第十五話 互いにもたれ掛かりながら

 ぴぴぴーんぽーん。


 兄弟は間の抜けた音で我に返った。


 和真は玄関のドアノブに手をかけたまま後ろを振り返った。


 兄弟は顔を見合わせ、意識が飛び、過去を見ていたんだと不意に悟った。


 これは……この一連の出来事は自分たちの過去が影響しているんだと。


 妖怪七変化はずっと僕達を見ていたんだと言うことだ。和真は思い、自らが理解したことを、兄と共有しようと和真は人差し指を立てて語り始めた。


「兄ちゃん……これは……」


 明徳は遮るように手をかざしたが、和真は構わず続けた。


「やらなくちゃならないんだ……兄ちゃん。まずは一つ目だ、それは虫の姿をしている」


 和真は遮られて降ろしていた人差し指を持ち上げて言った。


「僕達は、過去に飢えて虫を食べていた。そしてこの玄関の天井で、僕がまた殺した」


「二つ目、それは蛇の形をしている」


 和真は中指を足して語った。


「昔、兄ちゃん言ってたろ? 僕は、子赤ん坊の頃に蛇に噛み付かれていた。そして、兄ちゃんに助けられ、兄ちゃんが蛇を殺した……そうなんだろ?」


 明徳は頷いた。


「そして、僕らはここでまた蛇を叩き潰した」


 和真はバットでへこんだ土間の跡を足で擦った。


「三つ目、それは狛犬の姿をしている」


 和真は三本目の指を立て、土間に視線を落とし、苦々しく思い出す。胃がムカムカしてくる。


「僕達はさ……」


 和真は明徳の顔色を伺いながら言った。


「……あの子犬を食べたね」


 明徳はそっぽを向いて言った。


「ああ」


 和真は続ける。


「そして、僕らはすぐそこで子犬を拾って、また食べたんだ」


 明徳は壁を見つめたまま頷いた。


「そして四つ目、それは湖の水を飲み干すだ。この話しの通りに、この町の湖は枯れて、兄ちゃんは全財産を失った。オマケ付きで殴られて女も失った」


 明徳はフンと鼻を鳴らして言った。


「うるせぇやい」


「五つ目と六つ目は、もう分かるよね?」


 明徳は怒ったような低い声で言った。


「人の姿をしている……だろ? あのクソ女の事だ。そんで、そいつは人を食う」


 明徳は赤いタオルに包まれた腕を証拠のようにあげて見せた。


 和真は腰に手をあてがい言った。


「ここが今の問題。七つ目は、その姿を見てはいけないだ」


 和真は兄の方を見やると、明徳は疲れた顔でやってくれと言わんばかりに頷いた。


 意を決した和真は玄関を開け放った。


 そこにいたのは佐藤兄弟の母親、恵美だった。


 優しい微笑みを称えながら、元気な頃の姿で母はそこに立っていた。


 いったい何が起きているのか、兄弟には分からなかった。分かっているのは、過去の出来事が関係している事。それに、確かに母はのだ。


「お母さん、なんで?」


 母親は何も言わず、微笑んでいるだけだ。玄関の前で。


 こんなに不気味な事があるだろうか? 死人に微笑まれるなんて。和真は拳を握りしめ、生唾を飲み込んで声を振り絞って言った。


「お母さん、どうやってここに来たの? なんで……なんでここに来た?」


 母は、応えるようにさらに口角をあげて微笑んで見せる。もう白い歯が覗いて見えるほどだ。


 明徳は柱に掴まり立ち上がった。腕の痛みに顔を顰める。


「なあ、死んでイカれたみたいに笑ってるとこ悪いんだけど、そこ退いてくんない? 和真に病院に連れてってもらわないと俺も死んで、そこでヘラヘラ笑ってなきゃいけなくなっちまうよ」


 明徳はこの期に及んで軽口を叩いた。それに応じるかのように、危ない微笑みを浮かべたまま歩み寄る。思わず和真は下駄箱の方へと避けてしまった。母親の恵美は手を差し伸べて明徳の頬に触れた。


 その手がゆっくりと下がっていき、明徳の首にかかると力が込められた。


 明徳はその手に抗うように怪我した腕も使って抵抗した。明徳のこめかみに血管が大きく浮き上がっていく。


「や、やめろ! やめろよ!」


 和真は母の腕に掴みかかり引き剥がそうとした。まるで氷のように冷たい腕に死を連想する。


 思わず仰け反った和真はもう一度掴んで力いっぱい引っ張った。細い腕なのにビクともしない。このままじゃ兄が死んでしまうと思った和真は、地面に転がったままのバットを拾い上げた。


 明徳の顔色が青ざめた顔から紫色に変わっていく。


「クッソー!」


 和真は、母の姿をした“なにか”の背中めがけてバットを振り下ろした。


 バット越しにグニャリとした感触が伝わってくる。微動だにしない。それどころか気づいてもいないかもしれない。


 明徳の顔は紫色だったのに、今では血の気が戻ってきたように真っ赤だ。“なにか”の腕を掴んで抵抗していた手が離れ、腕が徐々に下がっていく。


 和真はバットを振り落とし続けた。次は腕を狙い、振り落とした。


 降りかかる衝撃に“なにか”はようやく兄から手を離したが、その手が拳を握り、和真の顔面目掛けて飛んでくる。


 和真は鼻先に火がついたように感じた。次の瞬間、下駄箱の上に倒れ込み破壊していた。


 背負っていたバックパックがクッションの役割をしてくれたが、背中が痛くて息ができない。いつの間にか鼻から、蛇口でもひねったかのように血が勢いよくこぼれ落ちていた。


 和真は鼻に手を伸ばすと、いつも触れている鼻とは違い、鼻先が右に向かって折れ曲がっているのに気がついた。


 痛みで痺れている鼻を両の手のひらで挟み、一気に力を入れた。ゴグリと鈍い音と感触が伝わり、鼻が真っ直ぐになる。鼻をかむように血を地面に吹き飛ばすと、血は止まった。


 ハッとして兄の方を見ると、ひっくり返ったまま動かない。顔は土気色になっている。


「に、兄ちゃんっ!」


 和真は呼びかけたが明徳に反応はない。


 “なにか”は、動けずにいる和真の方に歩み寄ってくると、さきほど兄にしたように、頬に触れ、首に手をかけた。


 ようやく出来るようになった息が無理やり止められる。“なにか”の微笑みは、今では口が耳まで裂けていた。覗く歯茎は赤黒く、目は飛び出しそうなほど大きく見開かれている。


 和真は“なにか”の腹に両足を押し付け、全力で蹴り飛ばした。その勢いで首から手も離れる。


 “なにか”はもんどりうって兄の上に倒れ込んだ。和真はバットをめちゃくちゃに振り回して“なにか”を叩きのめそうとした。そのバットが動きを止める。


 “なにか”は、バットを掴み、その異常な握力で握り潰した。それを見た和真は急に恐怖が甦り、叫んで後ずさる。


「うわっ! うわぁあああ! 兄ちゃん! 兄ちゃぁんっ!」


 倒れている兄に助けを求める和真に向かって、“なにか”は執拗に首を狙って腕を伸ばす。


 隅に追いやられて捕まった和真の首に手がかかり、万力のような力が加わっていく。意識が遠のいていく。熱い涙が頬を伝うのが分かる。


 ドカッ!


 重い物が動く音が聞こえた気がした和真は、上に登っていた目玉を動かして“なにか”の顔を見た。その目があった所からナイフが飛び出し、その先に目玉が突き刺さったまま浮いていた。和真は押し出された目玉と目を合わせていた。


 目玉は少しずつ黒い霧になり、消えていった。“なにか”の身体はゆっくりと黒い霧になって消えていく。その背後には兄がいた。


 腕が黒い霧になると、和真はようやく息が出来るようになって、首が潰れていないか擦りながら大事に息を吐き、ゆっくり吸った。


 明徳は大粒の涙を流し、泣いていた。和真は兄が涙を流しているのを初めて見た気がする。明徳は声を震わせながら言った。


「まただ……また……殺しちまったなぁ」


 和真は顔を伏せ以前の罪を思い出していた。


 兄弟は過去に母親を殺していたのだ。父に何度も殴られ、頭が陥没していた母親は脳に障害が残った。愛する子供たちを認識出来なくなったのだ。これが明徳十二歳、和真六歳の頃だ。


 母親は徘徊するようになり、兄弟は自分たちをホームヘルパーだと偽った。これが兄が十四歳、和真が八歳の頃だった。




 兄弟は毎日食べるものに困っていた。学校も行かなくなっていた。そのうちに、立ち上がることも出来なくなった母は、寝たきりになった。


 その母の世話をするために自分たちの家に毎日訪問した。すると母は認識してくれた。他人としてだが。僕らは壊れたチャイムと共に家に通った。


 兄、明徳は自分の歳を偽り新聞配達の仕事を始めた。


 そのうちに、寝たきりの母の病状はますます酷くなっていった。明徳がバイトを掛け持ちしている間、和真は罵声を浴びせられ、蹴られ、叩かれた。


 兄弟は本当に疲れ果てていた。母と心中してしまおうかと真剣に考えていたほどだ。


 そんな時、和真はリンゴの皮を剥いた包丁を母が寝ているベッド横のタンスの上に忘れてしまっていたのだ。


 兄弟が夕方、母親を風呂に入れようと部屋に入って背中を向けた隙に、母親は明徳の肩に包丁を突き立てた。和真は母親をベッドに押さえつけた。そして、明徳は母の首に手をかけ、絞め殺した。


 明徳は震える腕を抱くように座り込んで呟くように言った。


「お母さんは……お母さんは気づいていたのかな? 僕達の事をホームヘルパーの兄弟だとは思わずにさ」


「分かんないよ……もう……もう……」


 和真はその先を言えなかった。“もういないんだ”と。


 それでも、兄弟は最後の瞬間に見たのだ。母親の首を絞めて殺すときに、二人の頬にずっと触れていた。そして、たしかに母は微笑んでいたんだ。




「さあ、兄ちゃん。病院に行こうな」


「ああ、おんぶしてくれよ」


「やだよ。自分が何キロあると思ってるんだ?」


 佐藤兄弟は、玄関のドアを開けて出ていった。


 朝日がうっすら顔をだし、闇を追い出すように二人を照らした。


 兄弟は互いにもつれる脚を支え合いながら、母を二度も殺した事実の中歩いた。長い坂道を降りながら二人は大声で泣き、お互いの泣き声を聴いて笑いあった。


 罪も罰も二人で分かち、受けよう。


 それでも今はこの残酷な世界で強く生きていく。


 互いにもたれ掛かりながら。



              終わり

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『妖怪七変化7つの呪い』佐藤兄弟の7つの試練 らぃる・ぐりーん @Lyle1982

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