第三章 銀と蒼の霊賭戦

第6話 銀と蒼の霊賭戦①

「……なん、だよ、ここは……」


 その少年は呆然と呟いた。

 彼が今いるその場所は、あまりにも異様な世界だった。

 視界に映るのは、無数にある車両の残骸と幾つもの亀裂の入った車道。その脇を何百年も放置されたような朽ちたビルが並び建っている。

 まるですべての文明が滅び去った世界のような景観だ。それだけでも充分なほど異常な光景なのだが、その上、それらすべてが紅かった。


 少年は喉を鳴らして、わずかに視線を上げて空を見やる。

 そして頬に一筋の冷たい汗を流す。驚くべきことに、夜空を除けば雲や満月さえも紅く染まっていたのだ。まさに血で彩られたような真紅の世界。

 しかも、その異様な世界の中心にいるモノ・・は――。


「早く逃げろ! 悠樹!」


 不意な叫び声に、少年――都築悠樹つづきゆうきはハッとする。

 声を上げたのはこの場にいるもう一人の少年――石神大和いしがみやまとだった。

 少し灰色がかった短い髪と精悍な顔立ちが印象的な少年だ。百七十代後半という中学生としてはかなりの長身を持つ彼は悠樹の親友であり、幼馴染でもある少年だった。

 大和は右腕に橙色の甲冑を、手には大きな斧を握りしめていた。彼の獣衣だ。多くの獣衣は西洋鎧に似たものが多いのだが、大和のそれは東洋風甲冑を思わす形状だった。

 六大家の一つ――石神家の特徴である。


「な、何言ってんだよ大和ッ!」悠樹は声を張り上げて叫ぶ。


「逃げるんだったらお前の方じゃないか! 分家が本家に守られてどうすんだよ!」


 大和は石神家の本家筋――それも次期当主を約束されている人間である。

 一方、悠樹は数多くいる分家筋の一人に過ぎない。

 この場で盾となるべきなのはどう考えても自分の方だった。

 しかし、本家の人間であるはずの大和は、そんな理屈は認めなかった。


「こんな時にそんなん関係あるか! 第一お前まだ霊獣の契約もしてねえだろうが!」


 と、吠える大和。その事実に悠樹は一瞬グッと言葉を詰まらせるが、


「それこそ関係ないじゃないか!」


 思わずそう言い返す。――そうだ。今の状況には霊獣の有無は関係ない。

 何故ならば……。


「大和だってもう気付いてんだろ! その化け物は――」


 一拍置いて、悠樹はさらに声を張り上げた。


「《妖蛇・・じゃないってことに・・・・・・・・・!」


「…………」


 大和は何も答えない。

 悠樹は渋面を浮かべて前方にいる『化け物』を鋭く睨みつけた。

 学校からの帰り道。悠樹達の前に突如現れ、この真紅の世界を創り上げた化け物。

 《妖蛇》にそんな能力があるなど聞いたこともない。

 そもそも眼前にいる獅子の巨躯に純白の翼を持つこの怪物は、《妖蛇》の証たる宝石角をどこにも持っていなかった。

 だからこそ霊獣の有無は関係なかった。霊獣とは《妖蛇》と戦うためのパートナーだからだ。この未知の敵に対しても通じるかは疑問だった。


 悠樹は必死に策をめぐらせる。

 今は戦うべき時ではない。いかにしてこの場を切り抜けるかが重要だった。


 だが、この化け物は果たして自分達を見逃してくれるのか……。


「グルルルルゥ――……」


 低い唸り声を上げて、のそりのそりと間合いを詰めてくる獅子の怪物。

 悠樹は焦りを隠しつつ、静かに喉を鳴らした。

 やはりこの化け物は自分達を『敵』か、もしくは『獲物』だと認識している。

 もはやいつ襲い掛かって来てもおかしくない状況だった。


「………悠樹」


 その時、大和に呼びかけられ、悠樹は再びハッとした。

 慌てて大和の方に視線を向ける。親友の横顔はすでに決意していた。

 悠樹は強い焦りを抱く。大和とは何だかんだで物心ついた時からの付き合いだ。

 大和の性格や考え方は大体分かる。

 きっと先攻をしかけてあの化け物の隙を窺い、悠樹が逃げる時間を稼ぐつもりなのだ。


「俺が突破口を開く! 隙を見て走れッ!」


 まさしく予想通りの大和の指示に、悠樹が青ざめた。

 ぞわりと背筋に嫌な予感が走り抜ける。その選択肢は――。


「――ダ、ダメだ! 待つんだッ! 大和ッ!」


 直感から悠樹は制止をかけるが、大和は止まらない。強化された身体能力で瞬く間に化け物との間合いを詰めると、獅子の眉間めがけて斧を振り下ろした――が、

 ――ガキンッ!


「な、に……?」


 鳴り響く破砕音に、零れ落ちる大和の呟き。そして双眸が大きく見開かれた。大和の斧は獅子の眉間に、わずかな傷跡を残しただけで砕け散ったのだ。

 攻撃のタイミングも威力も必殺だった。だが、それでもほとんどダメージを負わすことが出来なかった事実に大和は愕然とする。

 が、それ以上に愕然としたのは悠樹だった。


「――ッ! やばい! 大和ッ! 早く逃げるんだッ!」


 と、叫び声を上げる。獅子の化け物が煩わしそうにかぶりを振りながら、ゆっくりと動き出したのだ。その眼差しには怒りの光が宿っているようだった。

 しかし、大和の方は壊れた斧を見つめたまま放心状態だ。まだ立ち直れていない。

 そんな少年に対し、獅子の化け物は前足を大きく振り上げた。

 悠樹の顔から一気に血の気が引く。

 汗が一向に止まらない。

 灼けつくような焦燥感から喉が酷く乾いていくのを感じた。

 まずい、まずい、まずい! このままでは――。


「お、おい、やめろ……大和ッ! 逃げるんだ、大和ッ!」


 悠樹は走り出し、必死になって右手を前に伸ばした。

 だが、ここからではあまりにも遠すぎる。この手は届かなかった。

 そして――……。



「……………痛い」


 勢いよくベッドから落下した悠樹が目を覚ましたのは、その時だった。

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