1ページ目をめくって
トモキの話を聞いてから、1週間がたつ。
リュウタの話によると、トモキとは連絡先を交換することができたらしい。出来上がった小説を読んでから考える。トモキはそう言ったという。
すこし怒っているのを無理矢理丸め込んだとリュウタは言っていた。
パソコンで開いたワープロソフトに文を打ち込む。終わりまではもうすでに書けていて、あとは推敲して初稿は完成だ。
机に上においていたスマートフォンを手に取る。履歴からリュウタの電話番号を引っ張り出してきて通話ボタンをタップした。
「リュウタ、トモキくんに連絡取ってくれる?」
リュウタにトモキへ連絡してもらった直近の日曜日、私はあの日と同じように紙袋に分厚いバインダーをいれて歩いていた。
先日、梅雨入りして、今日も曇り空だ。リュウタの家はやはり駅から10分とかからない距離だったが、ねっとりと張り付くような空気をまとって歩くのは若干鬱陶しい。
出るとき乾燥していた腕が、汗だか湿気だかわからない湿り気を帯びたころ、リュウタの家に到着した。
インターホンを押すと、すぐに鍵を開ける音がして、ドアが開いた。
「早すぎるだろ、約束の時間10時。今何時だ?」
「8時ね。朝ごはん買ってきたわ、私の最寄りのおにぎりのお店。好きだったでしょ?」
深くため息をついてから、苦々しげに食べると言ったリュウタに、おにぎりの入った袋を渡すと、そのまま中にはいる。入ってすぐの洗面台で手を洗った。
小説を読んでもらう日に、私がこの店で朝ごはんを買ってくるのは、ある種のルーティンなのはわかっているようで、部屋の真ん中に置かれた大きめの折りたたみテーブルの上にはいつも朝食はコーヒーとパン派のリュウタには珍しく、緑茶が用意されていた。
室内ももうすでに片付けられていて、彼の用意周到さというか、私の行動を熟知している感じは昔から変わっていないと感じる。
「ムシムシしてたからエアコン入れてる、除湿だから大丈夫だと思うけど寒かったら切ってくれ」
「大丈夫、ありがと」
荷物をまとめて折りたたみのテーブルの横に置く。パソコンも持ってきていたので少々重かったのだ。敷かれていた座布団がわりのクッションに腰を下ろす。一息をついていると、リュウタが向かいに座って、袋の中からおにぎりを取り出した。期間限定の鯛飯とリュウタが好きなチーズおかか、私のは明太子にした。
「やっぱりうまいな、ここの」
おいしいものを食べているときのリュウタは反応が大袈裟で楽しい。リュウタの好きそうな店を見つけると、つい連れていきたくなるし、手土産は私厳選のお菓子や食べ物が多い。
私はそうそうに食べ終えて、原稿の最終チェックを始める。なんども確認したが絶対はない。念には念をいれなくては。
「おい、そろそろトモキくん来るぞ」
リュウタに声をかけられて、原稿から顔を上げる。スマートフォンで時間を確認する、9時55分。
「あら、もうこんな時間なの」
鞄からポーチを取り出して、軽く化粧を直す。リュウタがオレの前で直すなよと苦い顔をしているが、気にしない。
「原稿は?」
「大丈夫よ」
薄いピンクの口紅を引き直す。去年のクリスマスに妹からもらったものだ。色彩センスはやはり抜群のようで、私も気に入っていた。
そうしていると、インターホンのベルがなる。
「オレが出るか?」
「いいえ、私が行く」
ポーチを鞄にしまって、立ち上がる。返事をしながら、小走りで玄関へ向かう。ドアを開けると、緊張した面持ちのトモキが立っていた。
「来てくれてありがとう」
「いえ、オレも興味があったので」
トモキは促されるまま、中にはいる。外の気温と湿度は私が来たときよりも上がっていた様ですこし開けただけで玄関の床が湿り気を帯びた。
エアコンの効いた室内に入ると、トモキは息を深く吐いた。外はよほど不快だったらしい。
キッチンの方でお茶をいれていたリュウタが、トモキにテーブルと座布団を指差して「座っててくれ」と言う。トモキは礼を言って座った。その向かいに、私も腰を下ろす。
リュウタが麦茶の入ったコップを3つ同時に器用に運んできて、落ち着いた所作でテーブルに置く。リュウタが隣に座って落ち着いたのを確認すると、床に置いていた分厚いA4のバインダーを手に取り、トモキに差し出す。
「まず、リュウタから話は聞いてると思うけど。これが、あなたの話を聞いて私が書いた小説です」
表情が少し固いかもしれない。この瞬間はいつも緊張する。
トモキはバインダーを受け取る。重さに驚いたようで、紙の部分に指をあてて厚さを確認していた。
ページ数は140ページ。厚さは1センチ以上はあるだろう。
「ここで、読んでいっても良いですか」
トモキが意を決して、と言った様子で切り出した。
私は少し驚いて、リュウタの方を見た。この場で読んで行くと言う人は滅多にいない。
それに今回は文庫本1冊程度の量はある。トモキがどれほどの読書スピードかは分からないがそこそこの時間はかかるだろう。
私としてはすこしずつ読んでくれればと思っていたが、この場で読みたいと言ってくれるのは素直に嬉しかった。
私としてはすぐに頷きたかったが、ここの家主はリュウタだ。
そう思って、リュウタを見たがリュウタは考えるそぶりも見せずに、頷いた。
「いいよ、麦茶もたくさん作ってある。そこのソファー使っていいぞ」
リュウタが言うよりも早く、トモキは1ページ目をめくった。
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