もう自分に嘘はつかない

三郎

第1話:俺が好きな人は彼女じゃない

 初めて恋を知った日からずっと、自分はおかしいのだと思っていた。周りはみんな、女の子を好きになる。そして俺も当たり前のようにそう思われている。


「俺は女の子には興味ないんだ」


 そう言ったって、誰も信じてくれやしない。


「なんだよそれ。お前、ホモなの?」


 そう揶揄う友人の言葉を否定する度に、心が痛んだ。『そうだけど何か?』と言える勇気なんて俺には無かった。君が好きだと伝えることなんて出来なかった。嫌われたくないから。大好きな彼の口から気持ち悪いと罵られたくないから。

 あぁ、最悪だ。こんなに辛いなら恋なんてしたく無かった。なんで君なんだ。なんで男なんだ。なんで…みんな当たり前のように俺を異性愛者だと決めつけるんだ。同性愛者という言葉は知っているくせに。授業で習っているのに。そして彼も


「隣のクラスの笹原ささはらさんって分かる?」


「…あぁ、あのおさげで眼鏡の地味な子」


「そう。俺、あの子が好きなんだよね」


 と、少し照れながら教えてくれた好きな人は、女の子だった。


「……どこが良いの?」


「地味だけど眼鏡外すとめちゃくちゃ可愛い」


 女の子に対して可愛いと思う感覚はわからなくはない。という気持ちを抱くことはある。だけど、恋愛対象として見れない。裸を見たって、想像したって、別に何も思わない。


「あと、去年同じクラスだったんだけど、すっごく良い子でさぁ……」


「……ふぅん」


 彼から彼女の話を聞く度、俺はその話したこともない顔もよく知らない地味な女の子が嫌いになっていく。死ぬほど憎い。絶対に関わりたくないと思っていた。

 しかし、ある日のこと。


「きゃっ……」


「うわっ、ごめん!」


 廊下をボーっと歩いていると、ノートを運んでいる眼鏡の女の子とぶつかってしまった。よりによって例の彼女。


『地味だけど眼鏡外すとめちゃくちゃ可愛い』


 落とした眼鏡を探す彼女は、確かに可愛い顔をしているかもしれない。でも、俺の心は全くときめかない。


「あああああ……す、すみません。私、眼鏡ないと何も見えなくて……その辺に落ちて無いですか?」


「…どうぞ」


「あ、ありがとうございます。すみません」


 死ぬほど憎い彼女の第一印象は、良い子というよりは腰の低い子。やたらと謝るその態度が妙に頭にくる。それはきっと、嫉妬もあるかもしれないが。


「……ノート、半分持つよ」


「えっ!いえ、そんな……私の仕事ですし……」


「……いいから」


 遠慮する彼女に少しイラつきながら、ノートの山を半分奪う。この時彼女の手伝いをしたのは善意からではなく、彼が彼女のどこに惚れたか知りたかったから。彼女を知りたかった。そして粗を探してやろうと思った。粗を探して、彼に「あんな女やめておけ」とでも言ってやろうと思っていた。


「…笹原ささはらあゆみさんだよね」


「あ、は、はい。…加瀬くん…ですよね。加瀬かせいずみくん」


「…俺のこと知ってるんだ?」


高森たかもりくんが君のことよく話してますから」


「…仲良いの?いつきと」


「去年同じクラスだったんです」


 そんなことは知っている。彼から散々聞かされた。


「樹から聞いてる。あいつ最近、君の話ばかりしてるから。眼鏡外すと可愛いとか、凄くいい子だとか」


「か、揶揄ってるんですよ……」


「そうかなぁ。……コンタクトにしないの?」


「……入れるの怖いので」


「あー。分かる。俺は眼鏡もコンタクトも要らないけど、必要になったら断然眼鏡だなぁ……」


「似合いそうですね」


「そう?」


 それ以来彼女とは、度々話すようになった。彼女と仲良くなるにつれて、彼の俺に対する態度が少しずつ変わっていった。


「泉さ、好きな人居ないの?」


「居ないよ。今日何回目だよその質問」


「……笹原さんのことはどう思ってんの」


「どうも何もただの友達だよ」


「……彼女、お前に惚れてると思う」


「なんでそう思うの?」


「最近の彼女、お前の話しかしねぇもん」


「その理屈でいくなら、彼女に俺の話ばかりする君も彼女から俺に惚れてると思われてるかもよ」


「な、なんだよそれ。気持ち悪いこと言うなよ。そんなことより誤魔化すなよ。お前、笹原さんのこと好きなんだろ?」


。彼が無自覚に投げた言葉のナイフが心に突き刺さる。


「彼女が俺に惚れてるかどうかなんて分かんないじゃん。笹原さん、女の子が好きかもしれないし」


 いいや。分かっている。彼女から向けられる羨望の眼差しは不快極まりない。


「女の子が好きかもしれないって……なんだよそれ……何を根拠にそんな酷いことを……」


 それを酷いというのなら、根拠も無いのに俺を異性愛者だと決めつけている周りにも同じことが言えるだろう。


「……その人が異性愛者か同性愛者かなんて、その人にしか分かんないじゃん。勝手に異性愛者だと決めつけるほうが酷いと思うな」


「は、はぁ?笹原さんが同性愛者だって証拠あんのかよ」


「ないよ。そんなの。逆に、異性愛者だって証拠はある?俺に惚れてるっていう証拠はある?」


「笹原さん、最近髪切ったろ?理由聞いたら、泉がショートが好きって言ったからって……褒められて嬉しかったって……」


 別に俺はショートが好きとは言っていない。ショートカットも似合いそうだと言っただけだ。事実、ショートにしてから彼女は周りの友人からも可愛いと褒められている。樹を含む一部の男子は嘆いていたが。


「彼女が髪切ったのショックなの?それくらいで嫌いになるくらい軽い恋なの?」


「っ……!」


 胸ぐらを掴まれる。彼とは幼馴染だが、これほどまでに怒りをぶつけられたのは初めてのことだった。


「……俺は別に彼女に髪を切れとは言ってないよ。そっちの方が似合うんじゃない?ってアドバイスしただけ」


「ただの友達のアドバイスで簡単にあんなばっさり切ったりしないだろ!いい加減にしろよ!お前も彼女のこと好きなんだろ!両想いなんだろ……さっさと告れよ……もう付き合えよ……見てるこっちが辛いんだよ……」


 彼は俺から手を離し、肩を震わせ泣き始めてしまう。


「……俺が好きなのは彼女じゃなくて樹だよ」


「んだよそれ……変な気を使うんじゃねぇよ……余計に惨めだろうが……クソ……」


 あぁ、伝わらない。それどころか、もう親友という関係さえ崩れかけている。


「俺は女の子を好きになれないんだ。だから……彼女と付き合うことは……」


「この後に及んでまだそんな変な言い訳する気かよ」


「言い訳じゃ……」


「……もういい。明日、俺は彼女に告白する」


「……勝手にすれば良いじゃん……」


「……後悔すんなよ」


 そう言って彼は早歩きで俺を置いて去っていく。後悔も何も、俺は彼女に惚れていない。彼女が誰と付き合おうがどうでもいい。最初からそう言っている。どうして伝わらないのだろうか。どうして、耳を傾けてくれないのだろうか。


 翌日の放課後、彼は本当に彼女に告白をした。俺はその現場を見届けずに去ることは許されなかった。

 彼女の返事は「好きな人が居るからごめんなさい」だった。そしてその好きな人が俺であることを正直に彼に打ち明けた。


「泉、聞こえたよな?」


 彼が物陰に隠れている俺に声をかける。こうなるから帰りたかったんだ。


「加瀬くん……なんで……」


「……ごめん。樹が、見守って居てくれって」


「……じゃ、俺は帰るから」


 自分から当て馬になって、身を呈して友人の恋を叶えてやった健気な人間になったつもりなのだろうか。こんなこと、俺は一度も望んでいないのに。泣きながら去っていく彼に、心で叫ぶ。泣きたいのはこっちだと。余計なことをしやがってと。


「加瀬くん……私……」


「…」


「……私……加瀬くんのことが好きで……付き合って……ほしいです……」


 どうしたって、俺の恋は叶わない。伝えることすら。きっと彼女も、俺が本当のこと言ったって信じ無いのだろう。


「……良いよ」


「えっ……本当に……」


 ここで断ったら、身を呈してまで応援してくれた樹に怒られてしまうから。申し訳ないから。だから——


「俺も、笹原さんのことが好きだったんだ。樹に気を使って言えなかったけど。…ここまでされたら…ね」


 俺は、彼の名誉のために嘘をついた。

 いや、本当は違う。名誉なんてどうでも良かった。彼が好きだと言った彼女が憎らしくて仕方なくて、俺に向ける恋心を利用してめちゃくちゃにしてやろうと思ったんだ。

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