第3話 菩薩、浮く

 合コン。ある者にとっては渇望せしイベントであり、またある者にとっては普通より高い金を払って女の子と飯を食う何とも言えないイベントである。俺にとっては後者であった。


 土曜日。一週間で最も精神が安定していることで有名な曜日だが、残念ながら今日はあまり精神が安定していない。

 本日は意中の相手から誘われた合コンの日でございます。デートに誘った相手から合コン誘われる奴、いる? いるんだよなぁ……。


 紗希さんとのドライブデート以降、我が脳内では無限に反省会が繰り広げられた。脳内会議の論点は、紗希さんに今後もアプローチしても良いものか、である。会議は混迷を極めた。結論が出たかと思えばまた異論が唱えられ、脈なし派と脈あり派の主張はどちらも最もらしい論拠を声高に叫び、右が雰囲気は良かったと叫べば左は雰囲気なんて脈には関係ないと冷静に叫び、片方が白と言えば片方が黒と言い、会議は一向に閉会する様子が無かった。

 週末に合コンを控えた月曜日での結論としては、「考えるのをやめて、今後のことは当日の現場判断で決めるべし」というあまりにも無責任な結論であった。これが二週間の成果物か、ふざけるな、責任者出てこいと言いたい。というか言った。思った時には既に言っている。すぐ近くにいるしね。返答は「わかる笑」であった。ふざけてる。

 

 そして当日。我々会社同期三人組はゼロ次会と洒落込み、市内にある会場近くの飲み屋でぼけーっと海外のサッカー試合を眺めていた。往来は土曜にしては気持ち少ないかなといった混雑具合で、高層ビルに囲まれた路地は少しだけうら寂しい印象を受けた。六時過ぎだが店内もまばらで、絶好のゴールチャンスを逃した選手に対する解説の辛辣な言葉がやたらと耳に入ってくる。

 見た目だけは良いことで有名な佐々木淳之介が、その中身の残念さを隠すことなくぽけーっとした口を開く。

 「何時からだったっけ?」

 「六時半」

 スマホを見つつやる気なさげに返答したのは堀口啓亮ほりぐちけいすけ。系統は違うがこちらも好きな人が一定層いそうな顔の良さだ。ダウナー系ですね。

 淳之介が腕時計を覗き、あと三十分ね、と呟く。


 この三人組で結構な数の合コンを共にしているが、残念なことに一人も成果を残せたことがない。入社して五年、既に二桁回数は余裕で行っているにも関わらずこの成果、導き出される結論はこの三人組駄目なのでは?ではあるが、淳之介は顔が良く陽キャ属性持ちなので合コン自体は盛り上がるし、ここに系統の違う堀口を混ぜることで、対外的にはなんとかなってる三人組が出来上がっているはずなのだ。三人目はもう誰でもいい、ってやかましい。ともかく、この三人でいつかは――そんな思いを胸に、まだ見ぬ素敵な出会いを求め俺達は財布の紐を緩めるのだ。っていうことにしてる。心は大分すり減ってる。

 「ゼロ次会で出来上がりそうなんだけど」

 淳之介の声は、楽しみを前にした感じでは全くない。すり減ってるのは俺だけじゃない。どうしてこうなっちまったんだろうな俺達。

 「多分良い感じの相手だから、あんま粗相無いようにしろよ」

 すると、二人とも嫌らしい感じの笑みを浮かべた。

 「喫茶店でナンパした相手ね?」

 「喫茶店でナンパしてデートまでした相手のご一行ね?」

 「やめろ、その言葉は俺に効く」

 へらへらとした感じで笑われる。嫌な奴らだ。


 ニ十分ほど適宜いじられつつぐだぐだと過ごし、十分前に会場入りする。ここらへんは雑多に飲み屋だったりよく分からないオフィスがあったりするエリアで、会場の居酒屋も外装はいたって普通の飲み屋だが、内装は少し暗めで落ち着いた和風テイスト、完全個室、料理もおいしく、数年前に見つけて以来、セッティングする時は大体ここで合コンをしていた。

 部屋に入り、平静を装いつつも内心そわそわしながらその時を待つ。……いや、何をそわそわすることがあるのだ。脈は無い。俺は菩薩。合コンのコーディネーター。今日はお料理を頂きに来ましてよ。……なんて考えてても辛いだけなので、何というか、何も考えずに楽しもう。そうそう。アルカイックスマイル、アルカイックスマイル。


 LINEで紗希さんから連絡された通り、六時半ジャストにお相手の三人は現れた。

 最初に入ってきたのは顔のとても良い陽キャギャルっぽいお方。緩くウェーブのかかった明るい茶髪ロングヘヤーはいかにも強く、柔らかそうな革ジャンも似合っていて戦闘力が高すぎる。次に、清楚お嬢様っぽいふんわり明るめ茶髪ロングの方。見た目も雰囲気も癒し系といった感じで、こちらも戦闘力が高い。諜報員タイプか? そして最後に、我らが紗希さん。装飾の施された白のブラウスに膝丈の黒スカート、薄手のストッキングにヒールと、綺麗系?な感じ。……なんか、結構気合いが入ってません?そんなに合コンしたかったん?とか思う心を封印し、素直に可愛い~と思っておくことにした。しかしこれレベル高すぎんか?


 「こんばんは! はじめまして」

 「こんばんは」

 「こんばんは~」

 「どうもー! とりあえず飲み物どうします? 生の人?」

 淳之介のテンションが露骨に上がり、勝手に音頭を取り出した。堀口はいつも通りダウナーのご様子、一方俺は落ち着かないよ。目の前に紗希さんが座られたからね。

 五人がビール、残りのふわっとした感じの方はピーチハイを頼んだ。

 「飲み物待ってる間に早速自己紹介していきますか。じゃあ堀口から」

 中央に座っている淳之介がやる気ありモードで場を進める。楽である。ありがたい。しかしこうなるといよいよ俺の存在意義は無い。

 「あ、俺から?」

 「俺真ん中座ってるし」

 「ああ……堀口啓亮です。以上です」

 「うっそだろお前。インドア派ですか? アウトドア派ですか?」

 言葉数の少ない啓亮に対し淳之介がつっこみを入れる。コミカルな言い方に場が大分和らいだ感じがして、やっぱこういう中心人物的な奴はすげーなーと思うなどした。陰キャすぎる。

 「インドア派です」

 「高校の部活は何してらしたんですか?」

 「帰宅部です」

 「ご趣味は?」

 「ギターです」

 自己紹介を秒で終わらせようとする堀口に、淳之介が次々と質問を投げかけていくと、真ん中に座っている眩しすぎるギャルのお方が続けた。

 「彼女いない歴は!」

 「……えー、二年ぐらいです」

 「おーいいねー!」

 何がいいのか全く分からないのだが、彼女が言うのだからいいに違いない。何かそんな感じの人だった。圧倒的陽キャ。怖い。

 「よし、じゃあ次。佐々木淳之介です」

 「名前かっこよ!」

 「あざす。よく言われる。インドア寄りのアウトドアで、中高はテニスやってました。趣味は筋トレと漫画です。よろしくお願いします!」

 「彼女いない歴は!」

 すかさず真ん中の君が問いかける。

 「彼女いない歴はー……えー、あー、ああ、三か月ぐらいです」

 言い淀みつつ天井に目線を送っている男に対し、対面のギャルとふわふわが突っ込む。

 「……三か月前なのに考える時間長すぎない?」

 「長いねー」

 こうして相手方と会話になれば一安心だ。女性陣もなんとか盛り上げようとしてくれてる感じがする。この段階でお相手ヒエッヒエとか結構ありますからね……。

 「過去を引きずらないタイプです!」

 「なるほどねー?」

 納得してもらえたようだった。ほい次、と淳之介に促される。緊張しいなので、こんな自己紹介の場でも結構嫌な感じになる。弱キャラだもの。

 「えーと、立花伊織です。インドア派だけどドライブとかは好きです。趣味は堀口と一緒でギターです。よろしくお願いします」

 「彼女!」

 「三年!」

 いざ真ん中の君に視線を向けられると妙な威圧感を覚えた。これが……強者……。

 「あははっ、いいね。じゃあ今度は……そのまま時計周りで、紗希」

 「ん。水上紗希です。インドアです。えーと趣味は……読書とかです。よろしく。あ、彼氏は一年弱いないです」

 先回りしてる……。

 「終わり?」

 「終わり」

 妙な感動を覚えた。紗希さん、まじでクールすぎる。

 「んじゃ、森野春乃もりのはるのです! 彼氏いない歴三か月! あと何だっけ。あ、インドアアウトドア両方でーす。ショッピングとかドライブとか、あとネトフリとかが趣味です。よろしく!」

 煌めいてるなぁ。喋るたびに何か星みたいなエフェクトかかってる感じする。怖い。

 春乃さんがふわふわさんを促す。

 「森田愛理子もりたえりこです。みんなからは森田の「も」と愛理子の「え」をとって「もえ」って呼ばれてまーす。インドア派で、読書とか、漫画とか映画も好きでーす。あとドライブも好き。よろしくお願いします~」

 「彼氏は?」

 淳之介が質問を振る。

 「えーと、半年ぐらいいないかなー」

 丁度自己紹介が済んだところで飲み物が届き、とりあえず乾杯する。勿論勝手に淳之介が音頭をとった。

 「んじゃ、今日はいっぱい話しましょうってことで、乾杯~」

 「「乾杯~」」


 合コンなんて学生時代全く縁の無かったオタクも、社会人になり二桁回数合コンを経験すると、大体の進行プロシージャーみたいなものは身に着くようになる。特にこの三人は回数こなしてるのもあって、何となくの回し方は勝手知ったるものだった。

 「三人はどういう繋がりなん?」

 というわけで会話初手は大体ここから始まる。司会は佐々木淳之介。回答者は森野春乃さん。

 「えっと、私と紗希が高校大学が一緒で、そんでもえは大学からの仲だから、もう結構長いよね?」

 「そうだね~。もう七年とかだね~」

 「へーすご! めっちゃ仲良いじゃん」

 「そうなんすわ~仲良いんだわ。なっ、紗希?」

 「…………」

 「おい」

 「亀裂走ってない?」

 「いや、これこそ仲の良さよ」

 「確かに?」

 思わずつっこむ男性陣。てかあれ、確か紗希さんって高校大学は……。

 「てことは三人とも大学は東京だったんですか?」

 「お、よくご存知で。あ、紗希情報?」

 「あ、そうです」

 好奇の目線が春乃さんともえさん、そして淳之介から向けられる。やばい……言うんじゃなかった。目線を紗希さんに向けると思いっきし逸らされた。ディスイズハリノムシーロ?

 「そっちのお三方はどういう繋がりなんですかー?」

 紗希さんとの関係を改めて深堀りされるのに身構えていると、もえさんが話を振ってくれる。あれ、むしろこれ腫れ物になってる感じ? 辛いよ?

 「俺たちは……」

 淳之介がこちらを見たので、思考をリセットして口を開く。

 「ビジネス上の関係?」

 「そう、それ」

 「ふっ、ちょっ、それ仲良くなくない?」

 「仲良くないね」

 「所詮ゲームと漫画とゴルフで繋がってて惰性で昼飯一緒に食ってたまに飲みに行く程度の関係だもんな俺ら」

 「それ仲良くない?」

 「一緒にはよくいるな」

 「それ、仲良くない?」

 といういつもの下りで女性陣との距離を詰めつつ、食事が次々と運ばれつつ、会話も食事しながら、楽しい時間をしばし過ごした。というか基本淳之介と春乃さんともえさんが一生喋りつつ、会話を振っていくって感じだった。


 とりあえず判明した情報。三人は都心の某私大出身。春乃さんと紗希さんはメーカー勤め、もえさんは市役所。春乃さんは高校テニス部、もえさんは吹奏楽部、紗希さんは陸上部だったらしい。春乃さんはテニスあるあるで淳之介と盛り上がっていた。あと、春乃さんのインスタの話とか、啓亮のギターがうますぎる話とかでも盛り上がってた。ついでに俺が高校美術部という話でも少しだけ盛り上がった……。永遠に付きまとわる黒歴史である。

 全員での会話も少し落ち着いた中で、紗希さんから声がかけられる。

 「ここ、おいしいですね」

 正面に座る紗希さんは相変わらず綺麗な箸遣いで、ちゃんと食べ終えてから話す。

 「初めて来られました?」

 「うん、初めてだと思います」

 「お口にあって良かったです」

 「はい」

 右手では、淳之介ともえさんが漫画について語っているようだった。この男は見た目に反して年間百冊漫画を読むタイプのオタクである。結構盛り上がってるみたい。こっちの盛り上がり方との対比がえぐい。嫌でもこの前のドライブのことを思いだしてしまう。辛いよぉ……。けどまあ少し冷静に考えると、俺が勝手に抱いている紗希さんとの信頼関係では、自然体で淡々と会話するこのスタイルがパフェコミュなので大丈夫なはず。大丈夫か?

 しかし紗希さん、前の時の印象と一切変わらず愛想を振りまく気がないようで、俺だから塩対応されたという訳ではないのが証明されたのはちょっと嬉しい。分からんけど。男性陣三人が駄目という可能性も全然あるけど。

 いずれにせよ愛想を振りまく必要が無いのは改めて強すぎる。どういう学生時代を送ってたのかすっげー気になる。幸いここには高校時代の彼女を知っている春乃さんがいるのだが、残念ながら俺にはそれを聞くだけの度胸が無かった。悲しいね。

 「紗希さん、俺だから塩対応、みたいな話しましたけど、本当にこんな感じなんですね」

 「そうですよ。陰キャですから」

 「陰キャってより強キャラって感じしますが……」

 「受け取り方次第だと思いますが、それって結局陰キャじゃないですか?」

 なるほど……?

 「……陸上部だったのって、あんまチームプレイが無いからだったり?」

 「あ、はい、そうです。……中学はバスケ部だったんですけど、人間関係が面倒くさくなって」

 「あー……なるほど。凄い偏見ですけど、紗希さんって勝手に敵が増えていってそう。……って失礼ですね、すいません」

 「ふっ、いや、合ってますよ。高校も春乃がいなかったら結構アレだったかもしれないです」

 「呼んだ?」

 すぐに春乃さんが反応する。地獄耳か?

 「……何でもない」

 「春乃さんがいたおかげで紗希さんの高校生活が快適になったって話をしてました」

 このパス完璧なのでは? 紗希さんか嫌そうな顔するのも含みで勝ちである。本当か? 好感度下がってっぞ? あと紗希さんツンデレか?

 「快適? どういうこと?」

 「その……敵が減った、みたいな?」

 「あーーーね、あ、そういやミコ結婚したで紗希」

 「いや、本当にどうでもいい」

 「あっはは、そりゃそうだ」

 ……今の流れだと、ミコさんとやらとひと悶着あったのかしら……? 内輪ネタぶち込み力よ。と思ってたら、わざわざ春乃さんが分かるように解説してくれる。良かった、会話に俺も入ってたらしい。

 「いや、めっちゃはしょって説明すると自分の仲良い好きな相手が紗希のこと好きになっちゃったみたいな? それでこじれたみたいな漫画みたいな話。あの時は面倒くさかったわ本当! ていうかそうだわ、紗希ちょくちょく面倒くさい話あったよねー」

 「本当良い迷惑だった」

 「確かに、ウケることに紗希まじで何もしてないんだよねー。あれは今考えても笑っちゃう」

 なるほど……強者ゆえの苦しみ的なアレか? 有名人税的な。

 「それが、春乃さんのおかげで大分軽減したんですか」

 「あー確かにそれあるな。紗希さま、そこんとこどうなんですか?」

 「……何? 感謝してるけど?」

 「何で喧嘩腰なん? ツンデレすぎる」

 この二人も大概不思議な関係だな……。女子女子した感じのない仲の良さみたいな印象だ。


 一時間半、主に春乃さんと淳之介が喋り倒し、楽しい時間を過ごすことが出来た。こう……新しく知り合った友達同士的な。ここの場で恋愛に進展する組はいるのか、今後の展開に期待。俺? 俺は視聴者だよ。

 三人だと席替えみたいなものも無く、多分啓亮と紗希さんはほとんど話していない気がする。ただ、啓亮はなんだかんだで春乃さんやもえさんと話をしていたみたいだった。淳之介は気を遣ってくれたのかあまり紗希さんに絡みもしてなかったし、とすれば紗希さんの合コンは脈の無い男とぼちぼち喋っただけという、割と具合の悪いものになるが、そこはまあ深く考えない方向で……。考えてもどうせ傷を深める結果にしかならん。

 終点間際で恒例の連れションタイム&支払いどうするか会議が行われ、淳之介の「まあ払うか」に啓亮も俺も合意し、さっさと払って店を後にした。戻ってから女性陣にその旨伝えると、じゃあ二次会は私達が払うわ!ということになり二次会へ。照明は暗いけど人は結構入ってる店に適当に入り、そこから更に一時間ほど歓談して九時になり、そろそろ解散しますか、ということになった。ちなみに席順は淳之介と啓亮が入れ替わり、俺は再び紗希さんの前になった。紗希さんのことを考えると何か悪い気がしてしまうが、でも先にこっちが座ったのであてぃし悪くない。というか紗希さん、三人とも微妙だった感じかなぁ……。


 まだまだ夏の気分が抜けないが、九月ともなると夜はそれなりに冷える。適当に会話をしつつ駅前につき、解散の流れとなった。ちなみに移動時も横には気付けば紗希さんがいた。もしかして私、男避けに使われてたりします? 辛すぎん? それとも私に気があるのかしら! てへっ。本当にそう思いますか、あなた? ぐぅ……。

 「んじゃ、今日はごちそうさまでした!」

 「こちらこそ楽しかったわ! また遊びとか誘うかも!」

 「おっけーい!」

 淳之介の言葉が定型文なら春乃さんの返答も定型文であった。行けたら行くの奴と同じ奴。つまり……いや、皆まで言うまい……。

 「皆はJR? 紗希は名鉄だよね」

 春乃さんの問いかけに淳之介が答える。

 「俺と啓亮はJRだけど伊織は名鉄だよな」

 あら、二人っきりかしら?

 「じゃあ伊織くん、しっかり紗希送っていってね!」

 「あ、はい」

 ふと紗希さんを見ると目が合った。

 「……よろしく」

 「あっ、はい」

 「……」

 謎の間。

 「んじゃ、二人はここでだね! またねー!」

 「ありがとうございました!」

 手を振り挨拶を済ませる。

 「じゃあ、帰りますか」

 「はい」


 電車のモーター音が高くになるにつれ、体が右に引っ張られていくのに耐えていると、左肩が同じく右に引っ張られた紗希さんの右肩と密着する。俄然耐えるのに身が入るというものだ。車内の席はほぼ全て埋まっていて、数人が立っているぐらいの混雑状況だった。隣との間隔も気持ち狭い。役得オブ役得。

 今日の総括。紗希さんは可愛い。そしてクール。これからも仲良くできるならしていきたい。……無理じゃないかなぁ。そもそも出会いからして偶然だったわけだし、共通の趣味といってもシャニマスだし、紗希さん別にオタクって訳ではないみたいだし。こういう関係って続かないですよね、経験あります。とすれば、俺に出来るのは残された時間を最大限楽しむだけだ。悲しいね……。しかし合コン時に比べ頭は回る。やはり俺は一人でいる時が一番調子が良い。そういうことだ……。


 まばらに会話をしつつ、気付けば次で俺が降りる駅だった。そこから更に十分ほどで紗希さんが降りる西駅になる。これが最後になるかもなぁ……などと思いつつ、最後に彼女の姿を目に収めようとちらりと左に視線を送ると、隣の不審者の視線に気付いたのか紗希さんがこちらを見返す。びっくりした。さりげなく視線を外そうとすると、彼女が口を開いた。

 「あの……伊織さん」

 「はい?」

 「水族館、好きですか?」

 「……好きですよ?」

 癒されるよね、水族館。

 「行きませんか……二人で」

 「行きます」

 ……えっ?

 「……えっと……えっ、と?」

 えっ?

 「いつ、空いてますか?」

 「あ、えっと、え、いつでも空いてますよ」

 「再来週の土曜とかでも?」

 「ちょっと待ってくださいね……」

 スマホのカレンダーアプリを立ち上げる。うん、今月そもそも今日しか予定無かったわ。

 「あ、空いてます」

 「じゃあ……どこ集合にします?」

 「あ、全然車出しますよ……名港ですか?」

 「あっ……はい、名古屋港水族館でお願いします」

 心無しか紗希さんの顔が赤らむ。目的地を告げていなかったから? 紗希さん、何か焦ってる? てかこれ脈あることない?

 「お昼各自で食べて二時に集合とかでいいですか? 伊織さんの最寄り駅で拾って頂ければ」

 「大丈夫です。あと普通に西駅まで行きますよ」

 「……いいですか? では、お願いさせて頂きます」

 「承りました。では二時に西駅で」

 会話を終えたタイミングで、電車は速度を徐々に落とし、窓からは駅のホームが見える。荷物を確認し席を立つ。頭は相変わらずパニックでございます。

 「では……今日はありがとうございました、楽しかったです」

 「こちらこそ、ご馳走様でした。では……また再来週。おやすみなさい」

 「はい、また再来週。おやすみなさい」

 ホームに降りて振り返る。ドアが閉まり電車が加速していく中、紗希さんと視線が合う。彼女が控えめに手を振っているのを見て、こちらも手を控えめに振った。

 え?なにこの急展開。え?脈? というか俺の脈はまだある?


 駅から家まで十分ほど歩く。住宅エリアの駅なので、お店は少ないがこの時間でも帰路につく人は多い。

 普段この時間に家に帰る時はへとへとになっていて、体をひきずりながらなんとか家を目指す。それが今晩はどうだろう、足取りは軽く、まるでスキップでもしそうな浮遊感に包まれていた。

 いや待て浮かれるな。正直、もうこれあるんじゃないですか!?としか思えないシチュエーションではあるが、一方で人生というものはそんなに楽しいもんじゃない。まだあるぞ……ここからのウルトラCが。ウルトラCってなんだ? というか実際、ここからあり得る逆転劇って何があるんだろうか。逆転劇というか、転落劇ですね。だって、もうこんなん勝ちじゃないんですか? もう勝ったと言っても過言? 勝ち勝ち山? ……冷静になれ、クールになるんだ。

 ていうか……そうか。もうこれ恋人同士になれるんじゃね?紗希さん俺のこと好きじゃね?と思い込んでいたが、普通に友達として付き合い続けてくれるとか、そういう類の可能性が普通にあったな。舞い上がってた。いや……そうか。体の浮遊バフが解除される。

 でも……それは全然悪くない。そもそも生きる世界が割と違う感じはするし、そんな中で共通の趣味があって、相手方はなかなかそれを共有出来る友人がいなくて、そのニッチ枠に俺という存在が入り込んだ。この解釈は割としっくりくる。帰りの電車でも新イベの解釈で盛り上がりましたし。そう、まだ彼女と出会って三回だ。その三回で、自分という男を自分の交友関係に入れてもいいと思ってくれたのなら、ほぼ最良の結果では無いだろうか。

 いやでも。でもですよ。やっぱ冷静に考えて、これ大分チャンスありませんか? 合コンに誘った相手を今度は差しで水族館デートですよ? いや、これやっぱ浮遊バフ付けてていい奴じゃない? 今五ミリぐらい浮きそうよ我?

 街灯のオレンジの光はいつもよりぼんやりとしている。なんか、世界の輪郭が崩壊したみたいな感じだ。なんというか、現実じゃないというか。……まあ、こういう感じで女性に振り回される、というか勝手に振り回されてる経験も初めてである。これが……ガチ恋。

 水上紗希。紗希さん。彼女は一体どういう女なんだ。この一連の行動にはどんな意味があるんだ……!?

 いや、まあ。経験上、いくら深読みゲーミングをしたところで、実際は大したことないというのが大抵の結末だ。自分が思うような甘い展開が待っていることは基本的に無いし、各登場人物に深い行動原理みたいなものは無くて、結構軽い気持ち、気まぐれのような行動を得てして勘違いしていることの方が遥かに多い。文系オタクの欠点といってもいい。

 そう、俺が出来ることは、来週ゲームキャラの現実版美人とデート出来るということを、純粋に楽しみに待っておけば良いのだ。そうそう。楽しもう。魚見よう。クラゲとかも見よう。そんで水槽の光で青くなった紗希さんを見てノクチル感~って思おう。


 何てことをベッドに入っても永遠と考え続けてしまった。LINEではグループラインが出来ていて、とりあえずお礼の文章だけ打ち込み、男三人のグループラインは無視して、そのままスマホを見ないようにした。俺にはいっぱいいっぱいじゃ……。ぐるぐるしとんねん、思考が。

 そうしてなかなかその夜は寝付けず、翌日の起床は昼の二時になるのであった。いやこれはいつものことや。

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