第二話 来襲

 黒い影がゆっくりと近づいてくる間、僕は一歩も足を動かすことが出来なかった。金縛りと言うべきだろうか、ともかく影は僕の目と鼻の先までその図体を近づけた。僕の視界に広がるのは一面の黒。それはまるでそこから先に行こうものなら僕自身の存在が消滅してしまうのではないかと嫌な想像を掻き立てる程だった。黒い物体が目の前にあることが視認できるのにその黒に質量は感じず、そこにあるのはただ一面の”無”だったのだ。

 早く動かないと不味い事など心では理解しているのだが、その思いは体に伝達されず、その場に立ちすくむ事が唯一僕にできることだった。その間にも影は僕に接近を続け、遂に僕の体の一部に触れた。「触れた」と言ったがそれでも尚この陰に質量は感じず、ただ自分の体の一部が影に消えていく事を見る事しかできなかった。人間恐怖を感じると案外悲鳴も出せないものである。

 遂に影が顔を飲み込もうとした時であった。僕の服を後ろから引っ張る力が加わった。あまりにも突然でとても強力な力で引っ張られた僕はその力に応じるように体を後ろに倒した。周りから見れば少し後ろの方へと尻餅を付く形になる。それによりできた影と僕の間に割って入ったのは、時代錯誤の少し古いデザインをしたセーラー服と狐の面を身に付けた黒い長髪が美しい女性だった。

そもそも突然引っ張られて倒れている僕は何が何だか理解ができなかったが、少なくともこの女性が敵ではない事は理解できた。呆然とする僕をよそにして女性は自身の腰に右手を当ててそのまま右腕を影の首元を切り裂くように降り抜いた。一瞬何をしているのか解らなかったのだが、女性が降り抜いたその手には長い刀身を持つ日本刀が握られており、よく見ると影の首元はその漆黒が二つに分断されていた。女性が刀を鞘に戻すと同時に影はその存在を砂の塊を水に溶かしたように失っていき、そのまま元々そこに何もなかったかのようにその存在を消した。

 しばらく倒れたままでいると、女性はこちらの方を少し向く素振りを見せた。顔その物は面が邪魔をして見ることが出来ないが、どこか優しさを感じる雰囲気があり、同時にこちらの事を心配しているようにも見えた。その後女性が手を差し出してくれたのでそれに掴まり引き起こされる形で起き上がると色々聞きたいこともあったがひとまず感謝の言葉を掛けようとした。


 「ありが…」


 そう言いかけた時だった。


 「見つけたぞ女狐!!大人しく俺の質問に答えやがれ!!」


 と大きな男性の声が耳をつんざくように聞こえてきた。声の方向を見ると息を切らした男がこちらを指さしていた。指をさされている女性は僕の事を一瞥すると、ものすごい勢いで跳躍し、まるで空気を蹴るように空中でその軌道を直角に曲げてその姿を消した。


 「おい、そこのお前あいつと何を話した!!」


 興奮気味に迫ってくる男は、ものすごい勢いで質問を続けた。こちらから話そうにも相手の勢いが強すぎて話し始めるタイミングを失っており、相手の言葉の猛攻に圧倒されていた。暫くしてから男は先程までの息切れが復活したのか、その息を整えながら話し始めた


 「いやすまない、興奮しすぎた…何分かなり久しぶりに奴を見れたものでね…」


 呼吸を整え切った男は落ち着いた口調で再び話し始めた。


 「いきなりたたみかねてすまない、ふぅ彼女の事を調べているんだ。ほら」


 と言うと男は名刺を差し出した。そこにはよく都市伝説関連の記事が掲載されている雑誌の名前が書かれており、その下には「宇城うき 直人なおと」とこの男性の名前があった。


 「宇城さん…ですか…」


 僕がそういうと宇城という男性は


 「ひとまずどうだろう、近くに僕の住んでる場所がある。取材料も出すし一度話を聞かせてくれないだろうか」


 と言った。初めは変わった人だと思ったが、話の物腰が柔らかくさっきは本当に興奮していただけなのだなと思えた。どうしようか考えていると、始業を告げるチャイムがキンコンカンコンと響き渡った。


 「おっともしや君授業に向かう途中だったんじゃないか?そういう事なら授業が終わるまで待つ。勉強優先さ、駅前の喫茶店は知ってるか?18時まであそこにいるからよければ来てくれ」


 そう一方的に言い終わると、宇城は僕の背中を押した。


 「わかりました」


 その言葉を聞くと、宇城は走ってきた道を回れ右して今度はゆっくりと口笛を吹きながら帰っていった。

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