最終話:呪いを解く日

 その日の放課後、部屋に篭り、彼女からの連絡を待つ。呼び出しを受けて例の桜の木があった公園に向かうと、彼女の笑い声が聞こえてきた。隣にはちるの姿があった。

 声をかけると、和やかな空気が一変して緊張が走る。


「望」


 深呼吸をし、彼女は謝罪の言葉を連ねる。


「私はずっと、君に酷いことをしてきた。君の気持ちに気づいていながら、君に恋愛感情を向けられるのが怖くて、君の気持ちを否定し続けてきた。……ごめん」


 深く、頭を下げて謝罪をする彼女の姿を見た瞬間、言葉よりも先に涙が溢れ出してきた。分かっていた。いつか、彼女がこうしてちゃんと謝罪してくれることは。だからずっと待っていた。


「……分かってる。それでも俺は、もうどうしようもないくらいに……」


 言葉が詰まってしまう。


「本音を打ち明けて。もう……否定したりしない」


 大きく深呼吸をして、真っ直ぐに彼女の目を見て、ずっと閉じ込めていた言葉を放つ。


「俺は、君が好きだ。何をされたって許してしまうほど。側にいられるなら自身の想いを否定する言葉を吐けるほど。俺だけを見てほしいと、叶わないと分かっていても願ってしまうほど。君が好きだ。愛してる」


 彼女は「うん」と小さく呟き頷いた。


「……君の恋人になりたかった」


「……うん」


「好きになってごめん」


 こっちこそごめんねと彼女は謝り、自分が異性愛者であることを前提で話す人に——打ち明けたのにも関わらずキャラ設定でしょと決めつける一部の人間に苛ついていたことや、性別を理由にフラれるかもしれないなんて微塵も思わずに好きな人に告白出来る人間に嫉妬していたことを素直に打ち明け始めた。

だから、性別というどうしようもない要素を理由に自分に叶わない恋をしている俺に、自分の苦しみをしばらく私と一緒に味わってほしかったと、彼女は自身のドス黒い感情を全て包み隠さずに吐露した。


「私は異性愛者というマジョリティに対する羨望と嫉妬を、君にぶつけてたんだ。八つ当たりをしていたんだよ」


 俺は彼女を叱るべきなのだろう。けれど、俺には出来なかった。


「……望。怒らないのか」


 ちるの言葉に、何も言えなくなる。

 すると彼女はこうなることは分かっていたと言わんさばかりに深いため息をつき、海菜の前に立った。「手加減はするから」と呟き足を振り上げ、回転を利用して彼女の横腹を狙ったが、彼女は咄嗟に足を受け止めてしまう。


「ちょっ、たんまたんま!」


「あぁ?素直に蹴られろよ」


「いやいや、流石に腹はいかんよ。私、女の子だし」


「ならケツにする」


 無理矢理後ろを向かせ、足を軽く振り上げて狙いを定める。


「きゃー!やめてー!女の子のお尻蹴るなんて最低!」


「うるせぇ!都合の良い時だけ女になってんじゃねぇ!」


「ゔぁっ!」


 海菜の尻に彼女の蹴りが直撃し、パコーンッ!と良い音が響いた。海菜がバランスを崩し、膝をつく。


「手加減するって……言った……」


「しただろ。ほら、望も一発殴っとけ」


「えっと……じゃあ……」


 海菜の頭を軽く叩くとちるは「生温いんだよてめぇは」と言わんばかりに舌打ちをし、俺を突き飛ばして彼女の頭を思い切り叩いた。見ているだけで痛い。


「……手が出せないなら、言葉だけでも全部こいつにぶつけてやれよ。お前のそれは優しさじゃねぇ。ただの甘やかしだ」


 正論だ。分かっている。けれど、口を開いても言葉はでない。彼女に対して何を言えば良いのか分からない。


「……望、言ったよな。『俺は二人と大人になっても親友でいたいって』今でもそう思ってんのかよ」


 彼女の問いに「思ってるよ」と答える。すると彼女は「本音も言えないくせによく言うよ」と鼻で笑った。鋭い正論が心に刺さる。


「……望、私は今日、どんな罵詈雑言も受け止める覚悟で君を呼び出した。ちゃんと向き合いたいんだ。君と、自分自身と」


 海菜が言う。ずっと俺に何も言わせてくれなかったくせによく言う。ようやく、彼女に対して怒りが沸いてきた。その怒りに任せ、言葉を放つ。


「他の人の告白には誠実に対応するくせに、俺には好きだと伝えることさえ許してくれない君が、ずっと憎かった。君を好きになってしまったことを何度も後悔した。だけどどうしても嫌いになれなかった。君が、俺に対して酷いことをしてるって自覚があることは気付いていたから。君が自分の非を素直に認められる人間だって知っていたから。だから、いつか『ごめんね』って君が言うまで八つ当たりに付き合おうって思ったんだ」


「……ありがとう。私の八つ当たりに付き合ってくれて」


「……本当は……君を責めたら……君が俺から離れて行ってしまいそうで怖かったんだ。恋愛感情は無いと嘘をついてでも、君の側に居たかった」


「……うん。私も……君を失いたくはないよ。あれだけ八つ当たりしておいてどの口が言うんだって思うかもしれないけど」


「ほんとだよ」とちるが苦笑いする。


「親友のままでいたかったから、君が私と恋人になりたいと望むことが嫌だった。……告白してもらって、フった方が良いことは分かっていた。けれど……あの時の私には君の想いを受け止める余裕がなかったんだ。実は……」


『俺といて平気なの?』と聞いた数ヶ月前、自分に告白してくれた女の子が居たと彼女は語り始める。

 恋の告白ではあったが自分に対するものではなく、別の女の子に対して恋をしたという相談だった。


「私は彼女に応援すると約束した。けれど数ヶ月後、再び彼女に呼び出されたんだ。そこで受けた報告が『好きな人にが出来た』という報告と『自分の想いはただの憧れだったのかもしれない』という報告。そして『自分にも気になる異性が出来た』と嬉しそうに報告してくれたんだ」


 そこまでなら良かったんだけどねと彼女は苛立ちを隠そうともせずに続ける。


「彼女は私にこう言ったんだ。『鈴木さんもいつかきっと男の子を好きになれるよ。大丈夫』って。何を根拠に?ってと聞くと彼女は『私がそうだったから』と答えた。『それは君がそうだっただけで、私は君とは違う』って主張したら分かってくれたんだけど、私の怒りはそう簡単には治らなかった。……それが、君が私に『俺と一緒にいて平気なの?』って聞いてきた前日の話」


「……タイミングが悪かったんだな」


「……うん。そう。最悪なタイミングだった。……君は何も知らないから、完全に八つ当たりだけど」


 ごめんねと彼女は申し訳なさそうにもう一度頭を下げた。異性を愛することが当たり前の世界で、同性しか愛せない人間として生きることがどれほど辛いことなのか、俺には想像も付かない。

 けれど『いつか男の子を好きになれるよ』という言葉が彼女にとって侮辱であることは理解できる。彼女はきっと、異性愛者になりたいとは望んでいないだろう。いや、望んでもなれるものではない。俺だって男性を好きになれと言われても恐らく無理だ。そもそも、好きになる相手は選べない。選べたら俺は、彼女を好きにはならなかった。


「今まで本当にごめん」


「……うん。……小桜さんとのこと、応援する。むしろ、早く付き合ってくれ」


「……うん。君も、新しい恋が芽生えたら教えて。全力で応援する」


「うん。……ありがとう」


「次はこれみたいなクズに引っかかったりすんなよ」


 そう言ってちるは海菜を親指で指した。彼女はいつだって誰に対しても平等に厳しい。俺が海菜に対して怒りをぶつけられないことを見越して連いてきたのだろうか。


「気付ける」


 俺の初恋は、ようやく終わった。今まで我慢していたツケがあるのか、涙が溢れ出して止まらない。


「……望、私は先に帰るね」


「……うん……また明日」


 俺に背を向けて、海菜は家の方に歩き始める。


「私は居たほうがいいか?」


「ううん……一人にしてほしい。また明日、いつも通りの時間にね」


「おう、遅刻すんなよ」


 じゃあなと、ちるも海菜の後を追いかけていく。二人が居なくなった桜の木の下で座り込み、一人静かに、一生分の涙で、邪な心を洗い流した。

 きっとこの先、この日以上に涙を流す日は来ないだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

さようなら初恋 三郎 @sabu_saburou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説