第4回 宗教とは何か
宗教とは何か。もっといえば「宗教とは何かにどれだけ意識しているか」である。また、どれだけ、とは、専門的な説明ができるとかたとえば神社という(宗教にかんする・かもしれない)ことばがうかぶ、とか、ていどの差はいま問わない。
宗教とは何か。それは「意識」である。その意識がどこを向いているか(対象としているか)といってもいいかもしれない。それはまた一方的なものであるかもしれないし、双方向的なものであるかもしれない。また、それらが複合していることも考え得る。これをもとに本稿で「宗教とは何か」を考える。
では私の「宗教とは何か」という「意識」はどうなのか。これをいわゆる宗教観と言い換えると次のようになるだろうか。
人々が行動する。その対価として自然(作物の出来)現象が起きる。また当時では科学的に証明され得なかったような不可思議な現象が発生する。畏怖の対象となる。畏怖の対象が自然であったり、あるいは文字であったり音声であったりする。いづれの形式にせよ「宗教とは何か」の本質は「形式美」であろうと思う。
文字が生まれるとその形式美が「自己を顧みる」ため記録されるようになった。形式美が統一性や規範をも兼ねるようになっていったある。典範や法典など「統一」の定めである。
そうすると、人間(ヒト)の心理として「いや、これはおかしいのではないか」と思う人が出てくるわけである。この人が「私とは何か」の第一人者である。偉大なる異端者、などと軽く口にしてはならないと思うが「私とは何者なのか」とか「私は誰なのか」と初めて問い、記録に残したは人はすごい。
「私」を軸にしては求めたい「何」は得られない。
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