013.デートのお誘い?
7月――――――
暦上では夏の始まり。
永遠に続くと思われた梅雨も終わり、太陽が見える日が多くなったと思ったら湿度やセミの鳴き声などの不快な…………いや、夏らしい風物詩が一気に訪れる時期だ。
そんな炎天下ともいえる地獄の中、久しぶりのランニングで放出した大量の汗を流すためシャワーを浴びていると、新しくなったハイエンドのスマホが奏でていた音楽を止め、バイヴレーションと共に着信を知らせるコール音に切り替わる。
「…………誰?」
今日は特に予定を組んでいなかったはずだ。
そう思いながら垂れ流しにしていた冷たいシャワーを止め、スマホの画面を確認すると更に顔をしかめる。
「んん……?」
画面に表示されているのは登録されていない電話番号からの着信だった。
唯一わかることは携帯電話からの着信ということだろう。
そういえば最近、詐欺電話や個人情報を抜き取るのが目的の電話が増えているとテレビでやっていた。まさか自分がその対象になるとは思わなかったが。
けれどもしかしたら家族や学校からの緊急連絡かもしれない。もしそうだったとしたら出ないととんでもないことになるだろう。
たとえ詐欺等でも受け答えに注意すればいいだけだ。最悪はい/いいえのみで即切りすればいい。
一つ息を飲み、濡れた手のまま通話をタップし耳に当てる。
『はい……』
『あ! あの、前坂……慎也さんの番号で間違いないでしょうか?』
通話口から聞こえて来るのは女性の声だった。それも声が震え、あからさまに緊張しているといった様子の。
俺の名前を知っているということは知り合いか、それとも調べ上げたか……
『はい』
「あっ……よかったぁ……。 私です、江嶋 愛惟……です』
『えっ、江嶋さん!?』
まさかの人物につい声が裏返ってしまう。
その声の主はあろうことか江嶋さんだった。電話番号を教えた記憶はないのにどうして。
『は、はい。 お久しぶり……ですかね?』
『1週間は久しぶりとはいえないと思いますよ?』
『あっ……そうですよね……えへへ……』
そんな照れ隠しで笑っている声が聞こえてくる。きっと一緒に頭も掻いていることだろう。
俺も通話の相手が知り合いだと安心した。わざわざ彼女が俺に繋げるなんて何かがあったのだろう。本格的に話すためバスタブの縁に座り込む。
『それで……どうかしたのですか? エレナに番号聞いたんですよね……何か大事な用事でも?』
『い、いえっ! 番号は……その……』
俺の問いになにやら言い淀む江嶋さん。
はて、エレナが俺の番号を知っているのは把握済みだが彼女から教わってないとするとどうやって知ったのだろう。
『その…………ごめんなさい!』
『?』
『あのう……怒りません?』
そうして発せられるは突然の謝罪。怒らないと言われても……いったい何のことやら。
『怒りはしませんが、どうしました?』
『えっと……以前スマホを買った時に……勝手に操作して連絡先を覚えていました!すみません!!』
『…………あー』
その言葉でようやく得心がいった。
あの時、スマホを買い換える為預けた際に触って番号を見ていたのだろう。それにしてはよく覚えていたものだ。
『やっぱり……怒ります、よね?』
『いえいえ、そのくらいでは怒りませんよ。 勝手に登録されて唐突に呼び出す誰かさんに比べたら全然です』
『あはは……エレナがごめんなさい……』
どうやらエレナの事を指していることは伝わったようだ。
少し脱線して話すことで段々と彼女の声の震えが収まってきた。ここらへんで本題を促してみることにする。
『もう慣れましたよ……それで、どうしたんですか? 要件って』
『あっ!そうでした! あの……明日って…………空いてますか?』
『? まぁ、空いてますが……?』
明日は日曜日。当然授業も無いし部活にも入っていない。
やることといえば部屋の掃除くらいだがそれはまた別の日に回してもまったく問題ないだろう。
『よかった…………でしたらっ! 私と一緒にお買い物に行きませんか!?』
『…………えっ?』
そんな突然の提案に脳の回転が急ブレーキを掛けてしまう。
なんて言った? 買い物? 誰と誰が?
『…………あぁ! またエレナの差し金ですね! 自分で言わず江嶋さんを使うだなんて困ったものです』
『いえっ!そうではなく……私と弟さんの2人で、です。 だから……エレナには内緒にしてほしいのですが……』
そんなささやくような言葉に手に持っていたスマホを落としかけてしまう。
いいの? 相手は今をかけるアイドルの一員なのに。最近会ったばかりの得体のしれないであろう男相手にそんな事……
エレナ? 彼女はアイドルと言うよりよくわからない事をする人物にカテゴライズされているから問題ない。
『ダメ……ですか?』
『いっ、いえっ! 俺で良ければよろこんで!!』
ついつい立ち上がって姿勢を正して返事をしてしまう。それくらい彼女との買い物は名誉なことだ。
……って、もしかして……これっていわゆるデートというものでは無いだろうか。
『よかった……それでは詳しい事は後でショートメッセージをお送りしますね』
『わ……わかりましたっ!』
突然の約束についつい声が裏返ってしまった。
そんな自分が恥ずかしく思いつつもう一度バスタブの縁に座り直す。
『…………ところでずっと気になっていたのですが』
『はい?』
『ずっと声が反響して聞こえるのが気になっていて……何かされてました?』
声が……反響?
何か通話上の不具合だろうか、こちらは正常に聞こえるというのに。 そうじゃなければ俺の環境の問題か…………あっ。
『すみません! そういえばずっとお風呂場で話していたもので……』
『お風呂場? 掃除でもされてましたか?』
『いえ、さっきまでランニングしていて汗を流すために』
ランニング後のシャワーというものはなかなかどうして気持ちのいい。それが冷たいシャワーならばなおのことだ。
外気が暑いのもあって濡れた身体が体温を適度に下げてくれる。
『…………』
『……? 江嶋さん?』
ふと一切音沙汰無くなったことが妙に思って彼女の名を呼ぶ。
『ということは……通話中ずっと服を着ずに…………?』
『え? あぁ、そういう事になりますね』
『ずっと……裸……ずっと……』
またもや震えだす彼女の声に対してあっけからんと応える。電話だし、誰も見てないしこのくらい問題ないのだろう。
しかし彼女は思うところがあるのかこちらまで届かないくらいの声量でボソボソと何かを言っている。
『えっと、どうしました?』
『!! い、いえっ! 何も考えてませんよ! シャワー浴びてる姿なんて一切想像もしていませんよ!!』
『? はぁ……』
あまりにも高速で畳み掛けるものだからまたもや聞き取ることができなかった。
その後しばらく通話口の向こうからボフボフと柔らかい物を叩く音もつかの間、しばらく待つと彼女の深呼吸の音。
『すぅ……はぁ……。 すみません、取り乱しちゃって……それでは明日、お願いしますね?』
『あっ、はい。 こちらこそよろしくお願いします』
相手に届いてないのを承知で風呂場で一人頭を下げる。こういうのは気持ちの問題だ。
それからお互い黙り込んでしまい、少しの間静寂が流れる。
『それじゃあ……失礼します』
『あっ……あのっ!』
『どうしました?』
もう用事も終わったのだろうと挨拶をして通話を終えようとしたら彼女に呼び止められる。
もしかして切るのが名残惜しいとか!? …………いや、ないか。
『えっと、もしかして……家ではずっと裸で……?』
『えっ、裸? 裸がなんですって?』
『い、いえっ! なんでもないです!何聞いちゃってるんだろ私……。 あ、明日はお願いしますね!失礼します!』
畳み掛けるように言い切ったと同時に聞こえるのはビジートーン。
裸? 何のことだろう。
最後に聞こえた謎の言葉の真意を考えていると、ピコンッ! とスマホの通知を知らせる音が鳴り響く。
アプリを起動して確かめると先程の番号からのショートメッセージだった。
中身は明日集まる時間と場所の簡素なもの。それと最後に一言メッセージが。
『明日、楽しみにしてますね』
絵文字も何もなく、ただただよくある言葉だったが、それでも俺の心を踊らせるには十分だった。
俺は電話が鳴るまで流していた曲を再生し――――丁度ストロベリーリキッドの江嶋さんソロパートだったことに頬が緩み、明日のため扉を開けるのであった。
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