第1話 桜ノ国への道中
目覚めはいつだって唐突だ。
寝起きの視界に紅差しの残滓を引きずりながら、蹈鞴はゆっくりと瞼を持ち上げる。寝台を通じて感じる揺れが、彼の意識を優しく覚ましていく。
「あら、起きたの?」
「朱里(しゅり)。君はまたか……」
余りにも見飽きた光景に、寝起き一番呆れた声が漏れてしまう。
「おはよう」
「うん、おはよう。皆は?」
「まだ寝ているわ。だからほら、蹈鞴ももう少し。ね?」
そう言いながら朱里は蹈鞴の首に腕を絡めてくる。ゆらゆらと光が揺らめく瞳に喜色の色を浮かべ、口の端は緩く持ち上がり優しげな微笑を浮かべている。
いつもは一つに束ねている赤髪が整った顔の輪郭にひと房かかり、そのだらし無さですら妙にあだっぽく、蹈鞴をやわらかな場所へ連れて行こうとする。
「いいよ、もう。どうせ今から寝たって意味なんかないんだから」
「別に本当に寝る必要なんかないわ。惰眠を貪るって言葉、蹈鞴は知ってる?」
「君の趣味におれを巻き込まないで。ほら、もう起きるから」
「つれないわねぇ」
「人の寝台に潜り込んでおいて何を言ってるんだか」
朱里へと小言を残しつつ蹈鞴は自らに割り当てられた寝台から降りる。
薄暗い車内にはいくつもの寝台が設置され、そこでは割り当て通りに他の構成員が寝息を立てている。
舞台上で演舞を披露している姿とは、似ても似つかないあられもない姿を晒している者もいるが、朱里のように勝手に人の寝床に潜り込んで来るような輩はいない。
蹈鞴は飲み物の空き容器や雑誌などが散らかる薄暗い車内を突っ切り、運転席へと繋がる垂れ幕を潜る。
視界いっぱいに広がるのは《月見ひとひら》の季節特有の仄暗い風景。陽が水平線から顔を出す事のないこの季節、桜ノ国は常夜に沈み込む。
真っ直ぐに伸びた道路の両端に広がる海もまた、紺色に染まりきった空の下で静かに白波を遊ばせるばかりだ。
そんな静まり返った世界の中、蹈鞴たちが乗る大型の法力自動四輪、
「まだ橋の途中なの?」
「そうみたい。でも、予定通りに着くんじゃないかな」
「ふぅん」
尋ねてきた割には興味が無さそうな朱里は、蹈鞴の横に立ったかと思えば、極々自然な仕草でしなだれかかって来た。
「朱里」
蹈鞴の咎める声と視線もどこ吹く風。朱里は豊麗な肢体を預けてくる。
「朱里、やめろ」
「やめさせてくれない?」
面白がっている視線。もしくは挑発するようなそれに対して蹈鞴がわざとらしく眉を寄せるも、それで朱里が離れるわけもないのはこれまでの付き合いでよく知っていた。心身共に甘えてくる朱里に蹈鞴は僅かな苦さを覚えつつ、彼女が望んでいる言葉を差し向ける。
「君に怪我はさせられない」
蹈鞴の言葉に満足したものを得たのか、朱里は僅かに体重を預けるのみで、それ以上強引に絡んでくる事はしない。顎先を蹈鞴の肩に乗せてくる彼女の艶の少ないくすんだ赤髪と、蹈鞴の黒髪が秘かに触れ合う。
「本当は『他の皆にバレる』って言って欲しかったわ」
「バレて困るほど、何かを隠してはいないだろ」
「ふふ、そうね。それに、ここなら二人きりだものね」
呆れながら、そう告げる彼女の視線を追えば、そこにいるのは四ツ輪を転がしている木偶人形だ。四ツ輪同様に法力で動くそれを除けば、寝台がある車室と布一枚隔てたここには、蹈鞴と朱里以外の人間はいない。
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