第30話 銀色の悪魔③
――二年半前。すべてが紅い異質な世界での惨劇。
それは、彼にとって『都築悠樹』としての最後の記憶でもあった。
はあ、はあ、はあ……。
その時、都築悠樹は紅い廃墟の街中を走っていた。
息を切らせる肩には、親友である石神大和の腕を担いでいる。
「しっかりするんだ大和! すぐに病院に連れていくから!」
蒼白な顔の親友に、悠樹は必死の想いで語りかける。
しかし、大和から返事はない。ただ荒い呼吸を繰り返していた。
(……まずい……さっきから、全然血が止まらない……ッ)
悠樹の顔に焦りの色が浮かぶ。
突如現れた獅子の怪物に重傷を負わされた親友。咄嗟に対 《妖蛇》用の煙幕弾を使い、どうにか逃げ出すことができたが、状況はまるで好転していない。
何故なら、どれだけ進んでもこの紅い廃墟の街から出ることができないのだ。
化け物によって連れてこられたこの異様な世界。ここには人影も一切なく、生き物の気配さえもない。ただひたすらに無情なる世界であった。
(――くそッ! 何なんだよこの場所は!)
持ち合わせの道具で止血はしたが、胸板を大きく切り裂かれたこの傷はまずい。
嫌でも分かる。間違いなくこれは――。
(くそくそくそッ! ちくしょう! なんで! なんでこんなことに!)
ただただ焦燥ばかりが募る。と、その時だった。
「……ぐ、う……悠樹……?」
「ッ! 大和! 意識を取り戻したのか!」
大きく咳き込む大和を、悠樹はビルの壁に寄りかからせた。
「ゴホッゴホッ……悠樹……あの、化け、物は……?」
「今はいないよ。どうにか撒けたみたいだけど、いつまで持つか……」
「そう、か」
ポツリと呟き、大和は虚ろになりつつある瞳で自分の傷口を確認した。
胸板辺りに幾重にも巻かれた包帯。
本来は純白であるはずのそれが、今や見る影もなく真っ赤に染まっていた。
わずかな沈黙。そして覚悟を決めたように大和は喉を鳴らすと、
「……悠樹……よく聞け……俺は、もう、助からねえ」
静かな口調で悠樹にそう告げた。悠樹が大きく目を見開く。
「な、何言ってんだよ大和ッ! この程度の傷で――」
「聞けよッ! お前だって……、もう、分かって、んだろ?」
応急処置をしたのは悠樹だ。ならば気付かないはずがない。
――この傷は、どう考えても致命傷だった。
「俺は、もう、ダメだ……けど、お前まで、死なせねえ……絶対、にだ」
「…………大和………」
「いいか、よく、聞け。一つだけ、お前が、助かる方法が――……」
そして大和は語り出した。
何度も何度も血を吐きながら、ポツポツと途切れた声で。
最後の力を振り絞って、自分ではなく悠樹が助かる唯一の方法を告げた。
その内容に、悠樹の顔色がみるみる青ざめていく。
「な、なん、だって? そんなことをしたらお前は……。ダ、ダメだッ! 大和、お前自分が何を言ってるのか分かっているのか!」
「……分かって、るよ……これは、成功例の、ない、禁忌だ……けどな……」
大和は震える手で悠樹の肩をグッと掴み、
「……俺は、やり遂げ、る……お前を、助ける、ために……」
「……お前は本家じゃないか。石神家の次期当主なんだぞ。なんで、なんでそんな無茶をしてまで分家の僕を……」
そんなことを呟く悠樹に、大和はふっと口元を綻ばせて、
「あの、な。本家、とか、以前に、友達じゃ、ねえか。それに、お前を、死なせ、たら、沙耶が……妹が、怖い……」
「……こんな時にまで冗談言うなよ……」
泣き笑いの顔で呟く悠樹。大和は苦笑を浮かべ――不意に、大きく吐血した。
「や、大和ッ!」
「ゴホッゴホッ、は、はは、どうやら、そろそろ、限界、みたいだ……」
大和の呼吸が荒いものから、徐々に弱々しいものに変わっていく。
もはや最後の時が近いことを悟り、悠樹は親友の手を強く握りしめた。
「なあ、悠樹……ガキの頃、三、人で裏、山駆けまわって、楽しかった、なぁ」
「……うん。楽しかったよ」
裏山では、よく木の棒でチャンバラをしたものだ。
悠樹が負けて泣くと、沙耶が無言で大和を殴りつけていた。そんな日々だ。
「はは、あの、頃から、沙耶の奴、俺より、強えェし。ははは、学校の、備品に、いた、ずら、した時も、沙耶に、無茶苦茶、怒られ、たっけ……」
「……うん。あの時の普段以上に無表情な沙耶ちゃんは本当に怖かった」
どこかげんなりとした悠樹の呟き。大和も当時を思い出して笑みを深めた。
やんちゃな大和が主犯。悠樹が共犯。
沙耶は淡々とした口調で、二人をいつも叱りつけていた。
本当に懐かしい思い出だった。
「そう、いや、憶え、てるか? 修行サボって、三人、で初めて、カラオケ、行ったよな」
「……憶えてるよ。お前、全然マイク離さないし」
ははは、と二人して笑う。
紅い世界に、穏やかな空気が流れた。
「……悠樹」
そして大和が告げる。
「お前は、何が、なんでも生きろ。沙耶のこと、俺の、分まで頼ん、だぜ」
もうじき終わりが来る。そんな覚悟が伝わる声音だった。
悠樹は一瞬、深い苦悩の表情を浮かべるが、
「――うん。彼女が困っていたら絶対に助ける。約束するよ」
親友の最後の願いに力強く応える。
大和は思わず苦笑を零した。何とも悠樹らしい返答だ。
(ったく。こいつはよ)
自分の親友は本当に朴念仁だった。しかも何気にモテるからタチが悪い。
これからの妹の苦労が目に浮かぶようだった。
出来ることならそんな妹の恋を応援してやりたかったが、それはもう叶わない。
後は沙耶がこの鈍感な親友相手にどこまで頑張れるかだろう。
(……誰にも負けんじゃねえぞ。沙耶)
せめて心の中で妹にエールを贈りつつ、大和はどうにか声を絞り出す。
「お前って、奴は、本当に鈍い、よな……まぁいい、さ。……なぁ、悠樹、俺は……たとえ、死んだって……お前と……沙耶を、………守って…………」
――言葉が、消えた。
目に映る光も、体中の熱も急速に薄れていく。音もほとんど聞こえなくなり、すべての感覚が次々と消えていった。どうやら本当に限界が来てしまったようだ。
もう、喉さえも動かせなかった。
(……ちくしょう。ここまでなのか)
心の中で大和は呻く。
だが、せめて。
あともう一言ぐらいは――。
大和は残された力で口元を微かに動かし、最後の言葉を伝えた。
――死ぬなよ、悠樹。
悠樹が訝しげに眉根を寄せて、大和に近付く。
「大和? 今、何を言って……」
――がくん。
と、不意に大和の手から力が抜けた。
「……え? お、おい! 大和ッ!!」
悠樹が必死に呼びかけるが、大和から返事はない。
大和の瞳は虚空を見つめたまま、何も映していなかった。
――そう。石神大和は死んだのだ。
悠樹の親友は今死んだのだ。
「……ぁ、ああ……」
大和の死に、悠樹の表情はみるみる凍りつき――。
「あああ、うわああァ、うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアァァァ――――!!」
少年の絶叫が、紅い世界に響き渡る。
そして、これこそが後に《魔皇》と呼ばれる者の産声でもあった。
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