(5)

 わたしとクリスティアン殿下が接近することについて、物申す人間は出てこない。


 クリスティアン殿下はわたしと同じ、今年で一三歳。慣習から言えば婚約者や、婚約者に内定しているご令嬢がいても、おかしくはない。


 けれどもクリスティアン殿下は「だれもがおどろくほどの不細工」であったので、気の小さく神経の細いご令嬢なぞ、長く一緒にいるのは不可能な話であった。たとえ、ご令嬢の父親がどんなに乗り気であったとしても、だ。


 そういうことはわたしも噂でなんとはなく知っていた。


 だからわたしとクリスティアン殿下がにわかに接近したとしても、文句を言ってくるような婚約者は、少なくとも存在しないのだ。


 それならば、放っておいて欲しいのだが、そこもまあそう簡単には行かない。


 わたしを嫌う同性はここぞとばかりに后の座を狙っているのだと噂したし、わたしがすげなくお断りした異性は、「しょせん血の貴さしか見ていない尻軽女」などと拒絶されたことで傷つけられたプライドを、癒そうとしているようだった。


 わたしは一度として美少女らしく振る舞ったことはない。結局、そうやって振る舞う度胸はなかった。


 ちやほやされることは最初はうれしかったので、心の底から笑顔でいたけれど、それもじきに引きつった笑顔になっていったのは、今さら言うまでもないだろう。


 それでも他人ひとはわたしを「魔性の女」だと言う。


 それ、「魔性の女」が今度は殿下を牙にかけようとしているぞ――というのが、周囲の悪意ある反応だった。


 わたしはそういった反応を無視した。けれども、心が傷つかなかったわけじゃない。食事の量が減って、夜もあまり眠れなくなって、そうするとまたわたしの美貌に影が差し始めたぞ、などと人々は面白おかしく噂する。


 美少女扱いされる世界に転生できたからといって、わたしの人生がイージーモードになるわけではないらしい……ということを、わたしは改めて実感した。


 結局、珍獣扱いに変わりはない。物珍しい、好奇を刺激し、いくら攻撃してもいいサンドバッグのようなもの。


 と、言うと反撃すればいいなんて意見が聞こえてきそうだし、わたしだってそうしたいと思っていた。


 けれどもそうすることで事態が良くなるとは思えなかった。彼ら彼女らはわたしは美少女で、あらゆる恵みを享受していると錯覚しているのだ。実際は、そんなことはないのだが。


 そしてそんな特権的階級にいるのだから、少しくらい強く叩いたっていいと彼ら彼女らは思っている。恵まれているんだから、ちょっとくらいけなされたっていいでしょ、という浅ましい悪意が明瞭に伝わってくる。


 わたしはそういう悪意に晒されて、びっくりするくらい痩せたし、隈もすごいことになっていた。


 心配した家族からは休学を勧められたけれど、そうすると前世と同じようなドロップアウトコースに飛び込んでしまいそうな気がして、怖かった。


 結局わたしは根性で学園に通っていた。学園に通えば、唯一の癒しであり、味方であるクリスティアン殿下がいたから、ということもある。


 その、クリスティアン殿下と接近したことがそもそもの原因であることは理解していたが、恋心を抜きにしても親しくなった相手と離れがたく、わたしはせっせと学園に通っては殿下と友誼を深めて行った。


 クリスティアン殿下が、そんなわたしの状況を憂えているのはわかっていた。けれどもここで彼が口を出したって、事態が好転するわけではないこともまた、わたしも殿下も理解していた。


 理不尽ではあるが、嵐はどうしようもできない。ただ、過ぎ去るのを待つことしかできないものだ。


 クリスティアン殿下と直接そういう会話をしたわけではないけれど、わたしたちはそういう部分は通じ合っていた。


「ハア……」

「お疲れのようだね、ダフネ嬢」

「! で、殿下。いらっしゃったのですね」

「ずいぶん前からね」


 クリスティアン殿下の白皙の美貌にかかる夜陰が、なんとも神秘的な雰囲気をかもし出している。


 とっくに日が暮れた学園内。いつもはひとの気配などなくなる時刻にもかかわらず、わたしたちはこうして中庭で顔を合わせている。


 今日は学園主催の夜会の日。秋の夜長に生徒同士で交友を深めようという趣旨のパーティーが盛大に開催されていた。


 だれもかれも――特にご令嬢方は、この日のために新しい流行のドレスを奮発して仕立ててもらうのが通例で、子息たちはそんな華と優雅に踊りを繰り広げる時間を楽しみに待つ。


 もちろん、わたしたちは例外だ。この世界では美少女ゆえに引く手あまたもわずらわしさしかないわたしと、この世界では不細工ゆえに踊りを誘うこともせず、誘われもしないクリスティアン殿下。立場は違えど、夜会に乗り気でないことだけは同じだった。


「……だれかと踊ったのかい?」

「……いいえ。わたくし、お恥ずかしながら踊るのは下手で……」


 乗り気ではないわたしを叱咤してドレスを仕立てる手配をしてくれた母の手前、夜会に顔を出しはしたものの、ギラギラとした異性の目や、ザクザクと刺さる同性の視線に耐えかねて薔薇園まで逃げてきた。


 殿下もきっと好奇の視線に耐えかねてここにきたのだろう。あの夜会の場では、息が詰まるのはきっと、彼もわたしも同じだろうから、わかった。


 踊りが下手なのは本当だ。前世、なんのスキルも持たない日本人であったことと、運動神経のなさ、そして太りたおした体型が優雅に踊ることを妨げるわけである。舞踏会などわたしには過ぎた会、というわけだった。


 そんなことをつらつらと考えていれば、いつの間にやらクリスティアン殿下がわたしの前にひざまずいていたので、びっくりして目を丸くしてしまう。


「――では、ダフネ嬢。私と一曲、踊ってはくださいませんか?」

「殿下……わたくしの話をお聞きになりまして?」

「幸い、今はスローテンポの曲だよ。私も踊るのは下手だから、お互い足を踏まないように頑張ろう」

「わたくしが殿下のおみ足を踏めば、つぶれてしまいますわ」

「それもいいさ」


 わたしの言った言葉に、嘘はなかった。いくらここのところのストレスで体重が減ったとは言え、まだまだわたしは太りたおしたご令嬢。対する殿下は最低限の肉しかついていない、よく言えばスマート、悪く言えば痩せぎすな体型である。


 そんな殿下の足を勢いよく踏めば、粉砕骨折させてしまうんじゃないかとわたしが憂慮する気持ちは、わかってもらえるだろうか。


 しかし――それでも――結局――わたしはクリームパンみたいなむちむちの手指を、クリスティアン殿下が差し出した手のひらに置く。


 薔薇園まで漏れ聞こえるスローテンポの曲に乗せて、ステップを踏むクリスティアン殿下に必死について行く。けれども殿下は言うほどダンスは下手じゃなかった。本当にヘタクソなわたしを上手いことフォローしてリードしてくれる。


 月光の下で、力強いリードを見せてくれるクリスティアン殿下。


 それだけで惚れ直してしまうのだから、いつのまにわたしはチョロインになっちゃったんだろうと思った。

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