして。それまではこちらの人間の料理、カレーでも召し上がってはいかがですか」

 ぷんとスパイスの香りが立った。動物たちにとってそれは、耐え難いにおいだった。誰もが嫌な顔をするのを禁じ得ず、眉を顰め、前足で鼻先を覆った。それでも現金な動物たちは、酒という一言に、カレーとやらのにおいを我慢する気になったのだった。

「では、ご用意いたしますので、少々お待ちを」

 猿はぴゅんと風のように駆け、一瞬にして姿を消した。動物たちはいくらか訝しみながらも、カレーの鍋にふたをしてから、野菜や果物をふたたび食べ始めた。


 その頃、梟は歌いながら猿の宴会場の近くまで来ていた。


  シロカニペ ランラン ピシュカン

  コンカニペ ランラン ピシュカン


 羽ばたくたびに雪のように銀の雫がはじけ散った。下にいた動物たちははじめ人間が思ったのと同じように、暗い空から雪が降り始めたものかと思った。だが、銀の粒に次第に金の粒が混じるようになると、ようやく梟が高い空を飛んでいることに気がついた。

 その姿を認めるがいなや、動物たちはもはや我慢がならなくなった。

「梟さん、悪かった。梟さん、悪かった。私たちを許しておくれ、私たちにお酒を振る舞っておくれ」

「私はあなたちを迎えにきたのですよ。さあ、私の森へおいでください」

 といって振り返ると、来た空を帰ろうとして、また一度、くるりと旋回した。

「お、これはカレーの匂いではありませんか」

 梟は螺旋状に回りながら、少し開けた動物たちの集う草地に降り立った。

「とても美味しそうな香りですな。さては、猿が作った料理ですね。せっかくなので頂いていきましょう」

 鍋の柄を掴むと、金銀を散らしながら梟は羽ばたいた。


 猿は梟の森にたどり着くと、すぐに酒樽を見つけた。酒独特のあまい香りがぷんと立っている。りんご、ぶどう、米、芋、小麦、砂糖大根。さまざまな酒を知っていたが、それは今まで飲んだことのない代物だとすぐにわかった。

 猿はごくりとつばをのみこんだ。

 少し舐めてみるつもりで、樽の蓋を開けた。さっきよりも強い香りが猿の鼻先に触れた。それだけで心地よい気分になるくらいの馥郁とした香気にもはや猿は我慢がならなかった。

 猿は頭ごと樽につっこむと、呼吸も忘れてがぶがぶと飲み始めた。案の定、あっというまに酩酊した猿はその場に卒倒し、いびきを立てて眠ってしまった。


 梟は動物たちを伴って、自分の森に帰ってきた。宴の会場となっていた小高い丘にのぼると、そこで猿が眠っていた。

「樽が半分も減っている。まあ良く飲んだものだなあ」

 といって梟は笑った。動物たちも、声をあげて笑った。梟は彼らに食事と酒を振舞った。宴会場は一瞬にして笑顔と歓声に包まれた。動物たちは猿の宴から、野菜や果物を持参していたが、カレーにだけは手を出そうとしなかった。

「そう怖がることはない。ほら、一口だけでも食べてごらんなさい」

 見本を見せるように、梟は器用に足を用いてカレーを掬い取ると、嘴のなかへと流し込んだ。

「くぅう。うまいうまい。人間の作ったカレーもなかなかなものだが、猿のカレーも悪くはないぞ」

 動物たちもおずおずと足を前に進め、カレーに近づいた。最初に口にしたのは鹿だった。悶絶するように上半身を前に屈し、ぐるるるるううう、と唸った。誰もが口に合わなかったのだろうと思った刹那、鹿は太い声で、「うまっ」と叫んだ。他の動物も後に続いた。猿のカレーは振る舞われた料理のなかで一番の好評を博した。


 猿は梟を出し抜こうとするのはやめ、動物たちは毎年秋になると、梟の森で宴を開くようになった。もちろん、猿はカレーを、梟は人間に酒を用意させ、歓声の笑顔に包まれながら、皆で舌鼓をうったのだ。


*


「理性的な梟がその寛容さで、愚かで傲慢な猿を受け入れる物語。と読み取れました。猿が少し可哀想です」

 女から来た文面は遠慮がちながら、男が綴った物語に否定的だった。女の作った単なる絵文字の配列に物語をつけるというのは、大袈裟だったかもしれない。

「そうかもしれません。私も自分で書いておきながら、どこか猿に同情してしまいました。梟はちょっと、人間として出来すぎている気がします」

 男はわざとあらを見せた。

「梟は、動物ですよ」

 期待通りの返答に、思わずくすりと笑った。

「ええ、そうでした。梟は動物です。それにこの物語では、梟は神さまでもありますね。ならば、これくらい完璧でも許されるのかしれませんね」

「神さまですからね。といっても、梟や動物たちもカレーや野菜や果物を猿の宴から持ち帰っていることを考えれば、褒められたものではありませんよね」

「そう考えると、神さまですら完璧ではないのかもしれません。まあ、どちらでもかまいませんが」

「そうですね。私たち人間はただ一心に、美味しいお酒を作ることだけを考えて生きるくらいしか、できることはありませんからね」

「そうですね。だから、美味しいお酒を今日も作りましょう」

「ええ、作りましょう」

 最後の言葉に梟のスタンプが押されるのを確認し、窓の外を見やった。銀色の雫が降っていた。午後から雨の予報だった。夏はまだ終わりそうにない。それが雪ならば良かったのにと思いながら、男は新しいチケットに着手した。

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