―39― オーロイアの奇行

 あれから目を覚ましたオーロイアさんがなにが起きたのか? 僕に対してしつこいぐらい質問してきたが、壁抜けのことを隠したいこともあり、なんとか誤魔化してから家に帰った。


「エレレート、ただいま」


 僕はまだ眠っている妹に挨拶をして家に入る。

 今日は色々ありすぎて疲れた……。

 僕は夕食も取らずにベッドに飛び込む。


「結局、なんだったんだ、これは?」


 手には暗闇で手に入れたキューブ状の物体があった。結局これがなんなのかわからずじまいだ。

 そうだ、ステータスを確認しよう、と思いステータス画面を開く。そして、入手したアイテムの欄を開いた。


 ◇◇◇◇◇◇


〈名称未定〉

 コメント作成中。


 ◇◇◇◇◇◇


「なんだ、これ……?」


〈名称未定〉ってどういうことだ? 文字通り受け取るなら、名前がまだ決まっていないってことだろうけど。

 そして、説明欄に『コメント作成中』と書かれていることから、このアイテムはまだ作っている途中だったとか。

 そういえば、入手したさいに『未実装データ』というメッセージが表示されたんだっけ。つまり、誰かが作っている途中で、やめてしまったとか?

 でも、具体的に誰が……?

 世界は神が造ったなんて神話はよく耳にする。僕はそんなこと深く考えたことなかったけど、この〈名称未定〉というアイテムは、もしかしたらそのことを証明するものなのかもしれない。


「うーん、どっちにしろ、これじゃあ使い道はないよな……」


 未完成のアイテムなら、恐らく使うことはできないだろう。仮に売ろうとしても、これじゃあ大した価値はつきそうにない。


「まぁ、いいか」


 これ以上考えても仕方がないことだし、〈名称未定〉というアイテムを床に置いて、それから妹に回復薬を飲ませるなど必要なことを済ませてから僕は眠りについた。



 翌日、僕はなにをしようか悩んでいた。

 結局、〈名称未定〉は床に転がったままだ。冒険の役に立たないだろうし、このまま家に置いたままでも構わないだろう。


「やっぱトランパダンジョンに行こうかな?」


 元々はトランパダンジョンの初回クリア報酬〈習得の書〉を手に入れて、〈物理攻撃クリティカル率上昇・特大〉をさらに成長させるのが目的だったはず。

 けど、色んなことあったせいでそれどころじゃなくなった。


「うーん、トランパダンジョンは今日はいいかな……」


 昨日のことを思い出す。

 人がたくさん死んだことも。だから、トランパダンジョンに行くのはなんだか気が引けた。


「冒険者ギルドに行って考えるか……」


 ギルドに行けば、ダンジョンの情報がたくさんのっている。それを見て、今日行くダンジョンを決めよう。


「エレレート、行ってきます」


 僕は未だ目を覚まさない妹に挨拶をして、家を出る。

 ギシギシ、と開けようとした扉から悲鳴が上がった。

 改めて見ると、ボロい小屋のような家だな、と思う。今は暖かいからいいけど、冬が来ると寒くて大変だ。去年は、父親の形見を売ってしのいだけど、今年はそうもいかない。それまでにはお金を貯めなくては。


 僕は家から歩く。

 家は町の外れにあり、近くには他の家はない。そのせいか、街に行くよりダンジョンのほうが近いぐらいだ。

 それから僕は深くフードをかぶり、僕だとバレないように気をつけながら街中に入った。ギジェルモに遭遇したら厄介この上ない。


「アンリ、あなたならここに来ると思っていたわ」

「お、オーロイアさん……」


 冒険者ギルドの前にオーロイアさんがいた。どうやら僕のことを待ち伏せしていたらしい。


「少し、私に付き合いなさい」

「え、えっと……」

「ついてきなさい」


 戸惑っていると、オーロイアが念を押すようにそう言う。

 その迫力に気圧されてしまい僕は思わず「はい」と返事をしてしまった。


「好きなのを注文していいわ。わたしが全部おごるから」


 オーロイアさんが連れきたのは高級なレストランだった。個室になっており、誰にも会話を聞かれないようになっている。

 従業員も立派なスーツを身に着けており、どう見ても僕が場違いだとわかる。

 こんな高級なレストランに連れてこられるとは。オーロイアさんが貴族だっていう話はやっぱり本当なんだなぁ、と改めて認識する。


「えっと、なんでもいいです……」


 すっかり恐縮してしまった僕はメニュー見るだけでもクラクラしてしまいそうだったので、おまかせにすることにした。


「そう、なら、私と同じやつを頼むことにするわ」


 オーロイアさんはそう言うと、従業員を呼びスラスラとまるで呪文のように注文を読み上げていく。

 従業員がいなくなると、オーロイアさんは髪をイジり始め、特に喋りかけてこなかった。僕はなにをすればいいのかわからず、ひたすらおどおどしていた。

 数十分後に、テーブルに食事が並び食べ始めてからもお互いなにも喋らなかった。


「おいしかった……」


 食べ終わってから、僕は満足してそう口にする。

 こんな豪華な食べ物を自分が味わってもよかったのかな?


「それで、昨日なにがあったの?」


 まるで食べ終わるのを見計らったかのように、オーロイアさんがそう口にした。


「えっと、だから、僕もよく覚えてなくて気がついたらダンジョンの外にいたというか……」


 昨日もオーロイアさんに散々聞かれたとき、同じようなことを言ってなんとか切り抜けた。

 壁抜けのことは誰にも話したくない。もし、下手に話して広まったりでもしたら、誰かに利用されるなんてことを容易に想像がついてしまう。


「全部食べたわよね」

「えっ?」


 オーロイアさんの意図がわからず、思わず疑問形で返す。


「ここが高級なレストランだってわかっているわよね」


 オーロイアさんがなにを言いたいのか流石に察する。ようするに「ご飯奢ったんだから正直に話せ」ってことなんだろう。


「それなら自分の分は自分で払います」


 痛い出費だが、払えない額ではないはずだ。こうなったら今日はプランタダンジョンでお金稼ぎしよう。


「へー、払えるんだ。冒険者として初心者のはずのあなたが」


 うっ……そう言われると確かにおかしな話だ。冒険者として初心者に満たない僕がお金に余裕があるって事実が。

 どうしよう……。

 なんて誤魔化そうか、考えていると……。


「少しいじわるが過ぎたわね」


 と、オーロイアさんは強張らせた表情を弛緩させる。


「別に、無理やり聞き出そうってつもりはないから安心なさい。あなたを食事に誘ったのは昨日のお礼だから気にしなくていいわよ」


 どうやらこれ以上、僕からなにかを聞き出そうって気はないらしい。やっぱりオーロイアさんは優しい人だ。


「それと関係ないけど、昨日の隠しボスのことは冒険者ギルドに報告しといたから、あなたはなにもする必要ないわよ。まぁ、どうやってわたしたちだけがボスを倒してないのに生還できたのか、しつこく聞かれたけど、それもうまく誤魔化しといたから」

「あ、ありがとうござまいます……」


 そういえば新しいダンジョンの情報を掴んだらギルドに報告義務があるんだった、ということを思い出しつつお礼を言う。


「お礼を言うのは私のほう。あなたに助けられなかったら、今頃どうなっていたか……」

「僕は大したことはなにも……」

「あなた、謙遜しすぎるのもほどほどにしておきなさい。それと、男なんだからもう少し堂々としなさいよ。あなたは十分強いんだから」


 強い? 最近やっとモンスターを倒せるようになった僕が?


「そ、そんなことないと思いますけど……」

「ほら、もうオドオドしてるじゃない。そんなんじゃ、女にモテないわよ」

「えっと、僕はあまりそういうの興味ないので……」

「はぁー」


 なぜかオーロイアさんがあからさまなため息をつく。

 僕はただ本心を言っただけなのに。

 そして、オーロイアさんは僕の目を見て、こんなことを言い始めた。


「ねぇ、アンリ。今から私とキスの練習をしてみない?」

「えっ……?」


 意味がわからず、唖然とする。


「キスをすればモテるのも悪くないって思うはずよ。そうすれば、少しは男らしくなろうって気になるんじゃないかしら」


 と、まるで理路整然としてるかのように語るが、全く理解不能だ。


「そのっ、いいですよ。キスなんて、悪いですし……」

「もしかして、アンリはわたしとキスするのが嫌ってわけ?」

「そ、そういうわけではないですけど……」


 そりゃ、オーロイアさんは客観的に見てきれいな人だからキスをしたくない、なんてことはない。ただ、僕が言いたいのはそんな理由で、キスするのは間違っているというか――。


「だったら、問題ないわね」


 と、オーロイアさんはわざわざ向かいの席から隣にまでやって来て、僕に近づいてくる。


「ほ、本当にするの……?」

「わたし、一度やると言ったことは絶対やるのよ」


 まるでオーロイアさんの目が野生の肉食獣のようだった。

 彼女は僕に覆い被さるように跨がり、アゴとアゴを至近距離まで近づけてくる。


「う、うぅ……」


 僕は緊張で固まってしまい、目をギュッとつぶる。

 そして、オーロイアさんがキスしてくるのをじっと待った。


 ピタリ、と唇になにかが触れる。


「あなた、随分とかわいい反応をするわね。つい、虐めたくなっちゃった」


 耳元に囁き声。


「え……?」


 目を開けると、意地悪そうな目つきをしたオーロイアさんが僕の唇に人差し指を当てていた。

 どうやら僕はからかわれたらしい。


「あ、あ……ぅ」


 恥ずかしすぎて火が出るんじゃないかってぐらい顔が赤くなる。今すぐ、ここから逃げ出したかった。



 世の中には吊り橋効果というものがあるらしい。

 吊り橋の上で人に出会うと、その人に対し恋愛感情を抱きやすい。それは、吊り橋で感じる恐怖心のドキドキを恋愛感情のドキドキと勘違いしてしまうせいだとか。

 オーロイアはアンリと別れた後、昨日の出来事を思い出していた。

 昨日戦った隠しボスは恐怖を抱くには十分すぎるぐらい強いモンスターだった。


「………………」


 ふと、オーロイアは自分の人差し指を上に掲げては見つめる。

 さっき、人差し指をアンリの唇に押し当てたばかりだ。

 この人差し指をこんなふうに自分の唇に当てたら、間接キスになるなぁ、とか思う。


「って、わたしは恋をする乙女か!」


 自分のやった謎の行動に自分で突っ込む。

 すると、道行く人がギョッとした表情でこっちに振り向く。そのせいで、余計恥ずかしくなりオーロイアは早歩きでその場を離れた。


「ホント厄介ね……」


 と、オーロイアは呟く。

 アンリにキスをしようと迫ったのにはわけがあった。そうすることで自分の気持ちを確かめたかったからだ。

 さっきから、心臓は早鐘のように打っている。

 アンリの前ではなんとか平然に振る舞うことができたけど、今の自分は人に見せられないほど、顔が真っ赤なはずだ。


「ホント厄介っ」


 もう一度同じことを言う。

 こんなのただの吊り橋効果だ。死ぬんじゃないかってぐらい恐怖を感じたとき、偶然アンリが隣にいたから、こんな感情を抱いてしまっただけ。いわば事故のようなもので、こんな感情、ただの幻想だ。

 そう、わかっているはずなのに――


「もう、ホント厄介ね!」


 そう叫んでも、心臓の音がやむ気配は一向に訪れなかった。


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