第7話 銀と蒼の霊賭戦②

 ――新城学園校舎の南階段。

 時刻は昼休み。寝ぼけ眼で欠伸をし、悠樹は一人、屋上へと向かっていた。

 目的はシンプルに昼寝のため。明け方近くに見た夢のせいで完全に寝不足だった。


「ふわあァ……ああ、首が痛い……」


 やけに痛む首筋を右手でさする。今日の目覚めは本当に最悪だった。

 寝ぼけて頭から床に落ちるなんて一体何のコントなのか。

 階段を上りながら自嘲じみた笑みを零し、今度は首をコキンと鳴らす。

 が、一階から二階へと階段を上り続ける間に、悠樹の表情は真剣なモノになった。


(……けど、久しぶりにあの日の夢を見たな)


 この学園に入学してそろそろ二週間。最初はぎこちなかったクラスメート達とも随分とうちとけ始め、賑やかすぎるぐらいの寮生活にも慣れ始めた頃合いだ。

 そんな意外なほど快適な学園生活を、正直、悠樹は楽しいと感じていた。

 はっきり言ってしまえば、かなり気が抜けていたのかもしれない。


 だから、あの日の夢を見たのだろうか。

 突如、未知の化け物に襲われ、親友を失ったあの日を――。


(……だけど、由良と初めて出会ったのも、あの日だったっけ)


 あの日。誰もいない土手で手を差し伸べてくれた白い髪の少女。あの時に彼女と交わした会話は今でもはっきりと憶えている。

 もしもあの時、由良に出会っていなければ、自分は野たれ死んでいたに違いない。

 そう考えると、運命とはどう転ぶのか本当に分からないものだ。


 と、そうこうしている内に階段を上りきり、屋上のドアの前に辿り着く。

 実はここは結構な穴場なのだ。どうも屋上は閉鎖されていると、ほとんどの生徒達が思い込んでいるらしく、いつもひと気がない。絶好の昼寝ポイントだった。


「ふわあァ……」


 と、もう一度欠伸をし、悠樹はドアを開けた。

 すると。


「…………ん?」


 目をぱちくりとさせる。一人だけだが、珍しく屋上に人がいたのだ。


(あれって……御門さん?)


 視線の先。フェンスの傍。そこにいたのは悠樹のクラスメート――御門翔子だった。彼女は悠樹に背を向けて佇んでいた。もしかして景色でも眺めているのだろうか。

 新城学園の屋上からの景観は中々のものだ。学校周辺を覆った雄大な森林に、それを際立たせる青天と白い入道雲。遠くには小さな街並みも見える。フェンス越しなのはいささか残念だが、風景画として残しておきたいような景色だ。

 長く艶やかな黒髪に、涼やかささえ感じる清楚な雰囲気を持つ、まさに大和撫子のイメージを体現したような彼女の琴線に触れる風景なのかもしれない。

 そんなことを思いながら、悠樹が少女の後ろ姿を見つめていると、


 ――がくん。

 いきなり翔子が両膝から崩れ落ちた。


(……え?)


 悠樹は大きく目を見開いた。


(み、御門さん!? まさか、立ち眩みを!?)


 想定外の事態に動揺しつつも、慌てて彼女の元に駆け寄ろうとしたが、


「………もう二週間も経ってしまいました」


 少女の独白の前に動きを止める。そして訝しげに眉根を寄せた。


(……御門さん?)


 困惑する悠樹が背後にいることにも気付かず、翔子の独白は続く。


「うぅ、この二週間、誰ともお話していません。辛いです。寂しいです。泣きそうです」


 言って、顔を両手で押さえてうずくまる翔子。

 それから、いやいやと言わんばかりに長い髪を揺らして首を振り、


「うぅ、四六時中視線が突き刺さって痛いです。怖いです。無視は本当に笑えません。私は幽霊ですか? そう言えば、私の四代目になる上履きはどこにいったのでしょう?」


「………………」


 悠樹が何も言えず立ち尽くしていると、少女の肩が小刻みに震え出した。


「ううぅ、それにとうとう明日、ニクラス合同の実技の時間が来ます。何なのですか、スリーマンセルになっておけというのは。無茶すぎます。ツーマンセルだって不可能です。私はぼっちなんですよ。一体どうしろと言うのですか……ふぐぅ」


 まるで機関銃のように一気に愚痴 (?)を撒き散らした後、涙ぐむ翔子。

 そして最後に、消えてしまいそうな声で彼女は呟いた。



「……もうやだぁ……だれか、助けて……」



(……うわあ)


 悠樹は頬を引きつらせて一歩後ずさる。

 次いで彼女の背中を見据えながら、無言で両腕を組んだ。

 これはかなり困ってしまった。自分は一体どうすればいいのだろうか……。

 ふと、変な知識が脳裏に浮かぶ。


 もしやこれが噂に聞く「涙を流す少女に手を差し伸べるシーン」なのか?

 なら、自分はここで彼女に手を差し伸べるのが正しい行動なのか?


(いやいやいや、そうじゃないだろ)


 と、悠樹は額に手を当ててかぶりを振った。

 ちなみに、その間も「……ひっく。だ、だれかぁ、だれか助けて」と肩を震わせて助けを求める翔子の声が、嫌でも耳に入ってくる。

 彼女の悲痛な声に、悠樹は表情をより強張らせた。これは流石に一目瞭然だ。

 彼女は今、本気で嗚咽を上げている。明らかに憔悴しきっていた。


 きっとこの二週間、辛いのを懸命に我慢してきたのだろう。教室で見せていた泰然とした態度はすべて表層だけの演技だったということか。


 そんな風に考えると同情心も湧いてくるが、本来この少女は神刀を奪取する上での最大のライバルだ。最も警戒すべき人物。隙あらば蹴落とすべき相手だった。


 だからこそ、ここは彼女をより追い込めるチャンスと受け取るべきだった。

 そうすれば三年後の《救世具アークス》争奪戦が断然有利になるのは確実だ。


(……うぅ、確かにそうなんだけど……)


 しかし、そんなことを平然と実行できるほど、悠樹の心は強くなかった。

 結局のところ、大仰な異名に反して、悠樹は骨の髄まで甘いのだ。

 泣いている少女を追い込むことは勿論、ここは何も見なかったことにして立ち去ることさえも出来ないぐらいに、彼はお人好しだったのである。


 ……全くもって緩い・・覚悟だ。

 自分でもうんざりしてくる欠点だが、やはり放置だけは出来ない。


 少しだけ肩を落としてから悠樹は意を決し、震える翔子の背中に声をかける。


「……あの、御門さん?」


「――――ッ!?」


 ビクンッと肩を震わせて、翔子は悠樹の方へと振り向いた。

 愕然とした少女の表情。

 それを見て、悠樹は思わず息を呑んだ。

 整った細い眉に桜色の唇。理想形を求めた人形もかくやといった鼻梁。白い頬を微かに上気させて、瑠璃色の瞳から涙を零す彼女は見惚れるぐらい美しかった。

 こうして面と向かって構えると、彼女は想像を絶するほどに綺麗な少女だった。

 呼吸さえも忘れる悠樹に対し、翔子はごしごしと必死に涙の跡をこすった。


 彼女の顔色は少し青ざめている。

 まさか、後ろに人がいるとは考えてもいなかったのだろう。


「……ひぐっ、な、何故、ここに人が?」


 そんな困惑の声を上げながら、ひとしきり両手で涙を拭い終える。

 それから毅然とした態度ですっと立ち上がると、


「………確か、私と同じクラスの生徒ですね。いつからいたのですか?」


 翔子は射抜くような眼差しで、悠樹にそう尋ねた。

 彼女の白い頬には未だ涙の跡こそ残っていたが、悠樹を見据える表情はすでに普段通りのものであり、実に泰然としていた。

 この立て直しの早さは、本当に見事なものだった。

 これまで誰にも演技を悟られなかっただけのことはある。


「あ、ご、ごめん……」


 それに対し、悠樹の方はハッとしてから「……その、結構前からいたよ」と気まずげな様子で頬をかいて告げる。

 一方、翔子は自分の失態に、内心で渋面を浮かべた。

 ――何たる失態か。よりにもよって同じクラスの人間に醜態を見られるとは……。

 数秒間だけ屋上に静寂が訪れる。と、


「……分かりました」


 不本意ながらも、翔子は本題を切り出すことにした。


「それで、あなたの要求はなんでしょうか? 今の醜態を見なかったことにする代償に、可能な範囲であれば、あなたの要求に応えましょう」


 と、感情が全くこもっていない機械のような声で粛々と告げる。

 弱みを握られてしまったと考えた翔子は、とりあえず要求を叶えて見返りに口止めすることにしたのだ。善手でないが、ここはやむなしと割り切っていた。ただし、もし眼前の同級生が過剰な要求をするのならば、強引な排除もいとわないとだけ決めていたが。


 ――が、そんな彼女の考えは悠樹も察していた。

 一瞬だけ困ったような顔をした後、少年は深々と嘆息し、


「そうだね。なら一つ提案・・するよ」


「………提案、ですか?」


 翔子が眉根を寄せる。一体どんな無理難題を……?

 そんな風に警戒する翔子をよそに、悠樹は苦笑を浮かべて言葉を続けた。


「うん。提案だ。あのね御門さん。明日の合同実技だけど、僕さ、一人は1組の子と約束しているんだけど、もう一人はまだ決めてないんだ」


「…………え」


 思いがけない切り出しに、翔子は訝しげに眉根を寄せた。


「だから提案だよ。ねえ、御門さん。僕と一緒にチームを組まないかい?」


「―――……」


 翔子は無言のまま悠樹を見据えた。

 それは彼女にとってかなり意外な提案であった。

 まさか嫌われ者の自分をチームメイトに誘ってくるなんて……。


「……チームですか……」


 少し困惑するが、願ってもないことである。

 翔子は一種だけ口角を緩めて、思わず彼の提案を承諾しそうになった。

 が、すぐにキュッと頬を引き締め直すと、


「……ありがたい申し出ですね。ですが、何が目的なのです? 要求の代わりに私に恩でも売るつもりですか? それとも私の無様さを見て同情でもしてくれたのですか?」


 と、少し探るような口調で尋ねる。

 たとえ切望していた申し出であっても、簡単に飛び付く訳にはいかなかった。

 なにせ、すでにこの学園内は彼女にとって敵だらけの場所だった。

 油断させてから寝首をかく。眼前の少年がそう企んでいる可能性は大いにあり得る。


 翔子は表情の方は一切変えずに、心の中では警戒度を上げていた。

 しかし、それに対し、悠樹の行った事といえば、


「う~ん。はっきり言うと同情だと思う」


 と、素直な気持ちを吐露することだった。

 次いで悠樹は何とも言えない微妙な表情を浮かべてから、ボリボリと後頭部をかくと独白のような小さな声で言葉を続けた。


「その、君を見て凄く辛そうだと思ったからさ」


「…………え」


 翔子は少年の言葉に呆気に取られた。が、数瞬後には微かに苦笑を浮かべていた。

 ああ、なるほど。要するにこの少年は――。

 ここに来て、ようやく翔子は悠樹の性格を大体ではあるが把握できた。


「……あなたは随分と人が良いのですね」


「え、いや、その、どうなのかな?」


 と、一瞬気まずげな表情をする悠樹だったが、


「けどさ、御門さん」


 不意に真剣な眼差しを向けて、翔子へと告げる。

 その眼差しはあまりにも真直ぐすぎて、翔子は少し息を呑んだ。


「これって多分普通のことだよ。だってさ、女の子が泣いていたら誰でも心配するし、同情だってするよ。ましてや御門さんみたいな可愛い子ならなおさらだ」


 そして臆することもなく、そんな口説き文句を吐いてくる。

 彼の表情は実に真面目なものだった。


「………可愛い?」


 一方、翔子は少し困惑した表情を見せた。


「その……この私が、ですか?」


 そう呟くなり、彼女の顔に自嘲の笑みが刻まれる。どうも翔子は周囲の人間に冷たい印象を抱かれやすいらしく、可愛いなどと評されたのは幼かった頃以来だった。

 正直、皮肉のようにも聞こえてしまう。

 すると悠樹は、


「はは、そりゃあ可愛いよ」


 と陽気に笑った。


「だって、こんなところで一人が寂しいって泣いていたらね」


「…………う」


 翔子は言葉を詰まらせる。流石にこの台詞には反論できなかった。

 だが、ここで彼のペースに呑まれるのはまずい。翔子はコホンと喉を鳴らし、


「……まあ、私が可愛いなどという戯言は置いとくとして」


 翔子は瑠璃色の瞳で真直ぐ悠樹を見据えた。


「本当にその提案でよろしいのですか? 迂闊に私に関わってしまうと、あなたまでクラスや学園中を敵に回しますよ」


 恐らくこの少年はかなりのお人好しだ。そう感じたからこそ忠告する。

 すると、悠樹は少しだけ頬を引きつらせると、「ま、まあ、僕としてはクラスメートの反応よりも由良の方が……」と誰にも聞こえない小声で呟いた。


「どうかされましたか?」


 翔子が髪を揺らして小首を傾げる。と、悠樹はすぐにかぶりを振って。


「いや大丈夫。その、心配してくれてありがとう。けど僕の方は大丈夫だよ」


 そして、悠樹は優しい笑みを浮かべて翔子に尋ねた。


「だから御門さん、僕の申し出を受けてくれるかな?」


「……………」


 一瞬の沈黙。

 翔子はかなり逡巡するが、ややあって「分かりました」と頷いた。

 悠樹はにこっと笑った。


「うん。それじゃあ一緒にガンバろ。あ、その前に一言」


「……? 何ですか?」


 怪訝そうに眉根を寄せる翔子に対し、悠樹は真剣な面持ちで告げる。


「今後はあまり無理をしないこと。一人で抱え込んでも辛いだけだよ。助けて欲しいのなら、ちゃんと相手に対して言葉にしないとダメだよ」


「……………」


 そんな気遣いまでしてくれる少年に、翔子は少し困惑した表情を浮かべた。

 余計なお世話とまでは思わないが、心配のしすぎぐらいには感じる。だが、酷く落ち込んでいたのもまた事実だ。翔子は小さく息を吐くと「心に留めておきます」と答えた。


「うん。じゃあ、今後は、ちゃんと僕とかにも相談してね」


 にっこりと笑う悠樹。

 彼の笑顔を前にして翔子も流石に少し気恥ずかしくなってきた。それに加え、さりげなく今後も自分が助けると言ってくれた少年の気遣いが素直に嬉しくもある。

 ともあれ、育ちのいい彼女は呼吸を整えて気持ちを立て直し、


「では、色々と至らずご迷惑をお掛けするかも知れませんが、よろしくお願い致します」


「うん。僕の方こそ迷惑をかけちゃうかもしれないけど、よろしくね。御門さん」


 互いに友好的な挨拶を交わす二人。

 こうして四遠悠樹は、御門翔子の初めての友達になったのだ。

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