第2話:同性愛者で何が悪い

 それからずっと俺は恋人となった彼女に嘘をき続けていた。傷付けたいなんて思っていたが、彼女は良い子すぎた。そして、純粋すぎた。彼女の優しさに、愛に触れる度に罪悪感は膨らみ続けた。最初は嫌いだった彼女のことを、俺はいつの間にか好きになっていた。憎かった彼女の隣が、いつの間にか居心地良くなっていた。

けれどそれはあくまでもだ。

触れたいとか、キスをしたいとか、そういう感情は一切なく、デートで手を繋ぐのも、キスをしたいと言い出すのも、いつも彼女からだった。

 彼女から求められてした初めてのキスは、罪悪感の味がした。


 そのまま、本当のことを言えずにずるずると付き合って、高校生になった。このまま大人になっていけば、いつか彼女と一線を越える日が来てしまうのだろうか。出来るのだろうか。その日になって真実を打ち明けるなんて、残酷すぎやしないか。

 そう思っていたある日。


「何?鈴木くんってやっぱりLGBTなの?」


 教室のざわめきが、誰かが放ったその嘲笑うような一言で一瞬にして静まり返る。クラスのほぼ全員が、鈴木くんと呼ばれたボーイッシュで高身長な女子生徒の方に注目する。彼女は入学初日から「男みたい」だとか、「トランスジェンダーってやつなんじゃないか」とか囁かれていたが、実際に本人に確かめに行く人はいなかった。冗談半分で言っていたのだろう。今彼女に直接問いかけた彼も。


「確かにそうだけど、だからズボン穿いてるわけじゃないよ。スカートが苦手なだけ」


 しかし、彼女はサラッと認めた。何が悪いの?と首を傾げながら。教室がさらにざわつき、茶化しに来た彼の顔が引きつる。やはり冗談のつもりだったのだろう。

 ちなみに、俺が入学した高校の制服はジェンダーフリーの名目で男女兼用になっている。男子がスカートを穿いてリボンをつけようが、女子がズボンを穿いてネクタイを締めようが、校則違反にはならない。鈴木くんはネクタイとズボンの組み合わせだが、リボンとズボンを組み合わせている女子生徒も見かけた。それもありだ。

しかし、こうやって「LGBTなんだろ」と決めつけてくる奴がいるから、ズボンを穿きたいけどスカートを選んだという声も聞く。そして、スカートを穿いている男子はほとんど居ない。


「そうだけどって…」


「クラスに一人の割合で居るんだから、私がそうであっても何もおかしくないでしょう?まぁ、細かいこと言うとLGBTじゃないんだけど…異性愛者じゃないことは確かだよ。恋愛対象は女性なんだ」


 良いのか。そんなにサラッと打ち明けて。怖くないのか。ほら、彼も引いているじゃないか。この微妙な空気が辛くはないのだろうか。どうしてそんなに堂々としていられるんだ。


「は……はは……マジか……。……体育の着替えどうすんの?男子の方来られてもちょっと困るんだけど」


「トイレで着替えるよ。いつもそうしてる」


「……」


「なぁに?ショック受けたような顔して。あ、まさか私に気があった?ごめんねー男性は恋愛対象外なんだ」


 鈴木くんは肘をつき、揶揄いに来た彼を揶揄い返す。彼女に向けられていたクラスメイトの視線が男子生徒の方に集まる。


「バッ……!誰がお前みたいな男女おとこおんな好きになるか!」


「あははっ!それ、よく言われるよ。でも、そう言われるの嫌じゃないよ。ありがとね」


「残念だったね山田くん」と、どこからか野次が飛んだ。調子を狂わされた彼は悔しそうに席に戻っていった。


「ね?私がセクシャルマイノリティであることなんて大したことじゃないでしょ?」


 彼女は話していたクラスメイトに笑ってそう言う。


「大したことじゃない……」


 そんなこと言えるのは恵まれているからだろう。きっと彼女は周りに話を聞いてくれる人が居て、受け入れてくれる人が居たから。けれど……


「山田、鈴木くんに何か言うことないわけ?」


「謝りなよ」


 クラスメイト達は、彼女を揶揄った彼を責めた。その声に耐えきれなくなった彼は舌打ちをしつつも、立ち上がり、彼女の前まで来て頭を下げた。


「……悪かった」


「うん。良いよ。でも、もう二度とああいう揶揄い方しちゃ駄目だよ。私はオープンにしてるけど、そうじゃない人も居るから。笑い者にされて、ストレスで自殺しちゃう人も少なくはない。言葉や態度は時に人を殺すこともあるから、使い方には気をつけてね」


 優しく諭すようににこやかに話す彼女。確かに、第三者にセクシャリティを暴露されて自殺した人のニュースを見たことがある。彼女は差別に怯えてオープンに出来ない人達のことも考えてた。クラスの中に自分以外のマイノリティが居るかもしれないことを前提に話してた。きっと、全員が異性愛者であるという常識は彼女の中には存在しないのだろう。まさか、そんな常識を壊すためにオープンにしているのだろうか。


「な、なんだ?このお葬式ムードは……」


三崎みさき先生おはようございまーす」


「お、おう……おはよう……」


 教室の空気とは対照的に、彼女だけは何も変わらず明るく振る舞う。


「ちょっと換気しますねー。こんな空気にしちゃったの私なんで。ごめんねー。窓開けまーす」


 窓際の生徒に断りながら窓を開け始めた。空気とは対照的な明るい態度が不気味にも感じたが


「……分かりづらいかもしれないけど、あいつはお前のさっきの失礼な態度で傷ついたりしてないよ。無理して明るく振る舞ってるわけでもない。保育園からずっと一緒にいる幼馴染の私が言うんだから間違いない。だから、いつまでもそんなしけた面しなくていい」


 ボーっと突っ立ったままの山田(やまだ)くんに、鈴木くんの後ろの席の月島(つきしま)さんがそう声をかけると少しだけ空気が和らいだ。

おそらくそれは、クラス全員にかけた言葉なのだろう。可愛らしい見た目の割にきつい女の子だと思っていたが、そうでもないらしい。鈴木くんが堂々としていられるのは彼女のおかげでもあるのだろうか。

羨ましい。俺もそんな友人が欲しかった。もう少し早く出逢いたかった。

——いや、違う。今からでも全く遅くはない。彼女と友達になりたい。そして打ち明けたい。自分がゲイであることを。


「おっ。……まこちゃーん!おはようー!」


 換気していた彼女が、地声ではない高めの声で窓の外に向かって叫ぶ。


「誰?鈴木くんの彼女?」


「ううん。一つ上の幼馴染。ツンデレヒロインみたいな可愛い男の子だよ」


「……鈴木、今の、安藤さんの声真似か?」


「ふふ。似てました?」


「あぁ、めちゃくちゃ似てる」


 苦笑いする三崎先生。今の彼女らしからぬ声は誰かの声真似だったようだ。お葬式ムードだった教室の空気が元に戻っていく。


「じゃあHR始めるぞー」


 今日1日の流れを説明し、そのまま一時間目のLHRロングホームルームの時間に突入する。今日は学級委員と委員会を決めるようだ。「学級委員とか、鈴木くんしかいなくね?」と誰かが言った。俺もそう思うし、おそらく全員がそう思っている。視線を集めた彼女は「構わないよ」と言って前の席の小桜(こざくら)さんに同意を求めた。


「……え?えぇ……って、待って、私も巻き込もうとしてる?」


「え?私がやるなら君もやるでしょ?」


「どうしてそうなるのよ。そこは満ちゃんじゃないの?」


「満ちゃんは断るの分かりきってるからね。どれだけ説得したって嫌だしか言わないよ。今まで散々断られてきたから。……というわけで百合香、どう?強制はしないよ。お願いはするけど」


 それはもはや脅迫だ。こんな状況で断れるわけがないだろう。なんだか、彼女と付き合った時のことを思い出してしまった。見かねた月島さんが溜息を吐き、呟く。


「やりたくないならやりたくないってはっきり言った方がいい。特にこいつには。流されてばかりいたら良いように利用されるよ」


 耳が痛い。あの時流されて彼女と付き合っていなければ罪悪感を抱えることもなかった。

 小桜さんは悩んでいるようだった。やりたくないわけではないのかもしれない。


「……別に私が代わってやってもいいよ」


「えっ?満ちゃん、どういう風の吹き回し?はっ……まさか百合香に私を取られるって心配してる?可愛いやつめー」


 へらへら笑いながら揶揄う鈴木くんに対して月島さんは舌打ちをした。空気が凍りつくが、鈴木くんは変わらずへらへらしながら「すまんかった」と静かに謝った。


「鈴木の他に学級委員やりたいって人」


 鈴木くんは決定なようだ。枠はあと一人。彼女話すきっかけを作るチャンスかもしれないと思い、恐る恐る手を挙げる。担任の視線に誘導され、クラスメイトから視線が集まる。


「あっ……えっと……その前に質問なんですけど、学級委員って、前期だけですよね?」


「あぁ。けど、後期の方が学校行事多いから忙しいぞ」


「……じゃあ……前期だけやってみたいです」


「おぉ。挑戦するのは良いことだ。頑張れよ」


 拍手が上がる。わざわざめんどくさそうな学級委員をやる必要はなかったかもしれないと少し後悔したが、もう後戻りはできない。


「なんだよ加瀬くん、鈴木くん狙いか?」


 後ろの席の久我くんから突かれる。間違いじゃないが、彼の言う意味とは違う。


「そんなんじゃないよ。ただ、ちょっと挑戦してみようかなって思っただけ」


「女子の好感度アップ狙ってんのか?」


「違うってば」


「とかなんとか言って本当はー?」


「もー……しつこいなぁ……」


 彼女はああ言っていたが、そう簡単にみんなの中の常識は消えない。カミングアウトしていない俺は当たり前のように異性愛者にされてしまうらしい。


「はいはい。茶化すな茶化すな。他に立候補する人は?居ないなら鈴木と加瀬で決まりだけど」


 特に誰も手をあげない。小桜さんの方をちらちら見るクラスメイトも居たが、彼女は首を横に振って意思を示した。

 そのまま誰も手を上げず、学級委員が決まってしまった。彼女と一緒に前に出て意気込みを述べる。


「なんか対象的だね。あの二人。女子校の王子と男子校の姫って感じ」


 誰かがそんな感想を呟いた。女子校の王子はわかるが、男子校の姫と言われるのは心外だ。可愛いとはよく言われるが。


「とりあえず決めなきゃいけないのは委員会だけど、来週中に決めれば良いから、残りの時間で決められるところまで決めてくれ」


「俺が板書するね」


「……上、届く?」


 揶揄うように鈴木くんが言う。確かに彼女からしたら小さいかもしれないし、男子の中では小さい方だが、これでも165㎝はある。


「流石に届きます」


「ごめんごめん。じゃあまずは——」




 委員会と係決めは来週に持ち越しになり、LHRが終了した。休み時間に入ると、彼女の周りに人が集まってきた。みんな普通に彼女と接している。俺も打ち明けて良いのだろうか。


「ねぇ、鈴木くん彼女居るの?」


「今は居ないよ」


「今はって、前は付き合ってたの!?」


「いやいや、まだ恋人が出来たことはないよ。長い初恋を終えて、やっと前に進めるようになったばかりだから」


「初恋もやっぱ女の子?」


 みんな彼女に質問責めをするが、彼女は嫌な顔することなく一つ一つ答えていく。


「自分以外のLGBTの人に会ったことある?」


「そりゃあるよ。というか、みんなも知らないだけで身近に居ると思う。こういうのって言わなきゃ気付かないから。このクラスにだって、私と同じように女の子しか好きになれない女の子が他にも居るかもしれないし…男の子が好きな男の子も居るかもしれないよ。私はこのクラスの全員が異性愛者だなんて思ってないから」


 そんなことを言う人は初めてだ。みんな俺のことを当たり前のように異性愛者だと決め付けていたのに。


「…鈴木くん」


「ん。何?加瀬くん」


「…えっと…ちょっと良いかな。…相談があるんだ。俺の…友達のことで。今日の放課後とか…いつでも良いんだけど、空いてないかな」


「んー…今日はちょっと。…LINK交換する?」


「うん。…友達も多分、あんまり人に聞かれたくないと思うからそっちの方がいいかも」


「じゃあはい」


 彼女のスマホに表示されたQRコードを読み込み、友達に追加する。


「今日は返信出来ないと思う。送ってくれても構わないけど、返信は明日以降ね」


「うん。分かった」


「さて…そろそろチャイム鳴りそうだし、私はちょっとお姫様を迎えに行ってくるね」


「……お姫様?」


「百合香のこと。じゃ」


 そう言って彼女は教室を出て行った。小桜さんが好きなのは見て明らかだったが、彼女がカミングアウトしなければきっと俺も、それは友情だろうと思っていたかもしれない。

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