第8話 銀と蒼の霊賭戦➂

 ――そして、翌日の四時限目。

 校庭の地下に建設された大錬技場。四方を円筒状のコンクリート壁で囲い、グラウンドには真新しい人工芝を敷きつめたその場所で、彼女達・・・は初めて顔を合わせた。


「……お初にお目にかかる。妾は鳳由良という」


 何やら空間が軋み始めそうな緊迫感を放ちながら――。


「こちらこそお初にお目にかかります。御門翔子です。鳳さんのことは悠樹さん・・・・からお聞きしています。とても優れた《追跡者》だと」


 顔だけはにこやかに笑う彼女達は、互いの自己紹介を始めていた。


「……ほほう、そうか。しかし、悠樹さん・・・・とはの。出会ってまだ二週間。それに会話したのは昨日が初めてと聞いておるが、随分と親しげじゃのう」


「それほどでも。それに名前については、悠樹さんご自身がそう呼んでもいいと仰ってくれましたので。何か問題でも?」


「……いや。そうか。悠樹自身がそう言いおったか。そうかそうか」


「ええ。名前で呼び合うのは親しい友人同士の証と聞きますしね。そう考えれば、悠樹さんの方は私のことを名で呼んで下さらないのは少々不本意でありますが」


「(出会ってすぐに名前で呼んで欲しいとは、なんとも図々しい小娘じゃな。妾でさえとんでもない醜態を晒してからじゃったのに……)」


「……鳳さん? 何か仰いました?」


「いや、何でもない。ふっふっふ」


「……そうですか」


 と、何やら不穏な空気を撒き散らして、微か笑みを浮かべる少女達。

 そんな光景を、悠樹は少し離れた位置で見つめていた。その顔は完全に強張っている。

 これは想像以上に険悪な状況だ。由良の不機嫌ぶりがはっきりと伝わってくる。


(や、やっぱり、相談もせず御門さんと友達になったのはまずかったのかな……)


 ごくりと喉を鳴らし、冷たい汗を流す悠樹だった。

 すると、その時、


「いやあ、お前さんも大変だな!」


 ガハハッと豪快な笑い声を上げて、巨漢の生徒が近付いてきた。悠樹の友人であり、クラス内では『朽ちた高校生』の異名で呼ばれる玉城だ。


「あ、ザックさん。いや、大変って言われても何が大変なのかよく分からないけど……」


 悠樹はふと、右胸辺りに金糸で校章が描かれた白いスポーツウェアと、黒系統のハーフパンツを着た玉城の姿に目をやった。


「……恐ろしく似合ってないね。その学園指定の体操服」


 身も蓋もない悠樹のツッコみに、玉城は再度ガハハッと笑うと、


「そりゃあ、そもそも十代用のデザインなんだぞ。似合わねえのも当然さ。それより重要なのはあっちの方じゃねえか」


 そう言って悠樹の肩に右手をまわし、空いた左手で由良達を指差した。


「……うん。確かにもう少し仲よくしてくれないと――」


「馬鹿野郎ッ! そうじゃねえよ! 白い姫さん達の服をよく見てみやがれ!」


「……? 由良達の服?」


 玉城に指示されて、悠樹は由良達の服装をじいっと凝視してみた。

 悠樹達と同様に、彼女達もまた学園指定の体操服を着ている。

 その服装とは、上は男子と同じスポーツウェアで、下の方は黒い――。


「スパッツなんだぞッ! あれを見てお前さんは何も感じないのか! 何かこうムラムラっと来ないのかッ!」


「ザックさん!? 何言ってんの!?」


「御門の姫さんの細くてしなやかな――そう。黒いストッキングがこの上なく似合いそうな脚線美に、白い姫さんの抜群の張りと柔らかさが共存していることは疑いようもねぇ艶めかしい太股……。鳴呼、おらァあれを見れただけでも、禁煙してまでここに入学した価値があると思うぞ」


「い、いや、ザックさん……? あの、何しにこの学園に来たの?」


 悠樹のツッコみにも、玉城はにやけた笑みを浮かべるだけでまるで動じない。

 それどころか、おっさんはさらに意気揚々と言葉を続けた。


「その上、これから霊獣を降ろすんだぜ! 俺は常々思ってたんだよ。あの術を考案した始祖達は天才だなってな。なにせ犀とか牛とか霊獣の種族は山ほどあんのに、何を降ろしても必ずネコ耳になるんだぞ!」


 そこでニヤリと笑い、


「しかも野郎の場合だと変化するは目だけだ。なのに女子の方にはネコ耳だぞ! これには始祖達の迸るような情熱パッションを感じざるを得ねえ! さぁ刮目しろよ悠樹! あと十数分もすれば、ここはスパッツ姿のネコ耳少女で溢れかえるんだッ!」 


 グッと拳を固めて熱苦しいぐらいに語る玉城に、悠樹はもう何も言わなかった。

 ただ静かに、冷めた眼差しをはっちゃけすぎるおっさんに向けていた。

 まあ、始祖達の師であり、《救世具》を授けた《神使》が異国人だったためか、《追跡者》の使う用語には造語にも似た異国語が多い。ある意味この国で最も早く異文化を取り入れていたのは事実だ。しかし、だからといって千三百年以上もの大昔に、始祖達を熱狂させるような『ネコ耳文化』が果たしてあったのだろうか……?


 と、悠樹がどうでもいいような内容を、結構真剣に思案していたら、


「……? 悠樹? そなた何の話をしておるのじゃ?」


「え、あ、ゆ、由良……ッ!」


 いつの間にか、由良と翔子が彼のすぐ傍にまで寄って来ていた。

 悠樹の額からどんどん嫌な汗が噴き出てくる。

 まさか、今の間抜けな会話を聞かれてはいないだろうか……。


「ザ、ザックさん! ど、どうしよ…………えっ」


 思わず玉城に助けを求めたのだが、これまたいつの間にか、横にいたはずの玉城が消えていた。探すと十メートル先ぐらいで「じゃあ頑張れよ~」と手を振る玉城がいた。


「あの一瞬でそこまで逃げたの!? どうやったのさ!?」


 驚愕する悠樹の様子に、由良は小首を傾げ、


「なんじゃ? 玉城と何か話でもしとったのか?」


「えっ、あ、う、うん。まぁ世間話をね」


「……? そなた何か隠しとらんか?」


 そう言って由良は少し眉根を寄せるが、 


「まあ、よいか。それより悠樹。この小娘との挨拶は終わったぞ」


「……同い年のあなたに、小娘と呼ばれる筋合いはないのですが」


 由良の実年齢を知らない翔子がそう異論をはさむ。

 すると、由良は憐れむような表情を浮かべながら、自分の腹部に両手をまわし、


「ふふんっ。その貧相な身体では、小娘呼ばわりされても仕方がないと思うがの~」


 ――たゆんっ。

 と、豊かな胸を揺らしてそう告げた。翔子の額に青筋が立つ。


「……言ってくれましたね。それは宣戦布告と受け取ってよろしいのでしょうか」


「うむ。勿論じゃとも。そなたはあらゆる意味で妾の敵じゃ。神刀・《真月》を望む《追跡者》としても……何より一人の『女』としてもな」


「……ああ、なるほど」そこで翔子は少しだけ表情を緩和させた。「先程から随分と攻撃的だったのはそういうことだったのですか」


 ようやく得心がいく。

 実のところ、翔子は由良が攻撃的な理由を、いまいち把握しかねていたのだ。

 神刀の一件が要因かと思っていたが、他の生徒達に比べて由良の敵意は直球すぎる。少し疑問に思っていたのだが、どうやら話はもっと単純シンプルなものだったようだ。


「まったく的外れな邪推を」


 思わず苦笑を浮かべてしまう。

 とは言え、事情を知ったところで喧嘩を売ってきた相手を気遣うつもりもなかった。

 理由はともあれ、虚仮にされては御門家の誇りに関わるからだ。


「警戒する気持ちは分からなくともありませんが、それでも咬みつく相手のことはよく知っておくべきでしたね……」


「……ふん。小娘が」


 一方、由良にとっては家名などどうでもいい。この件こそ最も退けない案件だった。

 そして無言で視線をぶつけ合う由良と翔子。


「え、え? ゆ、由良? 御門さん? な、なんでそんなに殺気立っているの!?」


 再び場を呑みこんだ緊迫感に、悠樹はおろおろとするばかりだ。

 ほぼ無表情のまま睨み合う少女達。本気で怖くなって涙目になってくる悠樹。

 ――と、その時だった。


「お取り込み中のところ悪いけど、少しいいかな?」


 ある意味、空気がまるで読めていない声が割り込んで来た。


「……なんじゃ。鷹宮に神楽崎か。何か用かの」


 由良が割り込んで来た少年――鷹宮と、その背に隠れる神楽崎にそう告げる。


「……? 由良? 知り合いなの?」


 小声で悠樹が問う。すると由良は「妾の級友達じゃ」と即答した。

「あっ、そうなんだ」と納得する悠樹。由良が悠樹のクラスメートを知らないように、悠樹が由良のクラスメートを知らなくても当然だ。


(……と言うことは、この二人は由良に用があるのかな?)


 と、そんな事を思っていたら、


「いや鳳さん。申し訳ないが、今日はそちらの御門翔子さんに用があるんだ」


 鷹宮がそう告げた。翔子が眉根を寄せて眼鏡の少年を見やる。


「……私にですか? 何のご用でしょう?」


 翔子の問いに、鷹宮はわずかに視線を泳がしながら躊躇いがちに尋ねる。


「……翔子さん。僕のこと憶えていないかな? 一応五年ぐらい前に鷹宮家の屋敷で少しだけ会っているんだけど……」


 翔子は頬に手を当てて考え込み、


「鷹宮家の屋敷? あっ、もしかして修司さんでしょうか? 鷹宮家の三男の」


 記憶の淵にあった少年の名を口にする。と、鷹宮はぱあっと満面の笑みを浮かべた。


「うん! そうだよ! 鷹宮家の修司だ! 久しぶりだね翔子さん!」


「え、ええ。お久しぶりです」


 ほとんど面影ぐらいしか憶えていないのを隠しつつ、翔子は頭を下げる。


「挨拶が遅れてすみません。まさかこんな近くに鷹宮家の方がいらっしゃるとは……」


「いや、翔子さん。実は、僕の方は君のことを知っていた。あの入学式でのこともあったしね。本当はもっと早く挨拶しようと思っていたんだけど、神楽崎――友人からあることを聞いて、あえてこの日を選んだんだ」


 真剣な面持ちで鷹宮はそんなことを言う。翔子は眉根を寄せた。


「……どう言うことでしょうか? 何かこの日である必要性があったのですか?」


「ああ、この日。多くの生徒が集まるこの日が重要だったんだ。翔子さん。六大家の一つ、鷹宮家の者として君に望む」


 そして一拍置いて、彼は告げるのだった。


「この場で、僕と《霊賭戦エレム・ベット》を行って欲しいんだ」

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