第8話 零れ話 会合

『ようやく、文字を書けるほどにまで回復できたので、嬉しい。

 ロンによると、あそこまで大変な施行をしたのに、ここまで早く動けるようになるのはすごいと褒めてくれたが、自分からすると遅すぎたくらいで、これまで世話してくれた人たちに申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 感謝の気持ちも込めて、これからはもっと動けるようになって、前以上に役に立てる人間になりたいと思う』


 二代目だった頭領が去り、三代目を迎えた年の秋、ゼツが望みを達成して戻って来た。

 一つの所に止まるのを良しとしない彼らが、これまで三代目を迎え入れた隠れ家を動かなかったのは、元々この男を出来るだけ近い場所で迎える為だった。

 未だ十代の男が、望みを達成してきても、迎える方が安心できるのはまだ先だ。

 実の父親から皮膚をはぎ取り、それをゼツの体に張り付ける作業が残っており、それが非常に大掛かりになるはずだからだ。

 本能のままに動き、それでも何とか指示通りに生きたまま父親を連れ戻ったゼツを別室で眠らせ、肉がむき出しの体の断面を少しずつ削ぎながら、瀕死の父親の皮を引っぺがして貼り付けるという、気が遠くなる作業が残っていた。

「……新鮮な皮膚が、一番馴染みやすいのよ。だから、まだ死なないで我慢なさい」

 人を食ったような笑顔で、ロンはそんな非道な言葉を投げ、作業を始めた。

 親子の容体を見ながら、それでも速やかに休まないように作業を施し、後は患者の体力次第と言う状態にまでなったのは、丸七日後だった。

 その間、ロンはランと交代で休憩を取りながら、同じ作業を繰り返した。

 初めの一日は、動けない程に痛めつけられてはいたものの、未だ頭がはっきりとしていた純潔の狼と、会話を交わす余裕があったが、作業も終わりに近づくと、男たちの体力は大幅に無くなり、無事皮膚を移し替えるのが先か、父親が死ぬのが先かとやきもきしたが、どうにか作業は終えることができた。

 最後の皮膚をゼツに張り付けたロンが、その場で寝ころんでしまったのを見てから、ランは何とか立ち上がり、殆ど皮膚を残さない大男の遺体を見た。

 藁で編んだ敷物を被せ、別の小屋で待つ仲間たちの元へと向かう。

 大男は、死の苦痛を紛らわせるためと言うよりも、その苦痛を和らげる理由になると言って、とんでもない懺悔をして来た。

 それは、友人である男への劣等感を捨てきれず、愛したはずの女を騙し、男の子供をだまし取らせてきたという、聞き捨てならない内容だった。

 ついこの間、逃げた父親によって教えられた話と、恐ろしいほどに辻褄が合った。

 気を紛らわせる話題にしては刺激が強い話に、顔を強張らせるランに男は吐き捨てるように言った。

「腹が立ったんだよ。オレは、愛する女との間に、子供を作るのが怖くて、深みにはまる前に別な女に種を植えたってのに」

 愛する女との間にできた子とは、恨み恨まれの間柄になりたくない、そんな悩みを持っていた男ウルは、このことだけは友人の男に腹を立てていた。

「……お前、知ってて女に誘惑させたのか?」

 籠った声になるランに、ウルは泣き笑いで頷いた。

「出て来た子が、女の子じゃなくて良かったよ。あいつを思い出して、別な可愛がり方をしていたかもしれない」

「……」

 それは良かったと、ランも思う。

 カスミの曖昧な説明で、女が何か不安を感じて、ランの母親と同じような願いを持ったのではと思っていたから、この辺りはセイを産み落とした女に感謝できそうだ。

 本当の父親への鬱憤を晴らす的になっていたのなら、この大男と顔を合わせたセイが、あんな顔をするはずがない。

 この強面、外面に似合わずいい父親していたようだ。

 そう感想を漏らしたランに、ウルは無言で首を振った。

「いい父親なら、もう少ししっかりと、力の使い方を伝授できたはずだ。そうすれば、あんな馬鹿馬鹿しい罪を負う事は、なかったんだ」

 あの日、セイと共に山に狩りに行き鹿を仕留めた後、一人で家に帰したことがそもそもの発端だったと、大男は顔を歪ませた。

 一人留守番をしていた女が、村の男三人をやんわりと追い返そうとしている時に、セイは家に辿り着いた。

 振り返った男たちが、女とも男とも違う綺麗な子供に気付いたのが、不幸の初めだった。

「オレが戻った時には、既にあの子は人を手にかけた魔物として、教会に連れていかれた後だった」

 家の出入り口の前に、生々しい跡が残されていた。

「襲い掛かった男たちの勢いと、ライラの悲鳴に驚いて、持って帰った鹿を破裂させてしまったんだっっ」

「……鹿?」

 そう言えば、鹿を狩ったと言っていたなと思い出し、ランは目を細めた。

「血抜きをしてから渡した。オレが、血糊を洗い落とす間に、家に帰って捌いておくと言って、先に帰ったんだ」

「いや、幾つのガキに、そんな事まで手伝わせてたんだ?」

「ああ。あの日くらいは、一緒に帰ってやるべきだった」

「その日だけじゃなく、いつもそうしてろ」

 獣を捌けるのも恐ろしいが、その時持って帰った鹿の大きさも気になる。

 悔やみに悔やんでいるウルは、顔を歪ませたまま続けた。

「村の連中、男どもの言い分を信じて、男を一人手にかけたとあの子を教会に……一人も、減っていなかったというのに、昔行方をくらました男の名を出してまで、あの子を貶めたんだっ」

 子供も、言い訳しなかった。

 それどころか、自分はウルやライラとは血が繋がっていないと、そう言い切った。

「きっと、冬に向けての保存食を作る前に、木っ端みじんにしてしまったのを、悔やんだせいだっ」

「……」

 死活問題だが、血を否定するほど追いつめられてしまったのか?

 ウルの言い分は、所々疑問を覚える物だが、当のセイに真意を聞こうにも、繊細過ぎる話になりそうだった。

「火刑になる前に助けて、ライラの母上に預けたが、その後行方が分からなくなっていた。シノギの奴が、死んだと断じたからそうだと諦めたが、ここにいたんだな」

 ここでも、ウルはそう誤解した。

 セイの実の父が、自分に近づかせないためにここに連れて来たと、そう思ったようだがそれを正してやる謂れは、ランにはなかった。

 曖昧に返事をし、気を紛らわせるための会話を続けた。

 徐々に口数が減り、とうとう息をするのも苦痛になって来た大男は、倅の皮膚を補い切るまで生き抜いて、静かに息を引き取った。

「……まあ、これは称賛に値するな。お前自身がまいた争いの種を、摘み切っただけに過ぎないが」

 この後、数日の間薬で眠らせていた倅が、何の触りもなく回復するかも、今はまだ分からない。

 だが、それを心配するより先に、この大きな男の死体を、何とか供養がてらに始末しなければならない。

 こんなことに、まだ来たばかりの三代目の判断を仰ぐまでもない。

 始末の付け方は決まっているが、あそこまでの事情を自分一人の胸に仕舞っているのは、苦痛だった。

 かと言って、全て話すのもまた、色々と触りがある。

 ゆっくりと歩きながら、ランは聞いた話を頭の中で反芻し、端折れる話と話すべき話をより分けた。

 端折った部分は、墓の中に持って行く覚悟で。


『戻った頃には、頭領が代替わりしていた。

 まさか、本当にあんな小さな子供に後を継がせようと思っているのかと、初めに見た時思ったが、実際に間近で見てもやはりそう思った。

 年齢を聞くと、八歳だという。

 よくよく話を聞いて見ると、そうせざるを得ない事態にまで、カスミの旦那が持って行ってしまったらしい。

 ロンやエンは、頭領としてではなく、弟とでも見てくれと軽く言っていたが、少しだけ難しい。

 あの、今はいない狼が、実の息子以上に溺愛した子供だと聞いた時には、色々な思いが湧き出て困った。

 あの子の事を深く知った今では、別な心配で心底困っているのだが……』


 その寄合は、三代目の頭領がやって来てから、何度か行われた。

 一度目は、カスミが置手紙一つでセイを頭領に指名し、姿を消した日の夜だ。

 子供の世話はジャックに任せ、夕食後に集まった面々は、殺伐とした空気を纏っていた。

「ねえ、エンちゃん」

 その筆頭は、カスミの幼馴染で、初代頭領だったロンだ。

 腹をくくってテーブルに着き、穏やかに笑顔を浮かべるエンに、大男は真顔で声をかけた。

「あなた、何処まであの子の事を知ってるの?」

「何処まで? 別に、どうでも良くないですか? オレにとっては、五体満足でなくとも、元気であるというだけで、意味がある子なんです」

「元気? その度合いが、あたしの顎を肘で砕こうとするほどでも、元気ってだけになるの? あたしには、乱暴、にしか感じないけど?」

 笑みを濃くした男は、穏やかに返した。

「元気の一言です。それに、あの子がオレの見ている前で、肘を壊しそうなことをするはずがないです。前の家の前に残った石でも、落とす気だったんじゃないですか? その位なら、乱暴とは言えないでしょう?」

「石……」

 ロンが顔を顰めた。

「ああいうことができるのも、知ってたのね?」

「ええ。だって、家の前を見たでしょう? 穴を掘ると言い始めた時は驚きましたけど、その初めて掘った穴、水源を見つける程に深く掘ったんですよ。面白いんで、色々と教えてる最中だったんです」

「面白いって、お前な」

 ジュラが呆れて呟く傍で、ジュリも苦笑している。

 まだ十歳にも満たない子供が、そこまでの力を発揮するのを驚きこそすれ、面白がる時点でエンも、あの父親の血筋だ。

 この際、どこまでその異常な力を目覚めさせられるか、ランも試してみたいと思うのだが、ロンの険しい顔がそれを止めた。

 軽くテーブルを叩き注意を引き付けた後、大男は真面目に言い切った。

「これからは、生きる事に大事な事だけ、教えて行きなさい。十年なんてすぐに過ぎちゃうんだから、そんなお試しみたいな異常な事を教え込む暇なんか、ないわよ」

 その言葉で締めくくられた寄合の後に集まったのはその数日後で、ゼツが目的を達して戻るという連絡をして来た頃だった。

 先日と同じように、ジャックに三代目を託して集まった面々は、一様に真剣だった。

「そろそろ、お披露目を考えなくちゃ、いけないわね」

 不安まみれの披露目事情が、その日の課題だった。

「一応、頭領らしく出来るように教育してるんだが、貫禄だけは短期間でどうこうできないもんな」

 頷く一同は、心配していた。

 真面目なあの子供が、貫禄がないからと態度で棘を出そうと考えるのではと。

 冷たい態度をとるセイを見るのが、悲しいからではない。

「あれを、他の、初顔合わせする子たちにまで見せると思うと、許せないわ」

 ロンが、悲壮の顔で言い切ったのには、事情があった。

 頭領としての教育を施されるうちに、他の代の頭領たちとは違い、短い期間の滞在になるだろう自分を敬い、受け入れなければならない群れの者達に、セイはどういう態度でいればいいのか大いに悩んだらしく、一時期ジャックやエンにすら冷たい態度で、突き放す物言いをしていた。

 ロンやジュラジュリにもその態度を取っていたのだが、それは長く続かなかった。

 全員がすぐに、気づいてしまったのだ。

 その態度を取られた自分達が衝撃で傷つく様を見て、狼狽えている事に。

 結果、わざと傷ついた顔をし始めた面々に気付き、セイは無駄と気づいてすぐに態度を改めた。

 ただ、無感情に戻ってしまっただけだが、今度は他の仲間たちに貫禄を見せたいと考えて、同じことをしようと目論まれるのは、困るというよりも嫌だった。

「絶対、惚れちゃう子が、増えちゃうわっっ」

「うーん、好かれるまではいいが、それが色恋絡みにならないか、心配だよな」

 ランとロンは、あの態度ですっかりセイの虜だった。

 色恋には全く及ばないが、別な方向の溺愛が危ぶまれる事態だ。

「オレとしては、可愛がられる分には構わないですけど、条件を設けて欲しいですね」

 穏やかにエンが切り出し、その例えを出した。

「例えば、後ろ黒い考えであの子に触れたら、斬首、とか」

「そうね。それ位は、考えておきましょうか」

 思いのほか極刑を切り出され、ジュラが目を剝く中、ロンが真顔で頷いた。

「え、それは、少しひどくないか?」

「そうね」

 思わず物申した兄に頷き、ジュリが言う。

「斬手、でいいんじゃないかしら」

 言って微笑んだ妹を、ジュラはついつい別な生き物を見る目で見てしまった。

 その目を見て首を傾げ、女が言う。

「え? 優しすぎるかしら? 頭領に手を出そうとするんですから、多少は厳しい刑にしないと、甘く見られてしまうわ」

「……」

 妹まで、いつの間にか絡めとられている事に気付き、白い男は目を泳がせた。

 その目線の先で、若干呆れ顔の黒猫が言いつのる男女を見上げている。

「そろそろあの部屋で眠らせるつもりなんですが、群れと合流するに当たって、夜這いも心配しなければなりません」

「そうよね。あの顔であの小ささですもの、頭領と言う地位にあっても、それを軽く見る子もいるでしょうし」

「見張りがいりますね」

 ついて行けない男一人と猫一匹の前で、取り決めが次々と決まって行ってしまった。

 本決まりにするのは、ゼツが戻って全てが収まってからと、その日の会合も幕を下ろした。

 そして今回、全快したゼツを交えての寄合は、妙な方向へと向かった。

 それは、ある難しい教育事情だった。

 初めの課題は、前の寄合で考えた罰則の本決めだった。

 前回の面々にゼツを加え、代わりにオキが抜けてジャックと共にセイの元にいる中、話し合いが始まった。

「罰則、ですか?」

 初耳のゼツが、不思議そうに首を傾げた。

 十代の若者はまだ成長途上で、それでもロンと同じくらいの背丈になっていた。

 父親がそれより大きいから、もう少し大きく成長するだろう。

 ただ皮膚を貼り付けただけの体なので、表情は表に出ない上に、骨格や瞳と髪色が父親似のせいで、強面で全体的に薄い色合いが人を敬遠させそうだが、顔色と声音に正直な気持ちが表れるので、よく知る者たちには何も障りはない。

 灰色がかった銀色の瞳を瞬かせる若者と目を合わせ、ロンが説明する。

「……なるほど、あの子があの部屋を使っているのは、その為なんですね」

「ええ。折角、カスミちゃんが珍しく片づけて出て行ったのに、使わない手はないでしょ?」

 なるほどと呟いたゼツは、隣で秘かに悲観しているジュラの気持ちも分かって、深く頷いていた。

 あの子供をかわいがる度合いは微妙に違うようだが、この罰則については皆同意見のようだ。

 厳しかろうが何だろうが、あの子にそんな感情を抱く事がないならば、自分たちに害はない。

 だが……。

「ですが、セイは、夜冷えるようになって、眠りが浅くなったと言っていましたよ」

「え?」

 全員が、驚いた声を出した。

 冬も深まって来たのだから、その心配もあるというのに、彼らはそこを考えていなかったようだ。

「オキを抱えて寝台に入ろうとしたら、いつも取り上げられると。風邪をひいたらどうしようと、心配を漏らしてました」

 エンが、顔を引き攣らせた。

 猫が相手の時まで心配しなくてもと、ジュラが呆れている。

「ジャックに添い寝を頼んではと、言ってみたんですが……」

「そ、そうだ。ジャックなら、何の触りもないよな?」

 焦った面々が頷くのを見ながら、ゼツが困ったように首を振った。

「子供が出来るまでは、爺さんと寝るのは我慢すると」

 部屋の中が、一気に静まった。


『故郷の言葉を教えるようにとロンから指示を受けたが、教えるまでもないようだった。

 試しに故郷の言葉での問いかけの後に、この辺りの言葉で訳そうとしたところ、訳す前に答えられた。

 どうやら、育ての親が時々、使っていたらしい。

 困ったようにそう種明かしされたが、こちらは別に気にならない。

 やけになっていたせいで、あの男はすぐにこちらの刃にかかってくれたのだから、気にするなと言いたかったが、それも別な意味で気にされそうで辞めた。

 ランに連れて来られるまでいた所は、もう少し暖かい所だったらしく、この辺りは寒いなと言う話になった。

 掛け布に綿を入れてくれているが、寝台に入ってすぐは特に冷たいと嘆いていた。

 あの小ささでは、体温の調整も難しかろう。

 オキを抱いて寝てはと提案したが、すぐに取り上げられたと言っていた。

 何故だろう。

 何か、あの化け猫が自分のいない間にやらかしているのだろうか。

 不思議に思ったが、まずは目下の寒さ対策が先だ。

 血縁者のジャック爺さんに、添い寝をしてもらえばと言って見たら、何故か更に困った顔をされた。

 邪魔したら悪いから、我慢するという。

 何の邪魔なのかと訊いて見たが、それにも眉を寄せたまま首を振られた。

 そして、衝撃的な事を訊かれた。

 それは、ジャックとエンの間に子供が出来るとしたら、いつ頃だろうという全く想像もしなかった事だった。

 出来ない筈と答えたものの、念を押すように訊かれると、返事に困った。

考えてみると自分が知らないだけで、人間とはそう言う生き物なのかも知れない』


「……という事で、子供の作り方を聞かれてしまいまして、今日はセイとオレとの外泊の許可が貰えるのかどうか、訊いて見ようと思っていました」

 静かに説明するゼツが話を終えた時、回復してから書き始めた覚書は、エンの前にあった。

 全部の説明が難しかったので、あの日の出来事を簡単に書いたそれを見せたのだが、ゼツの故郷の文字なので分からないのかもしれない。

 エンが、珍しく表情を硬くして動かなくなっていた。

「春の子づくりの時期に、鳥が求婚から交尾して、子育てするまでが見れる山の中に野宿に行きたいんですが、セイの外泊は禁止なんですか?」

「……その前に、ゼツちゃん?」

 読み終わった覚書をエンに滑らせた後、頭を抱えていたロンが静かに切り出した。

 その声が籠っているように聞こえ、首を傾げたゼツを軽く睨みながら、ゆっくりと尋ねた。

「あなたは人間が、どう言う生き物だと思ってるの?」

 ジャックに子供がと言う言葉で、静かになった面々の中で、ランだけは少し違う黙り方をしていたが、今もしまったという顔で天井を仰いでいた。

 それも不思議で、首を傾げたままのゼツは、正直に答えた。

「他の獣や鳥たちと違って、男同士でも子供が作れるのかも知れないなと」

「出来ないわよっっ。出来てたまりますかっっ」

 鳥肌を立てて叫ぶように言い切り、ロンは立ち上がった。

 その勢いに押され、ゼツが危うく椅子から転げ落ちそうになる。

 何とか体勢を戻して座り直すと、穏やかなはずの男が震えた声で声を出した。

「この場合、どちらが生むと思ってるんだ、あの子は?」

「え?」

「まさか、オレが生むとっ?」

「いや、そこか、気にしてるのはっ?」

 ジュラが、思わず声を出した。

 すると、鋭い返しがある。

「当たり前だっ。子供を産むのは、死ぬほど痛いと聞いてるぞっ」

「そう言う話じゃないだろうっ。と言うか、ジャックが孕む方が、オレたちは怖いっ」

「だから、そう言う話は、冗談でもやめなさいっっ」

 余りに叫び過ぎて、ロンの声は悲鳴に近い。

 そんな醜態をさらすこの男も、とても珍しい。

 全員を黙らせたロンは、一度深呼吸をしてから椅子に座り直し、静かにゼツに問いかける。

「セイちゃんは、ジャックちゃんとエンちゃんが、どう言う間柄か、知ってるのね?」

 エンが、はっと息を呑んだ。

 子供云々の話が衝撃過ぎて、そちらを忘れていたらしい。

「な、何言ってるんですか。オレとジャックは、只の師弟で……」

 遅っ。

 焦った否定の言葉に、ジュラが思わず口の中で呟き、それが聞こえてしまったエンに睨まれると、慌てて言いつくろった。

「今更、取り繕わなくても、全員知ってるぞ」

「な、何で……」

 友人の言葉に目を剝いた男に、友人の妹が首を傾げた。

「と言うか、知られていないと思っていたの? 壁も床も、薄いのに」

 衝撃で固まった弟を見、ランは宥めるように言った。

「オレたちが知っていたのは、まあ、壁と床の薄さのせいだが、セイが知っているのは何でなんだろうな? オレは理由を訊く間がなかったが、お前は訊いたか?」

「いいえ」

 流石はあの二代目の娘だ、全然驚いていないと思いつつゼツは首を振ったが、セイとの会話を思い出しながらそう言えばと呟いた。

「一緒にいる姿が、しっくりくると言う話は、した気がします」

「……それは、言ってたわね。エンちゃんは、お兄さんと言うより、お婆さんだって」

 そう言う意味だったのかと、あの時会話を聞いていた面々は溜息を吐いた。

 ランが頭を掻きながら言う。

「向こうの隠れ家で話した時、男と女じゃないと夫婦にはなれないというのは教えたんだが、子供が作れないというのは、教えてなかったからな。夫婦になれないだけで、家の中に一緒にいれば、おのずと子供が出来ると、そう考えたのかもな。お前とジャックの幸せが見たいから、ずっと我慢してたのか、寒いのを」

 可愛らしい我慢だが、我慢の理由は可愛いかどうか、迷う。

 正しい答えを教えたとしても、その後に訊かれるのは恐らく、あからさまな事だろうから、ゼツの教え方も間違ってはいない。

「つまり、あなたはセイと、お泊りで山に籠る心算なの? 二人っきりで?」

 それぞれ考え込んだり狼狽えたり、珍しいほどに騒々しい感じになっている中、ジュリに少し口を尖らせて問われ、ゼツは身を縮めて頷いた。

「オレが知る限りでは、どんな生き物にも雄雌がいて、子供は交尾と言う行動をしないとできない筈だという話はしたんですが、その交尾が分からなかったらしく……」

 説明が上手くできないと感じ、男は実際に見せた方が早いのではと考えた。

「花街に連れて行く、というのも考えましたが……」

「行かせるわけが、ないだろうっ」

「はい。ですから、オレが一緒でも逃げない鳥類のいる山にと、そう思ったんです」

 花街はゼツにも敷居が高いから、気楽に連れて行けない。

 だが、山ならば勝手が分かるから、丁度いいと思ったのだった。

 ただ、獣の類には妙に警戒されるため、狩りですら近づくのに難儀するから、獲物にするには小さい鳥を見せるくらいしか、ゼツは出来ないと考えたのだ。

 ランは大きく唸って、感心したように言った。

「お前、意外に面白い考え方してるな」

「そうですか?」

「でも、楽しそうだわ。山に小鳥を見に行くのね」

 ジュリがうっとりと呟く傍で、ジュラが水を差す。

「子づくりの仕方を、初めから見る為に、な」

「……」

 可愛らしい試みだが、目的が全てを台無しにしている。

 そして、その詳しい話を聞くと、ある事に気付いた。

「一応は、あの子にも教えたんだな? 男女の間でしか子供は出来ないと?」

「教えはしましたが、とても驚かれて本当かと言われたら、こちらも自信がなくなると言いますか」

 なりは大きくても、まだ十代の若者だから当然だ。

 ランは頷いてから、ゼツの顔を覗きこんだ。

「山に野宿に行くのはいいが、お前大丈夫なのか?」

「何がですか?」

 首を傾げた男に、女は気になった事を問う。

「鳥って、フクロウ類の肉食ならまだしも、他は昼間しか活動しないぞ」

 子づくりも、その刻限だ。

「お前、夜ほど目が利かないだろ?」

 しかも、求婚も子づくりも命がけで、間近に人間がいる場所ではやらないだろう。

「だから、遠目で観察するしかないだろう? お前、ちゃんと教えられるのか?」

「……何で、野宿するとしての例えなんですか」

 気がかりそうに言う姉に、エンが嫌そうに言う。

「いいじゃないか、年も近いんだし。友達同士の交流みたいで、微笑ましいだろ?」

 腹違いの姉弟のやり取りを見つめ、こちらも微笑ましいなと考えながらも、ゼツは控えめに答えた。

「目が利かない代わりに、鼻が利きますので。その辺りは分かると思います」

「へ?」

 ジュラが間抜けな声を出した。

 その男を不思議そうに見つめ、若い男は言った。

「求婚する獣や、交尾する獣の匂いは独特なので、すぐ分かります」

「……」

 唖然とする男の隣で、ジュリが驚愕の顔になった。

 珍しい顔に仰天するゼツに、女は呆然と呟いた。

「あの可愛いゼツが、獣になってしまったわ。どうしましょう」

 一連のやり取りを、頭痛が抑えきれないまま顔を顰めて見つめていたロンが、溜息を吐く。

「あの狼、血筋を残すにしても、あんまりだわ。やっぱり、生皮剥ぐだけじゃなく、もっと弄んでおけばよかった」

「……出来ない事を口走るなよ。そう言う弄び方、あんたは一番嫌いだろ」

「だって、酷すぎるわ。大きく成長するのは仕方ないけど、性質まで似られるのは違うもの。あんな風に育っちゃったら、拾って養った甲斐がなかった気がするのよっ」

 事情を知る面々が、ロンの強い言葉に大きく唸った。

「ああいう事をしでかすと、まだ決まった話じゃないだろ?」

 ランは宥めながらも、ゼツを一瞥した。

 セイを身ごもった女を、狼男が連れて逃げたという話はこの場の全員が知っている。

 体を縮めた狼男の倅が、あそこまでとんでもない事をしでかすかは、今の段階では分からなかった。

 二代目頭領の娘は少し考え、若い男に返事をしたが、それはこの場の面々を宥める為の返事でもあった。

「野宿の件は、もう少し落ち着いてから考えるとして、まずは、すぐに考えなきゃならない事を、決めよう」

「ええ。寒さの件、ですね」

 真顔で、エンも頷く。

「それは、オキを使えばいいだけだろ? あんな小さな獣が、害になるはずがない」

 ジュラが呆れ切ったように言い、エンが溜息を吐く。

「少し、警戒が過ぎたか。風邪をひかれるのも心配だし、要らぬ事を考えられるのも困る、か」

「……寒さは、それで防げるでしょうけど、どう説明するの?」

 寒さの件はすぐに解決し、一同は再び唸った。


『今日は、真剣な話し合いがあった。

 自分が教えきれなかったことも相談に乗ってもらえたので、良かった。

 結果、宙ぶらりんのまま、終わってしまったのが残念だった』

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