第31話 銀色の悪魔④

 翔子はあまりのことに言葉が出せなかった。

 ――《魔皇デモノ・ドラゴン》。いま由良は確かにそう告げた。

 そして眼前の悠樹の姿は予想していた重量級の全身鎧とはまるで違うが、《魔皇》の風聞に近いものだ。彼が《魔皇》本人であることは間違いないだろう。


 そんな……。何故? どうして……? 

 頭の中に幾つもの疑問符が浮かぶが、上手く言葉に変えられず、口の中から出ていってくれない。もどかしさから翔子は喉元を押さえてしまう。


 と、そんな時だった。



「――は、はあ? マジでか!? お前、マジでそんなことしたの!?」



 突如、ザガが驚きの声を上げたのだ。

 化け物はしばし呆気にとられていたが、それも束の間。


「マジかよ!? オイオイ初めて見たぞそんなの!! クカッ、クカカカカカカッ――!!」


 今度は何を考えてか、腹部を両手で抱えて笑い声を上げ始めた。

 翔子は訝しげに眉をしかめ、悠樹と由良は何も言わず、ザガを見据えていた。


「クカッ、クカカッ。ああ、悪りい悪りい」


 そして十数秒後、ようやくザガは笑うのをやめて語り出した。


「ちょい素が出ちまったか。けど、四遠君も悪いんだからね。いきなりそんな面白い物を見せるから。クカカッ。いやぁ、けど噂なんて当てにならないよね。結局、君が《霊葬法》を使ったなんて完全なデマだったんだ」


「――――えっ」


 唖然とした声を上げたのは翔子だ。

 しかし、ザガは一切構わず、自分の言葉に酔いしれるように先を続ける。


「《神獣契約》の方もただの噂だったってことか。いやあ、ボクの鼻と、君の姿が完全になって初めて分かったよ。ああ、確か、契約霊獣の条件は人語を理解する程度の知性を持つ霊体だったね。ならそれ・・も充分条件を満たしている訳か……」


 そこでザガはまるで値踏みするかのように、悠樹の獣衣をじろじろと見やり、


「しかも、それ・・の業の深さときたら……クカカッ、そりゃあ並みの霊獣なんて何体集めようが意味もないか。どうりで美味しそうな匂いがするはずだよ。なにせ、ボクの大好物みたいな匂いじゃなくて、大好物そのものじゃないか!」


 そして、ニタリと笑って告げる。



「君が契約した霊獣ってさ。要は『人間』だったってことなんだろ?」



 その台詞を境に、場の空気が静寂に切り替わった。

 誰も言葉を発しなかった。ザガは悠樹の反応を期待して口を閉ざし。悠樹、由良は認めるが上での沈黙。そして翔子は純粋に絶句していた。


 ――人間霊との霊獣契約。

 それは死者を武器に変える外道の業。《霊葬法》と同じ禁忌の一つだ。


 しかし、現代では数件の記録だけを残し、完全に消失している技法でもあった。

 その理由は極めて簡単だ。

 何故なら人間霊は霊獣と・・・・・・・して契約が出来ない・・・・・・・・・・からだ。

 霊獣は契約中の間は獣衣化のため、術により自我を封じられる。他の動物霊はそれを一時的な『眠り』だと認識するのだが、人間霊だけは違った。


 ――すでに死んでいる者が、最後に残った自我まで奪われる。

 人間霊はそれを『完全な消滅』だと感じるのだ。

 要するに、生前の知識から嫌でも現状を思い詰めてしまうのである。


 すべての動物の中で最も知能が高い霊長類ゆえの弊害だった。強行すれば人格崩壊さえ起こしかねない。最悪、本当にその場で魂の消滅もあり得る。

 だからこそ、人間霊との霊獣契約は不可能と結論付けられていたのだが……。


「ふ~む」ザガはあごに手をやった。


「人間の自我を踏みにじる禁断の契約か。なるほど。そんな姿になるんだね。動物霊は人を摸した甲冑みたいな姿に変わるのに、人間霊の場合は逆に獣の姿に変わるのか」


 と、そこで化け物は首を傾げる。


「けどさ、一体どうやって契約したの? どこかで狂った人間霊でも見つけたの? もしくは精神が動物に近い赤ん坊の霊とか? いや、それだと肝心の対話が出来ないか……。うん。結構興味深いな。後学のために教えておくれよ四遠君」


 ザガの問いかけは、不本意ではあるが、翔子の抱いた疑問でもあった。

 思わず悠樹の様子を窺ってしまう。

 だが、少年は何も答えなかった。ただ無言で佇んでいる。

 竜人化したため、顔色を知ることは出来ないが、表情も変わっていないだろう。

 それに対し、ザガは不満そうに頬を膨らませた。


「ムムッ、何だよ。無視は酷くない? なに? もしかして君ってその姿になると、口調とか態度とか変わっちゃうキャラなのかな?」


 そんな風に小馬鹿にした口調で語りかける。と、


「……ふん」


 その時、少女の声が響いた。


「悠樹が何も語らぬのは、そなたに話しても無駄だと悟っておるからじゃ」


 いきなり割り込んできたそのソプラノ声に、ザガは視線の向きを変えた。

 翔子もまた声につられ、そちらに振り向いた。


「……それはどういう意味さ。鳳さん?」


 そう尋ねてくる化け物を、由良は忌々しげに睨みつける。

 仮にも共に授業を受けた『級友』であっただけに、彼女の憤りは激しい。


「そなたには決して分かるまいよ『神楽崎』。死の直前まで友の身を案じていた者の……死してなお友を守ると誓って逝った者の想いなど――」


 しかし、


「………由良。そこまでにして欲しい」


 そんな怒気を宿した彼女の言葉を遮ったのは、悠樹の声だった。


「その話は君だからこそ話したんだ。君だけに話したんだ」


 そこで竜人は首だけを振り向かせた。

 静かな様子で由良を見つめる。

 翡翠色の双眸に、白い髪の少女の姿が映った。


「それを忘れないで欲しい」


 続けてそう告げる少年の声は、どこか淡々としたものだった。

 由良はハッとした表情を浮かべる。そしてすぐに美麗な顔を後悔で歪めた。


「……すまぬ、悠樹」


 己の軽率さを呪う。今のは悠樹の心の傷を抉るような行為だった。

 彼の心の傷は未だ癒えていないというのに。


「口が過ぎた。級友を殺され、妾も平静ではなかったようだ。本当にすまなんだ」


 沈痛な面持ちでそう謝罪する由良に対し、悠樹は獣衣の中でふっと優しく笑う。

 凶悪極まる面構えである竜人も、どこか優しげな眼差しだった。


「ううん。由良の怒りは当然のことだよ。気にしないで」


 と、相棒の少女へ気遣いの言葉をかけてから、ズズンと地面を踏みしめて前に出る。

 竜人の紫色の尾が大きく揺れ、全身の筋肉がわずかに膨れ上がった。


「由良は何も悪くない」


 そして拳を強く握りしめて悠樹は言い放つ。


「そもそも、お前が鬱陶しいのが悪いんだよ、化け物。おしゃべりばっかりしてないでさっさとかかって来いよ」


 強烈な殺意と怒気を宿した挑発。

 しかし、対するザガには大した緊張感はなく――。


「クカカッ、流石にそれは言いがかりってやつだよ。けど意外と好戦的じゃないか。四遠君ってば。まあ、どうでもいいけどさ」


 そう語ってから、少女達の姿を横目で捉えて卑しく舌舐めずりをする。


「なにせ、ボクとしては殺し合いなんかよりも、早くお食事を楽しみたいし――」


 と、呟いた瞬間だった。ミシリッとザガの顔面に激痛が走ったのは。

 ザガは双眸を大きく見開いた。

 竜人の強烈な『前蹴りビックブーツ』がいきなり炸裂したのだ。

 次いで頭部が後方に大きく仰け反ると、瞬く間に景色が高速で移り変わる。身体の至る所に次々と衝撃が走った。そして最後に、ドンッと何かが背中にぶち当たる。

 ずるずると腰を落として視界が安定した時、ザガは初めて自分が吹き飛ばされたことを実感した。直線状に薙ぎ倒された周りの木々の様子を見るからに、自分は障害物を粉砕しながら十メートル以上も飛ばされたようだ。


「――チイィ! いきなりかよ! このクソガキが!」


 下級 《妖蛇》ならば頭が消し飛ぶような一撃を受けても、ザガに損傷はほとんどない。

 血を流す鼻を擦りながら、すぐさま立ち上がり敵を睨みつけた。


「………あン?」


 が、そこで怪物は眉根を寄せる。視界の先で竜人が大きく仰け反って、息を吸い込む姿が見えたからだ。胸板がドンと膨れ上がり、口内では赤い炎が渦巻いている。


 その一連の動きは、まさしく『ドラゴン』特有のものであって――。


「ちょ、ちょっと待て!? お前マジかそれ!?」


 思わず目を瞠るザガ。直後、竜人のアギトから赤い奔流が溢れ出した。


 ――ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!


 轟音と共に地表がめくり上がり、大気が灼きついた。莫大なまでの業火が、周囲の木々や地面ごとザガを呑み込み、容赦なく荒れ狂う。

 まるで炎熱地獄のような光景を前にして翔子は言葉を失い、由良は静かに見守っていた。


 そして――十数秒後。


 竜人の直線状にあるものすべてが、真っ黒に炭化した惨状がそこにあった。


「な、何ですか、これは……」


 呆然と呟く翔子。あまりにも非常識すぎる攻撃だ。どう見ても人間が使う技ではない。

 いかに第八階位といえども流石にこれでは――。

 と、思った直後のことだった。


「……いきなりなんつう真似をしやがるんだよ。てめえはよ」


 パキパキ、と身体を軋ませて、真っ黒になった世界で立ち上がる人影があった。

 忌々しげに顔を歪めるザガである。

 ザガは頭を何度か振ると、身体をパラパラと崩しながら歩き始めた。


「くそが……。火を吐く《追跡者》なんぞ初めて見たぞ。もう完璧に化けモンじゃねえか」


 そう言ってゆっくりと近付いてくる怪物は、とても奇妙な姿をしていた。

 左腕と胸板から下は完全に炭化しているというのに、右腕と頭部だけは無傷で火傷すら負っていない。その部位は服さえも無事だった。どうやら急所だけはさけるようなギリギリの回避をしたらしい。悠樹は獣衣の下で皮肉気な笑みを見せる。


「随分と奇妙な燃え方をしたじゃないか。首から上は不燃ゴミなのか?」


「うっせえな。咄嗟すぎて全部は避け切れなかったんだよ。つうか、今さらりと毒まで吐きやがったな。本当にムカつく野郎だぜ」


 そこでザガは自分の鼻に触れた。同時に、ギシリと歯が軋む音がする。

 不意打ちだったとは言え、人間相手に傷を負わされたのは実に久しぶりだ。肉体の損傷以上にプライドが大きく傷付けられた気分だった。


「……全くやってくれるぜ小僧がよ」


 そしてザガは一瞬で傷を修復すると、表情を消して竜人を見据えた。


「俺はな、昔からコケにされんのが一番嫌いなんだよ。いいぜ。本気で相手してやるよ。見さらせや。これが第八階位トパーズの戦闘モードってやつだ」


 そう言い放って、いよいよ怪物は本性を現し始めた。

 炭化した皮膚が崩れ落ち、その下から金属のような光沢を放つ銀色の肌が現れる。続けて身体は肥大化……と言うより、別生物の肉体が浮き出てくるような醜い変貌を始めた。

 髪はざわざわと逆立ち、顔は無数の魔眼で埋め尽くされる。

 上半身は異様なまでに筋肉が膨れ上がり、両腕は岩のような錆色の鱗で覆われる。背中には数えきれない棘。下半身は黒豹を思わせる獣脚に変わり、さらに腹部には鮫の如き口が開き、その口腔からは巨大な百足がうじゃうじゃと顔を出してきた。

 嫌悪感さえ抱く醜悪なその姿に由良は眉をしかめ、翔子は口元を押さえた。


「これが三王位か……。噂には聞いていたが、ここまで醜いとはの……」


「……はい。こればかりは同意見ですね。普通の《妖蛇》がまともな存在にさえ見えます」


『はン。ひでえ言い草だな、嬢ちゃん達よ。見た目だけなら四遠の奴も似たようなもんじゃねえか。俺だけディスりやがって。後で存分に可愛がってやるから覚えてやがれよ』


 ザガは《妖蛇》特有の濁った声で少女達にそう告げてから、


『だが、まずはてめえからだ、四遠君よ。化けモンつっても所詮てめえは着ぐるみ。ニセモンにすぎねえ。本物の怪物との違いってやつを見せつけてやるぜ!』


 と、悠樹に宣戦布告する。本性を現したザガの身長は竜人とほぼ同格。二体の巨大な怪物は互いの姿を睨みつけた。


『んじゃあ、行くぜェ小僧ッ!』


「―――――ふっ」


 ザガの気勢に、短い呼気で応える悠樹。

 かくして、醜悪な怪物と紫に輝く竜人の戦いのゴングが鳴った。

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