三 2-③



「そっかぁ……おばあちゃんには、なれないなぁ……」


 亜紀は大量に残った料理を前に途方に暮れる。祖母が店のコンテンツだと言われてしまうと、絶望的だと思った。

 祖母は話好きだが、亜紀はもともと人と話すことを得意としていない。知らない人と話を弾ませる話術などどうやったら身につくか見当がつかなかった。

 そうやって自分磨きを頑張ったとしても。結局、亜紀は祖母にはなれないのだ。


「じゃあ、もっと何か、別の売りが必要ってことですよね。若者向けにおしゃれにアレンジしてみるとか……、それかもっとドリンクを増やしてみるとか……!」


 もっと。もっと頑張らないと。だが頭がから回りしているのが自分でもわかる。そんな付け焼き刃でどうにかなるものではないのはわかっていた。

 気ばかりがいて寒月を見ると、彼は困惑したような顔をしていた。

 何か言いたげな目にはあわれみが含まれている。それが余命宣告をする前の医師のように思え、やる気がしゅるしゅると消えていくような気がした。


(あぁ、やっぱり、無理なのかな……)


 視界がどんどん狭くなっていく。まぶたの裏には今にも『THE END』の文字が現れそうだった。

 と、そのとき、


「亜紀、牛になりなさい」


 漱石の静かな声が響き、閉じかけた視界に光が射した。見るとひょっこりとソファから顔を出している。お目覚めらしい。だが、


「……牛?」


 どういう意味だろう? なんだか口調も違ったような?

 亜紀は目を白黒させるが、漱石はそのまままたソファにゴロンと横になった。寝ぼけていたのだろうか?


「ちょっと、猫先生! 途中でやめないでください! もやもやしますから!」


 亜紀は文句を言うが、漱石はだんまりだ。すると、寒月が小さくため息を吐いた後、口を開いた。


「『あせっては不可いけません。頭を悪くしては不可せん。根気ずくでお出でなさい。世の中は根気の前に頭を下げる事を知っていますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えてくれません。うんうん死ぬまで押すのです。それだけです。決して相手を拵らえてそれを押しちゃ不可せん。相手はいくらでも後から後からと出て来ます。そうしてわれわれを悩ませます。牛は超然として押して行くのです。何を押すかと聞くなら申します。人間を押すのです。


 聞いているとじわりと胸が熱くなって来た。気を緩めると泣きそうで亜紀は焦った。

 なんだろう、この言葉は妙に心に染みてくる。

 亜紀が言葉を失っていると、再び起き上がった漱石が「にゃぜそれを? それはあくたがわくんとくんに向けた手紙で……」と目をぐるぐると回し、毛を逆立てている。


「漱石の書簡は結構な人が大事に残しておいたんですよ。なので書簡集まであります」

「読んだのか」

「読みました。何回か」


 寒月が言うと、漱石はあきれたように天井を仰ぎ、「手紙にゃど、燃やしてしまえばよいのに」とあきらめたようにしっぽを垂れた。そして亜紀に向き直る。


「……亜紀。牛ににゃりにゃさい。皆、馬ににゃりたがるけれど、牛のように、どっしり構えてずうずうしく、根気よく前に進むことは誰しも案外できにゃいものにゃんだ」

「……は、い」


 焦らなくていい。そう言われているようでまた鼻の奥が痛くなってくる。誤魔化すようにはなをすすると、漱石はにゃあ、と一声鳴いて言った。


「そうだにゃ。敵情視察に行くが良い」

「敵情、しさつ?」

「ほかの店を偵察に行くのだよ。良いところは真似せねば。うん、寒月くん、手伝ってあげたまえ」


 目をしばたたかせる。

(え、しかも寒月さんと?)

 寒月を見ると戸惑っていた。それはそうだろう。なぜそうなる。


「猫先生、迷惑ですから! 寒月さん、仕事があるんですよ!」

「明日は水曜日だにゃ~。休みのはずだにゃ~」

「いえ、せっかくの休みをつぶさせるわけにはいかないんですけど!」


 元社畜として休みの貴重さは身に染みている。

 だが漱石は「寒月くんは断れにゃいよ。にゃあ?」と問いかける。

 部屋の空気がすっと冷たくなった気がして寒月をおそるおそる見る。だが、彼は穏やかな顔でうなずいた。


「ご迷惑でなければ、ご一緒させてください」

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