第7話
眠り込んだ子供を抱きかかえ、ランが戻ったのを見たカスミは、真面目に言った。
「……寝込みを襲ったのか」
「人聞きの悪い言い方をするなよ。行った時には起きてた。一応、こっちの意向は話してある」
眉を寄せたランの言い分に、ロンが目を丸くする。
「お客さんがいたのに、また寝ちゃったの?」
「……まあ、そんな所かな」
泣き疲れとは、言わないで置く。
セイが恥ずかしがるかもと言うより、自分が泣かせたと知られるのが、嫌だったのだ。
言葉を濁した今は息子の顔を見つめ、カスミは真面目に切り出した。
「連れて来れたのはいいが、一つ不味い事に気付いた」
「何だ?」
真面目な顔を険しくする父親に、ランは思わず身構えてしまった。
「部屋が足らん」
「……ジャックの部屋があるだろ」
「爺臭い子供になるぞ」
「別に、子供の時位はいいだろ。爺臭い位が、丁度いい」
どういう会話よと、ロンが呆れる前で、カスミは真面目に言った。
「一人で過ごすことも、その子には必要だろう。移動するまでの部屋はある。あそこを片付けるまでは、お前が面倒を見てやれ」
「……そのつもりだけど、眠らせて来た二人も、朝には戻って来るぞ?」
「それまでには、話をまとめられるから、心配は無用だ」
「?」
どうまとめるつもりなのか、カスミの考えは実子のランですら読めない。
日が変わる前に戻れたから、元の半端な体に戻ってひと眠りする余裕はある。
自分の部屋へと向かうランの背に、カスミは真面目に声を投げた。
「添い寝だけだぞ。それ以上は許さんからな」
「何の心配をしてるんだよっ。子供相手に、そんな気になるかっ」
むきになったかのような言葉を返す男を、父親は真面目に頷きながら見送った。
「さて、片付けるか」
「……カスミちゃん?」
「何だ?」
やんわりとした声に返し振り返ると、そこには不審な目を向ける幼馴染がいた。
「片付ける部屋って、何処の事?」
「……」
「あたしも、お手伝いするわよ?」
ロンの何かを察した声に、男は微笑んで首を振った。
「いや、こういう片づけ位は、自分でやらねば。お前も、そうだったのだろう?」
「……そうね。でも、あたしの時とあなたの時とでは、また違うわ」
もう心を決めている幼馴染に苦笑し、気楽な口調で言う。
「ヒスイちゃんと叔父様に続いて、あなたにまで捨てられるなんて。あたしって意外に、不幸なのかしら」
「初めに捨てたのは、お前だろう? その上、姉上を、子供が出来た途端に捨てた」
真面目な声の返しは、ロンの心を深くえぐった。
「本当は、お前を無理に連れ去ってでも、姉上の元に戻したいんだが、あの子の事も大事なのでな」
詰まって黙る大男に体ごと向き直ったカスミは、真面目に言った。
「暫くは大変だろうが、後の事は頼む」
気を取り直して表情を改め、ロンは頷く。
「ええ。……お疲れ様」
短い言葉に全ての返事を込め、それを受けた幼馴染は真面目な顔を緩めた。
踵を返して自分の部屋へと向かう。
その背を見送りながら、明日の事を考える。
カスミの思惑は、大体の予想はついているが、それ以上に驚く事態になる事が常だ。
後を任されたからには、冷静に若い彼らをまとめられるよう、今夜のうちに腹をくくらなければ。
いつの間にか、また眠ってしまっていたらしい。
床の上に眠っている筈なのに、妙にふわふわとした感覚を覚えながら、セイは目を開いた。
目を開いたのに、そこは真っ暗なままだ。
「?」
眠い頭でゆるゆると考え、顔を上げた。
確か目を覚ました時、爺さんとエンが眠ってしまい、代わりに男の客と話をしたのだ。
色々と話をしている内に、男の言葉で何故か涙が止まらなくなり、恥ずかしい事に色々と本音を吐いてしまった。
初めて会った人だったのに、どうしてああいう事になったのか、そして今どうして、その人の腕を枕に眠っていたのか、分からないことだらけだった。
無言で無防備に眠るランの寝顔を見上げ、そこまで思いを巡らせて答えを見つけられないと分かると、セイは静かに身を起こした。
その気配で起きたのか、ランがうっすらと目を開いて子供を見上げた。
「ああ、起きたのか? まだ眠っててもいいぞ。今日は、昼まででも寝てていい」
疲れ切った笑顔を見下ろし、首を傾げる。
そんな無言の仕草で、セイが何を不思議がっているのか気づいたらしい。
ランは笑って言った。
「寝心地は、悪くなかっただろ?」
その言葉には無言で頷き、子供は無感情に尋ねた。
「あんた、男だよな?」
「ああ、さっきはな」
答えながらも寝そべり続けるランの二の腕を、そっと腕で突いてみる。
「さっきは、固かった」
「うん」
「ふわふわしてなかった」
「……ああ」
無感情に呟く子供に、少し照れながらランは頷く。
「これが、オレの本来の姿なんだ」
筋肉を緩め性別も変える為、全体力を使う羽目になるから、まだ起き上がるのが億劫だ。
本当の本来の姿は、先程までの男の姿の方だが、色々な未練を捨てるつもりでセイにはそう言い切った。
「……」
暫く黙ったセイは、ランを見下ろしたまま呟いた。
「あんた、色々と苦労してるんだな」
「お前程、苦労してないがな」
「私は、苦労した事がない」
無感情の返事に、ランは思わず眉を寄せた。
先程話した時より、感情が見えない。
苦労して起き上がり、子供の顔を覗きこむと、目の端で黒い塊が、寝台から床に下りたのが見えた。
いつも以上に体が重く息苦しいと思ったら、オキが体に乗っかって伸び伸びと眠り込んでいたらしい。
長々と伸びをしている黒猫を背に、セイがランの目を見返した。
僅かに、不思議そうな色を浮かべるその黒い瞳を見つめ、まあいいかと思い直し、ランは微笑んだ。
「ここが何処か、気にならないのか?」
「今までいた家じゃないのは、分かってるから別に……」
「……そうか」
頷いてから小さく唸った。
会話が、続かない。
これは、親父に丸投げするしかないかと、ゆっくりと寝台から降りようと床にある履物に足を通して部屋の扉に向かった時、急に外が騒がしくなった。
おや、と言う顔になったオキと、何事かと首を傾げるセイを振り返り、ランは言った。
「さて、まだまだ終わってないぞ」
寧ろ、これからだと笑うランは、その笑いが引き攣る事態にまで話が大きくなるとまでは、思っていなかった。
ロンは、カスミの従兄だ。
カスミの父の兄が父親で、カスミよりも年が上だという事は分かっているが、幾つ上なのかは知らない。
父親の末の弟だった叔父と実家を出、方々の国を渡り歩いている年月が長く、里帰りを何度かしている内に、従弟が三人になっていたのだ。
カスミの兄に当たるヒスイですら、自分より数年は年下であるというのだけは分かっているが、確かな年齢は分からない。
だが、幼馴染で気心知れているのは、三人兄弟全員に対して感じている事だった。
その日、早朝にカスミの部屋を訪ね、そこがもぬけの殻になっているのを見ても、ロンはそこまで驚きはしなかった。
昨夜の内に、それは予感していたのだ。
まさか、書置き一つないという事はあるまいと、持って行けなかった寝台やテーブルに目を流し、それを見つけた。
貴重な紙とそう貴重でもない髪の束が、重なるようにテーブルの上に置かれていた。
誰の髪の毛でも放置されている物は、気分が良くないのだが、カスミのだと思うと余計にそう感じる。
綺麗に束ねられてはいるが、一族でも万能と一目置かれていた男の思いが一心に詰まったものだと思うと、更に触りたくない。
しかし、そういう訳にも行かず、ロンはそっとその二つを手に取った。
紙を開き、几帳面に書かれた文字を黙読する。
「……」
思わず盛大な溜息を吐いてしまった。
確かに、この手紙にある案は、あの子にとってもエンやジャックにとっても、悪い話ではない。
だが、膨れ上がった烏合の衆が、それを受け入れるか否か。
それによっては、エンも反対の意を示すだろうし、逃亡を考えてしまうだろう。
思わず手紙を読みながら難色を示しているロンは、次の文面で小さく唸った。
「周りの成否を分けるのは、お前の言いくるめ方次第だって、結局丸投げしてるじゃないの」
毒づく相手は、既にいない。
今頃は、海を渡って身を隠しているだろう。
挨拶位はしたかったが、この案をカスミの口から聞いていたら、引き留めていたかもしれない。
そう感じたからこそ、あの幼馴染も置手紙と言う方法を取ったのだろう。
「……」
暫く手紙を睨んでいたロンが、不意に微笑んだ。
丁寧にたたみながら、一人呟く。
「……落ち着いたら、手紙の一つくらい、頂戴ね。返事位は出したげるから」
呟きながら、注意は外に向いていた。
怒気を孕んだ気配が、静かに近づいているのに気づいて、感心する。
二人とも怒りはあるが、冷静なようだ。
正攻法で子供を取り戻そうとしても、迎える相手達がそれを阻むと分かっているから、こちらの隙を見つけ出そうとしている。
なら、その前にこちらから迎えに行こう。
ロンは、まだ眠っている白い兄妹たちを起こすべく、カスミの部屋から出た。
騒ぎは、ランが外に出た時には収まっていた。
それは、とても歓迎できることだ。
まだ体の節々が痛んで、暴れる者を抑えきる自信はなかったのだ。
顔を顰めながら廊下に出、外へと向かうランの後ろを、何も履かずに素足のまま、セイがちょこまかとついて来る。
意外に足が短いなと、途中で立ち止まり、小脇に抱え込んで歩き出したが、子供は大人しく抱え込まれたままだった。
まだまだ、細い丸太を抱え込んでいるくらいの軽さだ。
だから、呆然と何やら手紙を読んでいたエンが、自分が出て来たことに気付き、その姿を認めて顔を引き攣らせるまで、忘れていた。
「ランっ、何て持ち方してるんですかっ。栄養が足に行かなくなったら、どうする気ですかっっ」
抱え込んでいる子供の体が、僅かに強張ったのに気づき、ランが溜息を吐く。
「成長させるにしても、均等に大きくしないと。大人になってから苦労するんですよっっ。ちゃんと、首を据わらせるように抱いてあげて下さい」
言いたいことは分かるが、エンの言い分はもう少し幼い子供向けの話だ。
「そう言う根も葉もない話で文句を言うな、子供の前で。真に受けるなよ……ほんの少しの間だから、そう慌てて下りなくても、大丈夫だ。ちょっとだけ、内腑が圧迫されるだけで、潰れるわけでもないからな」
急に暴れ出すセイを、ランは何とかそっと地に下ろすと、宥めるように言った。
真顔でセイも念を押す。
「ほ、本当に? 食べた物が、出て来たりもしない?」
そこで頷けばよかったのだが、訊かれた事は太鼓判を押せる話ではなかった。
「ん……それは、お前の腹の具合次第、だな」
「えっ」
「満腹だったとか、気分が悪かったとかじゃなかったら、吐いたりはしないはずだ」
真顔で正直に答えるランを、ジュラとジュリが奇異なものを見るような目つきで、見ている。
目を細めているロンの前で、エンが顔を引き攣らせて全員の心境を口にした。
「何であなたが、そこまでその子と馴染んでるんですかっっ」
「え。だってオレ、お前の姉だぞ?」
「それが、何の関係があると……」
何かの紙切れを握りしめながら言う弟に、ランはけろりと言った。
「お前の姉なら、この子にとっても姉貴みたいなもんだろ」
セイが首を傾げた。
「カエンさんは、お爺さんと仲良しだから、お婆さんじゃないのか?」
「ってことは、オレも、婆さんかっ?」
衝撃を受けたランの返しに、子供は更に首を傾げる。
「……片方に傾げすぎると、倒れるぞ」
足元で黒猫が静かに注意すると、セイは傾げた頭を元の位置まで戻し、言った。
「ランさんは、お兄さんって感じだ。何でだろ」
「そうか、良かった」
安堵する女の前で、エンの方が衝撃を受けたままだ。
男の横でどう宥めるかを思案するジャックの前で、ランは思い当たったようにセイに言った。
「そうだ、さんはいらないぞ。ランって、呼び捨てしてくれ。オレも、セイって呼ぶから」
「分かった」
その会話で、エンが我に返った。
「な、何を勝手に、より親しくなろうとしてるんですかっ」
「だから、いいじゃないか。オレは、この子のお兄さんだ」
明らかに妬いているのが分かり、ランはついつい揶揄うように続けた。
「お前の方が親密だろう? 何せ、お婆さんだからな」
「……っ」
声を詰まらせたエンが、次の文句を並べる前に、不毛な争いが唐突に終わった。
「……あ、夕ご飯食べてなかった」
無感情な子供の呟きが、エンを我に返らせたのだ。
空を仰ぎながら腕で腹を抑えたセイは、今更それを思い出していた。
「ここにかどわかされた時、食べさせてもらえなかったのかっ?」
「眠ってたからな……」
エンの真剣な問いにランが答えると、男は目を剝いた。
「あの後、寝込みを襲ったんですかっ?」
「だから、人聞きが悪いっ。お前、親父と言い分が同じだぞっ」
意地の悪い返しをしてから、静かに言った。
「お前が眠る前に、起きてただろう? あの後、色々話している内に眠ってしまったんだ」
親父と言い分が同じ、その事実に衝撃を受けた弟に、ランは止めを刺した。
「それだけ、安心してくれたんだろう」
「……ランちゃん、その位にしましょ。色々と、混乱してるところだから、立ち直る暇がないわ」
手紙を握りしめたまま固まってしまったエンを見て、ロンはようやくランを窘めた。
溜息を吐いて、手紙を男の手の隙間から抜き取り、ランの方に手渡す。
「カスミちゃん、出て行ったわ」
「……は?」
余裕のある顔で弟を揶揄っていた女が、間抜けな声を出してロンを見た。
「訣別の手紙と、その証」
目を手紙に向けたまま、男は懐に入れていた髪の束を差し出す。
ここまで強引に、事を進めて来るとは。
ランは呆れて手紙を音読した。
「何々、わたくし、二代目頭領カスミは、気力の枯渇と体力の無駄遣いの虚しさを感じた為、その座を返上する……気力の枯渇?」
周りの方が枯渇していたはずだがと首を傾げつつ、ランは読み進めた。
「尚、三代目は後に記す者とし、その者が落ち着くまでは娘ランと息子エンが、責任もって補佐すべし」
?
目を瞬いて顔を上げたランは、同じように目を瞬いているジャックと目が合った。
「は?」
ジュラが、間抜けな声を出す。
ジュリも珍しくぽかんとした顔で、ランを見る。
「あなたか、エンじゃないの?」
「ち、ちょっと待て。長々と能書きが……」
長すぎて、肝心の指名の三代目の名が、未だにない。
流すように黙読し、その名を見つけた。
「……」
それを見上げながら、エンがセイとの間合いと周りの様子に目を流すのを、ロンはしっかりと見つけていた。
「は?」
再びランの口から、間抜けな声が漏れた。
その隙にエンが動くより先に、ロンが女の足元に立つ子供を、横合いからかっさらう。
「……ここまで来たら、もう逃がせないわよ。あなたも、この子も」
「こんなこと、まかり通るはずがないでしょうっ。本人の願いは、こんな所にはないっ」
完全に敵と判断した男は、ロンを睨みながら言い切った。
戸惑うジャックとジュラジュリ兄妹を見回し、セイは自分を小脇に抱え込んでいる男を見上げた。
そして前に立ち塞がって、どうにか自分を取り戻そうとしているエンを見る。
「……逃げるのか?」
「ああ。こんな所には、用はない」
「分かった」
頷いた子供が、何をするつもりか察したオキが、目を見開いて制止の声を上げる前に、ランがようやく言葉を発した。
「セイ」
妙に間の抜けた声に呼ばれ、肘を振りかぶっていたセイが動きを止めた。
女に目を向けると、声と同じように間の抜けた目と目が合う。
「?」
戸惑った子供に、ランは静かに問いかけた。
「お前、ジャックとエンが、幸せになれる事が、望みだったな?」
その言葉にエンが戸惑うのに構わず、子供の答えを待つ。
昨夜の話を蒸し返され、首を傾げるセイをそっと地に下ろし、ロンは静かにそのやり取りを見守ることにした。
「その為なら、お前自身が少し不自由な身になっても、構わないか?」
「ランっっ?」
先に手紙の内容を読んだエンが、目を剝くのにも構わず、ランは子供の答えを待つ。
「……その、不自由って?」
無感情な声が、問い返した。
「どこかに閉じ込められて放って置かれて、床に叩きつけられたり殴られたりするとか、どこかに晒されたまま、焼かれるとかまでなら耐えられるけど、それ以上は分からない」
「うん、そこまでの不自由には、させない自信がある。と言うか、それは耐えなくていい」
相変わらず、境界がはっきりとしない答えだが、ランは真顔で言い切った。
セイの言葉に固まっている数人は無視して、女は顔を険しくしたまま黙ってしまった弟を見た。
「本人の望みを汲むと、お前は言ったよな?」
「……まだ、きちんと訊いていないでしょう」
「ああ。これから、訊いて見る」
籠った声で返すエンは、悔し気な顔になっている。
そう言う顔もできるのなら、まだまだ弟はまともな方だと笑い、ランは再びセイを見た。
首を傾げたままの子供に、静かに話を始めた。
「昨日いて、今いない男の事を、覚えているか?」
「……あの、人間離れした、変な男の事か? あんたとカエンさんの、お父さんみたいだったけど」
「ああ、不本意ながら、合ってる」
ズバリ関係を言い当てられ、ランは苦笑しただけだったが、エンの方は更に悔しそうに顔を歪めた。
「……似てるから、じゃないと思うぞ。そこは、心配するな、な?」
ジャックが慰めの言葉を吐くが、中身は相当似かより始めていたと、ランは思っていた。
血の繋がった弟を、更に傷つけそうなので、余計な事は言わないまま続ける。
「その男は、オレたちの仕事の、頭領だったんだが……夜の内に、それを辞めて出て行った……らしい」
「……?」
曖昧に頷いたセイは、そのまま訳が分からないまま話を促した。
何故、そんな話を関係のない自分に聞かせるのか、分からない。
当然の戸惑い方をしている子供に、ランは言いにくそうに言った。
「その置手紙がこれで、今読んだんだが……頭領を継ぐ奴を、指名してるんだよ」
「あの人の子供の、あんたかカエンさんなのか?」
「いや、それが……」
エンがその座に就くのなら、自分はその連れ合いの孫として、ここにいる事になるのかと、それはいいのかとセイは前に立つ男に目を向けたが、言いにくそうなままの女の声が、続けた。
「お前を、指名してるんだ」
?
聞き違いか?
老人と白い男女が目を剝く中、空を仰いで再びランを見たセイに、女は力なく笑いながら頷いた。
「聞き違いじゃない。うちの親父は、お前を三代目の頭領に指名して、出奔したんだ」
「何故?」
「それは、オレも訊きたいが、悪い話じゃない。ジャックとエンをオレたちの元に引き留め、お前とも一緒にいられる。だが、お前には、少しだけ不自由を強いる事になるんだ。だから、一応念を押して訊きたい。お前は、さっき言った程の不自由でないなら、耐えられるんだな?」
「それは……」
戸惑った顔になったセイは、再びエンの方に顔を向けた。
真面目な顔になった男が、頷く。
「嫌ならそう言ってもいい。絶対に、思い通りにさせるから」
「何、簡単な仕事だぞ。手紙では、お前が独り立ちできる年齢になったら、頭領の座を下りてもいいとあるし、その仕事だって、大体は雑用だからな。年齢に達するまでのその仕事は、生きる為に大事な知識になる。これから十年は、程々の不自由が付きまとうが、お前が耐えられる位の不自由だぞ」
「……セイ、自由不自由より、まずは、聞いてくれ。何の頭領をする羽目になるのかをっ。ここは……」
軽く言うランを遮り、エンが真剣な声でそれを口走りかけたが、その頭に突然降って来たものが、それを途切れさせた。
雪崩のように降って来たそれは、拳大の粒々だった。
頭を覆う程の数の重みで男が地面に倒れ込み、身を起こそうともがくのも粒の一つ一つが団結して、動きを封じているように見えた。
「……? 小さい人が、沢山?」
「息は出来るようにしてるから、大人しくしてなさい、エン」
その様を一部始終見てしまったセイは、いつの間にか男の後ろにいて呼びかける、おっとりと笑顔を浮かべた白髪の小さな女を見つけた。
先程の衝撃から完全に立ち直ったジュリは、ランに呼び掛ける。
「まずは、はっきりとした返事を聞きだしなさい。じゃないと、私たちの事を話すのは自刃行為だわ」
物騒な事を言い切った女は、思わず後ずさったセイを見た。
紅玉に似たその瞳を見返し、目を見張る子供に微笑む。
「あなたも、よく考えて。軽い気持ちで承知されて、後から嫌では、困るから」
倒れたエンの頭にくっついた塊を、引きはがそうとしている老人と、立ち尽くす男女を見回し、セイは表情を戻した。
無感情に足元を見下ろし、見上げた黒猫の目を見る。
目を細めたオキを見ながら、何でもないように口を開いた。
「私みたいな奴にも、勤まるものなのなら、悪い話には聞こえない」
ジャックが目を剝き、手を止めてしまった。
「ただ、それが本当に、お爺さんやカエンさんだけでなく、あんた達にとっていい話なのか、それが分からない」
「オレたちにとっても、悪い話じゃない」
素直な言葉に、ランはすぐに答えた。
そして、膝をついて子供と目線を合わせる。
「オレたちと、一緒にいてくれるか?」
「独り立ちできる年齢になるまで、でいいのなら」
「セイっ?」
ジャックが悲鳴を上げる中、ランが拳を振り上げた。
「よしっ。それで充分だっ。決めてくれて有難うなっ。そうと決まれば、まずは朝飯だっっ」
言い切ってしまえば、後は楽だった。
二人の男が難色を示しても、勢いでなし崩しだ。
こうして、無名のそれでいて極悪な盗賊集団は、三代目の頭領を無事迎え、その後も発展を続けるのだった。
色々な問題を、抱えたまま。
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