第5話:彼女の恋
高校生の入学式の後、彼女は俺に「気になる女の子が出来た」と電話をしてきた。失恋をしたという話を聞いて以来、そういう話を聞いたことは無かった。時間が経って、新しい恋に進めるほどの余裕が出てきたのだろうか。入学式の後は用があるとすぐに帰ってしまったが「私もあなたと話してみたいと思った」と言われたと、彼女は明るく語っていたが、一変して深いため息を吐き「自分を好きになってくれる人なのか分からない」という不安を吐露する。
「……好きになってもらえるといいな」
「……うん」
恋人が出来れば彼女は俺を解放するだろう。ようやく、懲役の終わりが見えてきた気がした。
翌日、電車で偶然彼女が噂の気になる女の子を見つけた。
「
小桜さんと呼ばれた彼女は、大人しそうな美人という印象だった。海菜の初恋の空美さんのことはよく知っているが、彼女とはあまり似ていない。空美さんは美人というよりは可愛い人だった。
下の名前は
「おっと……大丈夫?」
不意に、電車が大きく揺れ、バランスを崩してしまう小桜さんを、海菜が咄嗟に吊革を掴んでいた片手を伸ばし抱きとめる。
「掴まる場所無かったら私に捕まってていいよ」
「……じゃあ……腕……借りるわね」
「ん。どうぞ」
小桜さんは彼女の腕を手すりがわりに掴み、観察するように彼女の身体を視線でなぞり、顔を見上げた。
どうしたの?と彼女が首を傾げると小桜さんは「モナリザみたい」と小さく呟いた。
「…モナリザみたい?私が?」
「あなたって見る角度によって男性にも女性にも見えるから……」
確かに、彼女は女性らしさも男性らしさも兼ね備えている。しかし、それがなぜ「モナリザみたい」という感想になるのかという疑問を、小桜さんの友人の
「……全然記憶に無いな」
「……美術の座学の時間はほぼ寝てたから知らねぇわ」
と、ちるは言うが、美術だけでなく割と頻繁に寝ている。
「……いや、君は美術だけじゃないだろ」
「うるさいな。授業に出てるだけで偉いだろ。褒め称えろ」
「ほんとにめちゃくちゃだな君は……」
こんな態度だが、なんだかんだでやる時はやる人だ。
「……ねぇ小桜さん、百合香って名前で呼んでもいい?私のことも海菜って呼んでほしいな」
少し恥ずかしそうに、海菜が彼女の名前を口にすると、彼女も目を丸くした。どうした?と海菜が首を傾げると「友達に名前で呼ばれることあまり無かったからなんだか変な感じ。ずっと、あだ名だったから」と彼女は少し恥ずかしそうに答える。
「あだ名?ゆりちゃんとか?」
「……えぇ。そうね。ゆりちゃんって呼ばれてたかも」
「……じゃあ、ゆりちゃん」
「……そうなると私もあだ名で呼ぶべきかしら」
「満ちゃんは私のこと、うみちゃんって呼んでるよ」
「……うみちゃん」
「君にそう呼ばれるのはなんか違うなぁ」と海菜は苦笑いする。どうしても名前で呼ばせたいのだろうか。
「……じゃあ海菜」
彼女が海菜の名前を口にする。すると彼女は満足気に笑い「百合香」とどこが熱を帯びた優しい声で彼女の名前を口にした。
「ゆ、ゆりちゃんでいいわ……」
「えー……私はあだ名より名前で呼びたいな。……好きなんだよね。君の名前。百合香って、上品で美しい名前だと思う。君によく似合う素敵な名前だよ」
「好きになってくれる人か分からない」と不安そうに言っていたくせに、そんな不安は顔には出さず、まるで口説くように甘い言葉をつらつらと並べる彼女。自分が言われているわけでは無いのに聞いているこっちが恥ずかしくなる。
「あ、あんまり褒めないで。口説かれてるみたいで恥ずかしい」
いや、多分本気で口説いてると思うが。なんて言ったら彼女はどんな顔をするのだろう。
「あはは……ごめんね。けど、照れてる顔も可愛い。もっと揶揄いたくなっちゃうくらい」
「あなたねぇ……」
「ふふ。ごめんね。……けど、本心だよ。君の名前、素敵だと思う。……君が自分の名前を好きかどうかは分からないけどね」
「……あなたの名前だって素敵よ。可愛らしくて、あなたには少し似合わないけどね」
嫌味っぽく、小桜さんが返す。「私は可愛くない?」と海菜はどこか嬉しそうに問う。
「えぇ。ちっとも」
「ふふ。怒ってる?」
「……別に」
「ふふ」
「な、なによ」
「いやぁ……怒ってる顔も可愛いなぁと思って」
「な……なんなのよもうっ!」
「ふふふ……ごめんごめん。そんなに怒らないでよ。褒めてるんだよ?」
「どう見ても揶揄ってるじゃない!私で遊ばないで!」
「いやぁ……照れてる君が可愛くて。可愛いとか綺麗とか言われ慣れてそうなのに。……綺麗過ぎて逆に誰も近寄れないのかな」
よくもまあそんなにも次々と口説き文句が出てくるものだなと呆れてしまう。「自分を好きになってくれるか分からない」という不安はもう無くなったのだろうか。いや、違う。恐らく彼女の反応を見て探っているのだろう。自分を好きになってくれるかどうか。俺もそれは気になる。もしも彼女が彼女を好きになるのなら、俺はようやくこの恋を諦められるかもしれないから。
翌日、好きな人の話になった時小桜さんは挙動不審だった。好きな人が居るのは間違いないだろうと確信する。
さらにその翌日、海菜の初恋の話を聞いて彼女は複雑そうな顔をした。校門前で知り合った
そのままもう少し様子を見ようと思っていると、休み時間に中庭でたまたま彼女と出会った。ちょうど良い。ぎこちない態度の彼女に、鎌をかける。
「小桜さん、海菜のことどう思ってる?」
「どうって……」
「……俺はあの子が好きなんだ。恋愛的な意味で」
案の定、彼女はわかりやすく動揺した。
「……間違ってたらごめんね。小桜さんも俺と同じなんじゃないか?」
「……同じ?」
「……あの子のこと、好きなんだろ」
少し間を空け、彼女は笑う。
「確かに好きだけど、あなたの好きとは意味が違うわ。だって……」
何かを言いかけて止め「私は女の子を恋愛対象として見たことないもの」と言い換える。『女の子だから』と言おうとしたのだろうか。それを言いかけてわざわざ言い換えたのなら、彼女のカミングアウトはもう聞いているのだろう。
「……そうか。……俺の思い違いか」
「……えぇ。思い違いよ」
そう言ってから「思い違いよ。あなたの」と強調するように繰り返した。その言葉は、自分自身にも言い聞かせているようにも聞こえた。
「……思い違いには見えないんだけどな」
「……勝手に決めつけないで」
「……そうか。恋だと認めるなら、俺は全力でサポートするつもりなんだけど」
「……恋だと決めつけないでって言ったはずよ」
悲痛な声で彼女は静かに叫ぶ。海菜は自身が同性愛者であることを隠してはいない。遅かれ早かれ彼女もそのことを知るだろう。いや、恐らくもう知っているのだろう。もし海菜に対する想いが恋ならば、その恋は素直に認めるだけで叶うというのに。俺は、認めることすら、伝えることすら許されないのに。同性同士という理由だけで諦めるつもりなら、そんな半端な想いなら、立場を変わってほしい。
「……別に、あの子を拐ってくれるなら、俺の不毛な恋を終わらせてくれるなら、誰でも良いんだ。君があの子に惚れてそうだから、押し付けようと思ったけど……別を当たるよ。じゃあね、小桜さん」
帰り際に、海菜とすれ違う。何も言わずに通り過ぎようとすると、止められた。不安そうな顔で俺を見つめた後、俯き震える手で俺の制服の袖を掴み「放課後、時間をくれないか」と呟いた。
「……話なら今聞くよ」
「……いや、大事な話なんだ。……数分で終わる話じゃない。だから……改めて時間をくれ。今日が無理なら明日でも良い。明後日でも、明々後日でも。頼む。私に、君と向き合う時間をくれ」
深々と、彼女は頭を下げる。なんの話かはすぐに察した。
「……分かった。今日の放課後な」
「……ありがとう。……部活の見学の後、呼ぶから。……あの日三人で友情を誓い合った桜の木の下で待ってる」
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