101.わからぬ心
トン――――トン――――
と、机にペンを叩く音が聞こえる。
その、なんとなく妙な居心地の悪さに何度も居住まいをただしてしまう。
「さぁて……何から話そうかねぇ……」
目の前に座る神鳥さんはメモ帳をパラパラとめくりながら考えているようだ。
そのメモ帳は分厚く、いくつもの付箋が貼られていて愛用していることが見て取れた。
そんな中、俺はゴクリと息を呑む。賑やかしに音楽が鳴っているにも関わらずその音は彼女にまで届いているような気がした。
けれど黙って次の言葉を待つ。
「……よし、これにしよ。 慎也君って誰のことが好きなの?」
「ッ?!」
いきなりの剛速球。
そのストレートな問いかけに思わず怯んでしまった。
彼女はそのリアクションを見ていたのか、手帳を見ていた視線がこちらに向き口角が上がっている。
「あははっ!そこまで良い反応をしてくれるとは可愛いねぇ。」
「…………俺は別に……! か、神鳥さんこそどうなんですか?恋人募集って言ってましたけど」
「あれは何ていうか、ウチの社員にイジられた結果持ちネタになっちゃってね。私の好きな人は今も昔も変わらないから」
「…………」
しまった。地雷踏んだ。
そういえば神鳥さんは俺の父さんのことが……
確かにこの人はいい人だし嫌いじゃないけど、何ていうか複雑。
「って、そうじゃないんだよ。 私じゃなくって慎也君。キミの恋愛事情はどうなのかな?」
「それはぁ……」
もう一度聞かれて自分の恋愛事情について考える。
俺は一体何がしたいのだろう。
確かに彼女たちのことは好きだ。けれどそれが恋愛なのか憧れなのかはゴチャゴチャになってわからない。
事実、リオに告白された身としては付き合いたい気持ちと、それによって彼女の負担になるんじゃないかという考えもある。
アイドルを辞めてもいい――――
彼女は確かにそう言っていたが、もし本当にそうなったとしたら今まで積み上げてきたものが全て無駄になる。
俺の軽率な言葉でそんな事をするわけにはいかないだろう。それが嬉しくも悩みの原因であるのだが。
「…………もしかして、リオのこと考えてる? あの子慎也君のこと好きだから」
「!? 知ってたんですか!?」
思わぬ言葉につい立ち上がっていまう。
まさか神鳥さんがその事を知っていたとは。
しかし彼女はそれすら予測していたように手でなだめるモーションをとられる。
「本人は何も言わないけどね。でも、あの子のことはこーんな小さな時から見てきたからすぐわかったよ。姪っ子とはいえ家族なんだから」
「そう、ですか……」
こーんなって……流石に指で数センチってことはないだろう。
なだめられるままに大人しく椅子に座るとペットボトルを渡された。落ち着けと言うことか。
「あとはエレナもアイもいるからよりどりみどりね」
「二人はそういうのは違いますって。きっと親愛とかそんなのですよ」
二人のこれまでの関わりを思い出すも、エレナの距離の近さはきっとそういうものだ。弟とか言ってるし。
アイさんは……うん、先日のことは今は考えないでおこう。
「そう?私から見たら脈アリだと思うんだけどなぁ」
「たとえそうだとしても、神鳥さん――――マネージャーからしたらマズイんじゃないんですか?」
「ありゃ、なんで?」
「なんでってそりゃあ……」
稼ぎ頭がそういったことでアイドルを辞められると大損害ってレベルだろう。
仮にでも社長の身だ。学生の俺には考えられないほどのリスクだということは理解しているはずだ。
「――――慎也君。何か勘違いしてるみたいだけど、私としては今すぐ三人がアイドルを辞めてもいいと思ってるのよ?」
「えぇ!?」
「社長という側面からしたら痛手だけどね。でも、三人の親御さんと約束しちゃったのよ。『やりたいようにやらせるし、たとえ売れても辞めたくなったら止めない』ことをね。好きな人ができて続けるもよし、辞めるもよしよ! だからタレント紛いのことはさせてないんだしね」
思わぬ発言に声を荒らげてしまったが、その言葉で得心がいった。
今までアーティスト方面の露出は多くともそこから先に行こうとしないのは三人の方針だと思っていた。しかしそれは神鳥さんなりのリスク管理だったわけだ。
それでも売ることのできる彼女の手腕と、三人を思う心遣いに彼女への評価を改め直す。
「……なんだか、神鳥さんって凄かったんですね」
「でしょう? 見直した分だけ前坂先輩へ言ってくれるならそれでいいよ?」
「それさえなければですけど」
「酷い!?」
いや、当たり前でしょう。
好きな人の子供になんてことを頼むんだ。
でも、神鳥さんには世話になってるし…………
「――――父はクリスマス付近にこっち帰ってくる予定です」
「えっ……いいの? 教えちゃって」
「母さんには止められてますけどね。けど神鳥さんはよっぽどのことはしないってわかってますし、何より母さんが近くに居るはずですから」
「あぁ。 だよねぇ……先輩が鬼門だよねぇ……」
当時の事、はたまた夏祭りのことを思い出したのか項垂れる神鳥さん。
両親の学生時代は一体なにがあったのか。
それにクリスマスと言っても今は9月、まだ四半期程もあるんだし、その頃には忘れているだろう。
「ま、私のことはいいのよ。 慎也君はどうしたいの?」
「俺は…………」
常々考えてはいたが改まって聞かれても何も答えることが出来ない。
できればみんなが幸せな回答を得たいが難しい。何よりまだ高校の身からしたらどういったことが良いのかすら検討もつかない。
「リオのことはどう思ってるの?」
「リオは……いい人だと思います。でも、昔会ったことあるって言われたけど覚えてなくて、夏に初めて会った感覚ですし…………」
「うんうん。自由だけどいい子だよねぇ」
「神鳥さんはいいんですか?姪っ子なのに」
「全然。逆にみんなが一人寂しい思いしなければそれでいいのよ。今の私のようにね」
それは心から実感の籠もった言葉だった。
でも、それにすら俺は答えられない。自分が何をしたいかすらわかっていないから。
彼女はもう俺から言葉を引き出せないと見るや、ライブを止め、シャトルを回してから∨を取り出す。
「まだ慎也君の心の整理がついてなかったかな? また今度改めて話そう?その時にもここ連れてくるからさ」
「すみません……」
「いいのいいの!突然呼び出しちゃってごめんね。 それに週末は大掃除なんだって?ごめんねエレナが」
そこまで情報が通っていたか。
いや、マネージャーなら当然か。
「俺も週末は暇ですし。 神鳥さんこそ忙しいのにすみま――――」
「子供が大人の心配をするのはナンセンスだよ。 思い思いに青春を謳歌しなさい」
俺が謝ろうとした瞬間、∨を持った手が俺の口元に突きつけられた。
青春か……何が青春と呼ぶのかは知らないが、きっとこの悩みもいつか思い返せば懐かしくなるものだろうか。
「それじゃ、帰ろっか。 帰りにコンビニ寄ろうか。デザートおごったげる」
「はい。ありがとうございます」
彼女はチラリとこちらの様子を伺った後、フッと笑みを零して辻田さんの元へ向かう。
これが大人か…………俺は大人の懐の深さに感謝しながら、その背中を追っていった。
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