第十四話 子犬と兄弟

 和真は小学校からの帰り道、通学路から外れて裏山を通って帰ることがあった。小学校は基本集団下校だが、離れた山の上に帰る和真だけは一人で山の下から一人で歩いていた。


 和真は以前、ここに捨てられていた大量のダンボールから本を見つけていた。裸の女の人だった。


 六歳の和真にとって、それは興味深かった。和真は三冊ほど胸に抱えて帰り、庭の倉庫に閉まっておいたがいつの間にか無くなっていた。


 一週間後に、和真はまた裏山に冒険に来ていた。以前のように宝物が落ちているかもしれない。また裸の女の人の本もあるかもしれないと思っていた。


 和真は古びたダンボール箱を見つけた。


 それは以前のように大きな箱ではなく、小さく和真の頭ぐらいの大きさだった。


 箱はグルグルとガムテープが巻かれていた。それを慎重に取り除いていく。


 これには相当なものが入っているに違いない。もしかしたら、海賊の宝かもしれない。いやいや、魔法の杖や勇者の剣かもしれない。和真は興奮が止まらなかった。はやる手で箱の蓋を開けた。


 中には怯えきってブルブルと震えている子犬が入っていた。やせ細った身体で、悲しそうにクーンクーンと泣いている。その周りには、すでに死んでいる子犬の兄弟が三匹横たわり、舌をダンボールに張り付かせて死んでいた。


 これは予想外だった。さっきまで宝物が入っていると思っていたのだ。無理もない。


 和真はどうしていいか分からず、しばらくダンボールの周りをウロウロと歩き回っていた。やがて、持っていた水筒のフタに水を入れて差し出した。


 子犬は恐る恐るそれを舐めた。飲み干すとようやく怯えて泣くのをやめた。和真に寄り添うように座って顔を見上げた。和真は恐ろしく軽い子犬を抱き上げて家に帰った。


 例のごとく、倉庫に子犬を隠そうとしたが、暗いところが嫌なのかガリガリと引っ掻いていたが、やがて大人しくなった。


 和真は兄に子犬の事を相談した。


「子犬にはミルクを与えた方がいい。お前が小さい時もミルクばっかり飲んでたんだぜ?」


 そう言った明徳はなぜか自慢げに腰に手を当てている。そして和真は感心した。


 冷蔵庫から牛乳を取った二人は倉庫に向かった。


 何日も二人は牛乳を与え、甲斐甲斐しく古くなった毛布を敷き、明徳が作ったダンボールの家を嫌がった子犬には、倉庫の裏に小さな小屋を作った。


 小屋と言っても、明徳が切ってきた小枝を斜めに地面に突き刺し、その上にさらに小枝を乗せただけのものだ。


 でも、子犬はそこを気に入った。和真はそこに子犬用の毛布を敷いた。子犬はその毛布に寝転がってはしゃいで喜びを表現した。


 雨の晩、佐藤家の父親である達也は大型トラック乗りをしていて、たまに帰って来ては子供たちと遊んでやることもあった。だが、この日は違った。


 酒に酔いながら帰ってきた父親は、自分に向かって敵意を見せて吠えてくる子犬を見つけると、棒でしこたま叩いた。次に寝ている明徳と和真を呼びつけ、捨ててきなさいと怒鳴った。それまで家に戻ってくるなと行って息子たちの尻を蹴り飛ばした。


 母親の恵美はその様子を見ていたが何も言わず、柱の影に隠れていた。


 降りしきる雨の中、兄弟は子犬を捨てる場所を探して歩いた。そんなものはあるはずがなかった。子犬は足を折っているのか三本の足で歩いた。和真と明徳が代わる代わる交代で抱き上げていたが、それもしんどくなった。踏ん切りがつかない兄弟は、歩き続け、裏山の奥へ奥へと進んで行った。




 一日目、恵美は兄弟の行方を心配していたが、帰ってきた達也の語る言葉に耳を傾けていた。会社が倒産し、クビになったことを語り、その日は達也に遠慮して何も言えなかった。それに、逆らったことなんて一度もなかったのだ。




 二日目、すっかり迷子になり、帰り道すら分からなくなっていた兄弟は、川を見つけてそこで心配して探しに来てくれるであろう母親と父親に見つけてもらおうと話しをした。幸いにも川の水は美味しかったが、飲みすぎてお腹が痛くなった。




 恵美は意を決して、達也に子供を探しに行った方がいいんじゃないかと進言したが、子犬を叩きのめしたあの棒でこっぴどく叩かれただけだった。達也は昔は優しかった。その優しい達也についてきたつもりだったが、会社が潰れ、クビになると酒に溺れて寝ているだけになってしまった。あんなふうに子供たちにも冷たく当たるとは思わなかった。すっかり酒と環境が人を変えてしまったのだ。




 三日目、川沿いをひたすら歩いていた子犬は、怪我のせいか歩けなくなってやがて死んでしまった。兄弟は途方に暮れていた。空腹のせいで歩く気力もなかった。


 明徳は学校で習った、縄文時代の火起こしの方法を試していた。乾燥していて折れた枝に細い枝をあてがい、手のひらで回転させて発火を促す方法だ。二人が代わる代わるやって、血豆が潰れる頃にようやく成功させた。


 火起こしが出来た兄弟は、元気を取り戻し、川の魚を捕まえようとしていたが、捕まえようとする手をするりと抜け出し、とうとう一匹も捕まえられなかった。


 横たわる子犬を見ていた和真は、天国に送ってやろうと考えた。ダンボールの中で死んでしまっていた三匹の子犬の兄弟の元へと送ってやるのだ。和真にはそれがいい考えに思えていた。


 和真は兄に、子犬を火葬してやろうと言った。天国に送ってやるんだと、一緒にいた三匹の兄弟の元へと。そして明徳は弟の嘆願に応えてやった。


 焚き火の上に枝で台座を作り、子犬を寝かせた。明徳と和真は初め、涙を流して見送っていた。


 子犬は荼毘にふされたが、空腹の兄弟には耐え難い匂いがしていた。




 母親は酷く殴られ血を流し、顔の傷も癒えぬうちから、中曽根荘の大家である中曽根裕二に頼み込んだ。どうか子供を探してくれと。


 中曽根は子供の足では遠くまで行けないと踏んで、裏山を目指した。山から流れる川伝いを歩きながら進んだ。暗くなってきた森の中、遠くにうっすら火の手が見える。中曽根は急いで向かった。


 子供達は子犬の死体を焼き、引きちぎり、取り合い、貪るように食べていた。


 中曽根の呆然と見ている姿に気付いた明徳は、子犬の脚だった部分を握りしめ、呟くように繰り返し言った。


 違うんだ、違うんだ、違うんだ、違うんだ。


 中曽根が兄弟を家に送り届ける頃には、それがしらみ始めていた。中曽根が自分の家の玄関を開けると、いい知らせを受けるはずの恵美はいなかった。


 中曽根は嫌な予感を覚えながら、佐藤家の玄関を開けた。鍵をすらかかっていないそこに、血だらけの恵美が、廊下に横たわっていた。


 中曽根の家に残し、鍵をかけるように言い含めていたが、なぜか母親である恵美はそこにいた。


 中曽根は急ぎ救急車を呼んだ。




 傷が塞がり、治った後も、あまりにひどく殴られた母親は脳に障害が残った。人が認識出来ない障害だと病院側は説明した。それも特に子供たちへの。


 父、達也はどこにもいなくなっていた。

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