第3回 「何か」とは何か
私は、日本の出版物のタイトルに「〜とは何か」が多すぎると思っている。文部科学省(旧・文部省)検定教科書に収載されている教材を含めてもだ。その「何か」がなんなのかを読者は知りたいのである。それを曖昧にしてタイトルにするなど、読者を馬鹿にしている。読者に「〜とは『何か』」を問うな。それをタイトルにしろよ、と私は思い買う気がしなくなる。
たとえば『「何か」とは何か」』をテーマに研究する第一人者で、その著作集の表題として用いるのであれば、この先生は主たる研究テーマがこの分野だからこの題名でも納得できる、となることはあろう。ただ、こういう場合は一般的に例外で、一般向けの書籍には不適である。なぜか。この段落のはじめに書いたように前提が「研究」であって、対象読者が絞られているからである。研究者が購入する場合、目的がある。これは一般書とことなって「流行っているから」とか「なんとなく」とかは通用しないのである。はっきりと「AのBによるCについて」のようなタイトルにする必要がある。
ここで「『何か』とは何か」という話に戻る。
たとえば。どうも昨今『生きるとは何か』という本が売れるようである。これの要素を分解すると、「生きるとは何か」と「何かとは何か」になる。生きるとは何か、というと世の中では「生きるか死ぬか」の2択式と捉えられがちである。さて。ここでもうひとパターン「何か」が増えた。生きるとは何かと死ぬとは何かである。こうなると考えても仕方ない。どういうことかというと「何か」とはあくまで「仮定」の話である。
「何かとは『何か』」と「『何か』とは何か」とは大きく意味が異なるのである。
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