第2.5話 帰宅後
「
家に帰って、化粧を落として、部屋着に着替えて。コーヒーを淹れて、ベッドに座って。そして、高校からの長い付き合いである森野春乃に連絡すると、彼女はいつも通りすぐに電話に出た。
『例の奴ってなんじゃ。あちょっとまって。合コン? えまじ?』
「まじ」
『おーさすが! あんたはやる時はやる子だってあたしゃ知ってたよ! えで相手は?』
誰目線なの。
「この前言った人」
『えっ例の喫茶店の人? えっちょっとまって、君ドライブデートに誘われたとか言って無かったっけ?』
「さっき帰ったばっか」
『はっや。行動力。いいねーいいねーそういや年いくつか分かった?』
「同い年だって。一緒に来る人は分かんない」
まあ、近しい年齢の人が来るんじゃないの。
『ほいほい。え、でドライブデートはどうだったん?』
「楽しかったよ。知多の灯台がある砂浜あるじゃん、あそこに行ってきた」
『あーあそこか、定番じゃん。いいねー。えいやいやちょっとまって。え何、良い感じにはならなかったけど、良い感じの人ではあったってこと?』
「……」
痛いところを突かれ、つい黙り込んでしまう。そして、言うべきかどうか迷う。迷いつつ、コーヒーに少し口をつける。
『……いや何その反応。え? 何――』
「あの、春乃」
『あはいなんでしょう』
「その、
『はい』
「…………」
めちゃくちゃ言いたくない。
『はよう言え! 言い訳探してる子供か!』
「……あの」
『はいなんでしょう』
「その……相手の主催の、伊織さん……手、出さないで」
『…………』
「…………」
『おい紗希よ』
「はい」
『するってえと、あれかい。君は伊織さんとやらが好きなのかね?』
「……分からない」
『ぶっ、その反応、完全に「今まで恋愛を知らなかった奴が恋に落ちた」みたいな反応じゃねえか!』
相変わらずよく口の回る女だ。
「ち、違う! と、思うけど、分かんない……」
勢いよく否定したものの、尻切れトンボだった。
『いや分かんなくなくない? だって私かもえが伊織さんに手を出したら嫌なんでしょ?』
「……出してほしくない」
『何だこの女。あれちょっと待ってよ……? あれ、そもそも伊織さんの感触はどうだったの?』
「……悪くなかったと思う」
今日一日を思い出す。本当に、悪くなかったと思う。伊織さんがどうだったかは分からないけど、少なくとも私は相性が良いなと思ったし、良い雰囲気だったと思う。伊織さんも、結構私のことが気になってた感じだったし……私が最後に合コンに誘わなければ。
『とすると。いや……あのさぁ』
春乃は真相に気付いてしまったようで、スマホから溜め息が聞こえてきた。やめてほしい。私だって家に帰るまでに死ぬほど溜め息をついてる。
『なんか、もう君自身分かってるみたいだし? あえて言うのも酷ですけど? 何、あなた良い感じの雰囲気だった相手に、合コンを持ちかけたわけ?』
「……そう。分かってる、言わないで」
『いや……流石に言うでしょ。あれ、紗希さんって恋愛経験の無い処女でしたっけ?』
「あるし処女じゃない」
『知っとるわ! ……いやーこれ相手がもし紗希のこと好きになってたらめっっちゃ可哀想すぎるな。しかも両想いだったのにな』
『………………』
過去形にしないで欲しい。実際にそうなってる可能性があるのが最悪だった。
『実際なぜにそんな馬鹿なミスを?』
本当に、本当に思っても無いミスだった。
「……その。……くっ……あー、本当馬鹿」
レストランを出た後の伊織さんの顔を思い出す。僅かに失望した表情と、それをすぐさま切り替えて、一枚仮面をまとったような表情。思い出して、お腹が痛くなってきた。
『……話してみ』
「……レストランから出る際まで良い感じで。なんか、凄い普通で。その、良い意味で。でも、だからこそ何か焦っちゃって。もしかして、普通に楽しかったな、終わり、みたいな。それで次誘って貰えるのか不安になって、若干焦って。気付いたら……頭にちょうど……浮かんできて。これなら次があるって……」
言えば言うほど惨めな気分になってきた。自分のことを良く思ってくれてるかもしれない相手、しかも自分も同じくいいなと思ってる相手を、かなり惨めな状況に陥れてしまったのではないか。……ていうか、駄目だな。今ようやく気付いたけど、伊織さんのことをかなり意識している。まだ付き合うどうこうまでの心構えは出来てないけど、それでも、友人二人が彼に対してアプローチして欲しくない程度には。多分、それって結構だ。そんな相手を。多分、相手からは「ああ、この人は俺に気は無いんだろうな」と思わせただろう。……お腹だか心だか、よく分からないけどかなり痛くなってきた。
『……まあいつになく紗希の落ち込んでる様子は伝わってきたけどさ。……いや、むしろチャンスと捉えよう。切り替え大事。で? 君は伊織さんを手に入れるためにどうするんだね? ちゃんと考えてるんだろうね? 自分の失敗は自分で拭ってもらうよ?』
「……分かってる」
『あ待って、二度手間になるからもえ呼ぼうぜ』
春乃はちゃっちゃと
『えーーっさきさきが好きな人見たーい!』
『だから見れるんだって。ていうかあんた達いつ空いてるのよ。私は三週間後なら土日は両方夜いける、四週間後は日なら大丈夫』
『私は十二が駄目だけど、十一は行けるよー。四週間後は両方おけー』
「……なら、三週間後は土曜、四週間後だったら日曜ね」
手帳を見つつ答える。明日伊織さんにLINEしておこう。
『了解、あけとくわ。で? 紗希君の合コンの作戦を聞かせて貰おうか』
『貰おうか~』
「……伊織さんの前の席、私が貰う」
『はいはい、それで?』
「……えっと」
『……それだけでどうにかなる自信が?』
……そう言われると、無い。そもそも自信があったらこんなことになってない。
『……はあ、もえ。作戦会議すっぞ』
『うぃーす。あ、私お酒とってくるね』
『あ、私も飲も』
そして唐突に、合コンの作戦会議という名の飲み会が開催された。このメンバーとはそこそこの回数合コンに行ってるけど、作戦会議は初めてだ。気恥ずかしさとか、失敗した後悔とかもあるけど、何だかんだでこの女三人が楽しくて、まあいいか、と思えた。なんてこと言ってしまうと、春乃に「落とす気があるのかバカモン!」とか言われそう。
『いやーしかし紗希の恋バナもなんか大分久しぶりじゃない? 良かったわ君に人の心が残ってて』
『恋する乙女に戻れたんだね~』
「失礼な……」
こいつらは私のことを何だと思ってるのだろう。
『でも紗希が好きになる相手、私も結構気になってきたな。紗希にお出しする前に私が毒見しよっか?』
「本当最低。駄目」
『あーはっは、冗談だって。そんな怖い顔しないでよ』
『えビデオ通話だったっけこれ?』
「してない」
怖い顔は多分してる。表情を言い当てるな。
『まあ、とりあえず紗希はさっき言ったことちゃんとやりなよ? といっても私たちも普通にやって、それで伊織さんが私たちに惚れちゃっても文句言わないでね』
少し想像してしまい、心が不快にざわつく。
「……言わない」
『うわーさきさきいやそー。私はなるべくサポートするからね~』
『いや私もサポートはするけどさ。でも良い男だったらとっちゃうから』
「どうぞご勝手に」
いつしか右手にしていたビール缶を煽る。春乃が少し前に勝手に置いていって以来放置されていたビールだ。
『つっても昔から紗希と男の趣味被らんからなー。私は彼が連れてくる二人に期待しておこう』
『楽しみだね~』
楽しみ、ね。私はどうなんだろう。
そもそも、こんな作戦もどきを立ててまで付き合いたい相手なのだろうか。春乃にしてみれば、とりあえず付き合わないと分かんなくない? と言うだろう。確かにその通りだ。そして、ここまでの彼の印象は、少し驚くぐらい良い。
私は今まで告白をしたことが無い。多分、そんなに恋愛に向いていないのだろう。結構な回数告白はされてきた。最初の方は嬉しかったし、断る時は罪悪感もあったけど、今ではもう不快だ。自分は幸せになれないし、相手も幸せになれない。心の底から無駄だなと感じる。もっと可愛げのある性格だったら良かったのに、と思うけど、こうなのだから仕方が無い。
数少ない例外が、二人目の恋人だった。あの人とは波長が合っていたと思う。ただ、彼の波長は時折凄い乱れて、それに乱されて、傷付いたし傷付けた。変わった人だったけど優しかったし、自分も同じく変わった奴だ。この人とずっと一緒にいられないなら、自分は多分、誰ともずっと一緒にいられないんだろうな、と思った。
そんなことを言ったら春乃に馬鹿にされ、口車に乗せられるままに三人目の彼氏と付き合って、何も無くて別れた。自分は恋愛に向いてない。つくづくそう思った。
けど。頭の中に顔が浮かんできた。変に肩肘を張る必要も、演じたりする必要も無かった。何でかは分からない。波長。そんな言葉が思い浮かぶ。彼と一緒にいる時は、自然で、リラックスできた。春乃や愛理子と一緒にいる時みたいに。そんな相手は多くない。恋愛感情なのかはあんまり分からないけど、それでも仲良くなりたいな、と思った。
一度意識すると、ふとした時にもそのことについて考える。そのうちに、だんだんと気持ちは大きくなっていって、いつしか固まっていた。
そわそわしている内に三週間後は二週間後になり、一週間後になり、ようやく当日になった。
ああ、これはあれだ。認めるしかない。好きなんだ。
付き合いたいのかとか、付き合ってどうするのかだとか、結婚だとか、そもそも相手はどう思ってるのだとか、全く自分らしくないことをうだうだ考えてしまうけど、ここは春乃を参考にしよう。とにかく、やってみる。
前日の通話で春乃に言われた通り、少し見た目に気合いを入れて、少し早めに家を出た。
エレベーターの鏡には、いかにも男と合いますって感じの女が少し緊張した様子で立っていて、それが自分が抱く自身のイメージから浮いていて、思わず笑ってしまった。
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