108.誘われる音
「さぁ!もうひと踏ん張りよ! 頑張りましょ!!」
食事を終え、最後の一仕事を鼓舞するかのようにエレナがパンッ!と手を叩く。
彼女の言う通り、仕事はほぼ終わったと言っていいほどまで進んでいた。
残りはリビングのみ。それもソファーやクッションの汚れを落とし、後は適当に掃除機をかけるだけで終了だ。
さすがに大掃除といっても排水溝や換気扇などのしんどすぎるところは除外した。昨年の大晦日に掃除したって言うし、また今度でいいだろう。
「私はお皿とか片付けるね。エレナ、私が居なくてもできる?」
「これまでだってできたんだから余裕よ。リオの指示のお陰だけど……」
アイさんは部屋の掃除から少し離れてお昼ごはんの片付けだ。
鍋やお皿など、もしかしたらそっちのほうが大変かもしれない。作ってくれたのに片付けもやってくれて本当に感謝してます。
ちなみに手伝おうとしたら逆に効率が悪くなるからと断られた。残念。
「あり? ねぇアイ、重曹ってどこにあるか知らない?」
「重曹はたしか…………洗面台の下の開きにあったと思うよ。見てみて?」
「りょうか~い」
早速掃除に取り掛かるのか重曹の在り処をアイさんに聞くリオ。
…………あれ?ここってエレナの部屋だよね?
「エレナ。なんでリオは家主じゃなくてアイさんに聞いたの?」
「そんなの決まってるじゃない。 いっつも掃除はアイがやってるんだからアイのほうが詳しいのよ」
「…………へぇ」
案の定というかなんというか。
今日を期にエレナも自らの部屋には気を配ってほしいものだ。
「重曹あったよ~。 でも、もう殆どカラになってた~」
「えっ!? あ!そうだった! そういえば前少ないから買おうと思って忘れちゃってた!!」
すんなり見つかったのかリオは早くに戻ってきた。けれど手にしている袋の中身はスプーン数杯分程度しか残っていなかった。
買い忘れなら仕方ない。俺もよく調味料を学校帰りに買おうと思って毎回忘れるから気持ちは分かる。アイさんは実質2つの部屋を管理してるのだからもっと大変だろう。
「ダイジョブダイジョブ。お茶請け買うついでに買ってくるさね」
「ごめんリオ! その間私の家から持ってくるから!」
「よろしく~」
スマホと財布を手に部屋を出ていくリオ。
別に今日がどうにかなるなら後日でもいいと思ったけど、また忘れてしまうかもだから覚えてるうちに買ってくるとのこと。
確かに。思い立ったら吉日っていうしね。俺も調味料買うのを毎回学校帰りに伸ばさなきゃなぁ…………
「慎也さん、すみませんが私の部屋に行って重曹持ってきてもらえません?」
「え、俺?」
「はい。私は洗い物で手を離せませんし、エレナは目を離すとまたサボっちゃうかもしれませんので」
これから掃除機でもかけようかと思った矢先の、思わぬお願いに驚愕してしまう。
まさか本人が居ない部屋の入室を許可を出すとは。なんだろ、ここまで信頼されると俺って男扱いされてないんじゃないかとも邪推してしまう。
「私はサボらないわよ!」
「でも、今まで掃除してって言ったのにやらなかったのはエレナだよね?」
「うっ!!」
「だから今日はちゃんと掃除すること。 慎也さん、場所はここと同じく洗面台の下にありますので。鍵はエレナから借りてください」
「…………仕方ないわね。 これよ」
アイさんに促されたエレナは大人しく引き出しからカードキーを一枚手渡してくれる。
これがアイさんの…………これがあれば彼女の生活ぶりが…………ってダメだダメだ。信頼して渡してくれているのだから変なこと考えないようにしないと。
「いい? 場所もわかってるんだから取ってすぐ戻ってくること! いいわね!?」
「了解。直ぐに戻るよ。 行ってきます」
カードキーを大事に手に収めた俺はリビングを出、玄関にて靴に履き替えて一旦外に出る。
そしてすぐ隣の扉と向き合って託されたカードキーを読み込ませる。
ピー。
と、小さく音の後、ガチャリと扉の鍵が開く音がした。
よかった。間違いなく彼女の部屋の鍵だ。
そのままドアノブを掴み、アイさんの部屋の扉を開く。
「おじゃましま~す……」
ゆっくりと扉を開けた先には以前見たままの玄関があった。
あの時はエレナも一緒だったし、何より家主のアイさんが居たからまだ良かったが、一人きりだと凄く緊張する。
変な気を起こさないようにしないと。
靴を脱いだ俺は真っ先に洗面所にたどり着く。エレナの部屋とほぼ同じ間取りだし迷うこともない。
そこはほぼほぼエレナの洗面台と同じものだった。多少タオルの柄や化粧品が違うが概ねコピーと言っていい。
たしかこの下の開きだったよね……
「あった……」
目当てのものは案外すぐに見つけることができた。エレナのものとは違いほぼ満タンにある重曹の袋。
これだけあれば間違いなく今日の掃除の分はあるだろう。
じゃあ、目的も達したことだしさっさとエレナの部屋に戻らないと――――
プルルルル―――――
戻ろうとした瞬間。誰も居ないはずの部屋に着信音が鳴り響く。
これは……アイさんがスマホを忘れた?いや、それはない。彼女のスマホは向こうのテーブルの上に置かれていた。俺と同じカバーだから見間違えようがない。
じゃあこの音は…………って、この部屋は!!
「アイさんの……部屋」
着信音の鳴る先は開かずの扉と言われた彼女の個人部屋だった。
しかも閉まっているから諦めようにも、その扉はほんの少しだけ開いていて、見るからに鍵なんて掛かっていない事が証明されていた。
どうする。すぐ戻って知らせるべきか。
気にならないと言われれば嘘になる。エレナも気になっている扉の先、それが今開いているのだ。
そう考えている間にも鳴り続ける着信音。
ありふれた、無機質なコール音が今はまるで誘うようなハーメルンの笛のような感覚に襲われる。
「一瞬だけ。 すぐ取って戻ってくる。そうしよう」
まるで言い訳するような独り言を並べ、ゆっくりとその扉を開ける。
そこはカーテンが閉じられていて真っ暗な部屋だった。
確かに着信音はこの部屋から聞こえる。その場所はもっと奥…………微かに端末の光が見えた。
なんだろう。誰も居ないはずなのに視線を感じる。
どうにも居心地の悪い空気を感じながら真っ直ぐ光の方へ進むと、ベッドらしきものの上にぽつんとスマホ……ではなく携帯電話が置かれてあった。
そこから小さく一粒の光があり、持ち上げると同時に着信音が途切れてしまう。
「切れちゃった……まぁ、アイさんに持ってかないと」
俺は携帯を手に身体を回転させ、出口へと進もうと足を動かす。
けれど、動かない。俺は回転する直前、廊下から漏れる光に照らされた壁にある物に目を奪われてしまった。
――――それは、俺だった。
俺が、幾つもの俺がそこにはあった。
まるで壁を覆い尽くさんとする、引き伸ばされた俺の写真がそこにはあった。
何故気付かなかったのか。きっと闇に目が慣れていなかったのだろう。慣れてしまった今なら分かる。写真が、大小様々な大きさに伸ばされた写真が壁中に貼られていた。
部屋中が俺に包まれていると思ったがよく見ればそれは半数。
部屋の中心を境界として、もう半分は俺ではなくエレナの写真が貼られていた。
更に、見る限り全ての写真には共通点があることに気づく。
それはどれもカメラ目線ではないというもの。
そういう撮り方なのかもしれないが少なくともこの部屋の半分は違う。だって全ての写真において俺はカメラを向けられた自覚がない。
よく見ると、どれもこれもこの夏以降に撮られたものだ。中にはプールで泳いでいた時の、水着姿の写真だってある。
「――――見ちゃいましたね?」
「!? ――――だれ…………!!」
写真に気を取られていたせいでいつの間にか近づかれていることに気がつくことができなかった。
すぐ後ろから聞こえる声に思わず振り返るもそれも叶わず、ドン!と力任せに押されて俺はベッドへと倒れ込む。
そして続くように背後の人物もベッドに乗り込んできて馬乗りに。俺が混乱している隙を狙って両腕を頭の上に押さえつけられた。
「アイ…………さん…………」
うつ伏せになりながらチラリと見えたその顔は、さっきまで見惚れもしていた顔、アイさんその人のものだった――――。
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