小学校

 幼稚園の時で、私が覚えていることは少ない。年長のときの担任の先生がトマトスープを残しているのを見て、なぜ私は給食を残してはいけないのかと幼いながら不満に思ったことはある。私はとても食べるのが遅かったのである。みんなが昼休みの中、私ともう1人食べるのがおそい友達とずっと教室に残ってご飯を食べていた。

 その時思ったのは、別に先生は偉くないな、ということだった。大人が正しい、ということもないなと既に悟ったのである。賢い。


 それから、私は小学生になった。きっと、私の暗い部分はこの頃から作られ始めたのだと思う。

 親が喧嘩する時があった。もちろん、結婚しているとはいえ他人同士なので、喧嘩くらいするだろう。しかし、それは子供から見るとなかなかにハードだったのだ。

 母は怒るとどうやっても止められない。機嫌が悪い時に限るが。それなのに、父は母に正論を言ったり時には大きな声を出して反論したりする。さすがに暴力的なことはなにもなかったが、私はすっかり怖くなってしまった。怒っている人に怯えるようになった。

 そして、母の怒りは当然私に向くこともあった。私が何か悪いことをした時(多分大したことではなかったたずだが)、少々手が出ることもあった。まぁ、どこの家庭でも多かれ少なかれそういうことはあったと思う。両親が子供の時は、悪いことをしたら玄関から閉め出されたというような話もよく聞かされた。つまり、それよりはましだからまだ優しい方だ、と言いたかったのだろう。

 そうはいっても、この二つのことが度々起こるので、幼い私は怒られることが怖くなった。相手の顔色を伺うようになったし、怒っている人がいたら出来る限り相手の逆鱗に触れないように息を潜めた。怒っている相手は私が何か発言すると必ずさらに怒りが増すので、自分の意見を言うのが苦手になった。何も言わないのが正しいし、一番平和に済むと思ったからである。

 三つ子の魂百までという言葉がある。幼い時の記憶はずっと残っているものだ、というような意味だ。この言葉通り、私にとって小学生の頃の記憶は今でも心に残っている重しのようなものである。少しずつ小さくなっていくといいなと思う。


 ここまで嫌な記憶ばかり書いたが、実際そんなことばかりではなかったことは書いておきたい。怒っていなければ、優しい母だったのだ。テストで100点を取れば褒めてもらえたし、家に帰るとたまに母がクッキーを焼いてくれていたこともあった。褒められるのが嬉しかったので、勉強を進んでするようになった。今思えば、これも私のネガティブさを作っていったのかもしれないが、当時はただ嬉しいだけだった。

ちなみに、学校ではよく手を上げるタイプの生徒だった。友達に好かれていたかは定かではないが、先生には好かれるような生徒だった。幼少期と同じく、図らずとも大人の求めるいい子ちゃんであったのかもしれない。


友達関係もとても上手くいっていたとも言えないほどだったが、それなりに楽しくやっていたのだろうと思う。そんなこんなで、私の小学校生活は特筆すべきことも無く終わった。

 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る