三 2-②


 夕食が完成した頃になって寒月が店に現れた。最初に言ったとおり、毎日仕事帰りに漱石の様子を見に来てくれるのだ。そして珈琲を一杯だけ飲んで売り上げに貢献していく。


「あ、寒月さん、ちょうどいいところに! お願いがあるんです!」


 なんだかんだで、亜紀は毎日のように漱石と寒月の食事を用意している。といっても余った食材をアレンジしたものだが。

 二人分作るのも三人分作るのも手間は変わらない。さらには一人で食べるより楽しいのだ。だが寒月は毎回遠慮する。徹底している。


「お願い、ですか?」


 寒月はいつもどおり遠慮がちにテーブル席についた。

 亜紀は腕まくりをするとキッチンにあった料理を運び出す。すると寒月が目をいた。


「なんです、これは。パーティーでもするつもりですか」


 テーブルの上にはすでにサンドイッチとナポリタンが置いてある。そして亜紀の両手にはオムライスとハンバーグ。


「一度メニューにあるものを全部食べてもらおうと思って」

「……誰が食べるんです?」


 寒月の顔がひきつっている。


「だからお願いがあるって言ったじゃないですか。さすがに一人で全部は無理ですし」

「こういうときのために猫がいるんじゃないんですか」

「猫先生は満腹で寝てます。二人分は食べてもらいました」


 ソファを指差す。すでに漱石は、ふわふわの毛の生えたお腹を出して幸せそうに眠っているが、無防備でもふもふなお腹を触りたいという誘惑と亜紀はずっと戦っていた。

 寒月はわずかに胃のあたりを押さえる。お腹と相談している様子に、亜紀は慌てた。


「あ、もしかしてお腹いっぱいですか?」

 付き合いもあるだろう。食べてきていてもおかしくないのだ。

「いえ。大丈夫です。お腹はいています。……いただきますね」


 寒月は少し悩んだあとフォークを握るとナポリタンに手を出した。くるくるとフォークに少量のパスタを巻きつける。そして口に含むと、ゆっくりとしたしやく。笑みを浮かべたような口元。滑らかに動くのどぼとけ。奇麗な人が奇麗に食べるとなんだか神々しいとさえ思う。


「……あんまり見られると、食べにくいんですが」


 ついれてしまっていた亜紀はハッとする。

「え、えっと。寒月さん、祖母のものと何か違いますか?」


 亜紀が味見をした感じでは、普通に美味おいしかった。飛び抜けているというわけではないのかもしれないけれど、きちんとお金をもらえる味だと思う。


「変わりませんよ」


 だが寒月の顔は『美味しい顔』ではなかった。亜紀はじっと彼を見つめて問う。

「でも、味が同じなら、以前の常連さんも来てくれると思うんです」

 それらしき人が何人か来たが、一度きり。残っているのは神田だけだ。


「あえて言うなら……」


 寒月は遠慮がちに口をつぐんだ。

「お願いします。言ってください、私、美味しいものを作らないといけないんです」

 亜紀が懇願すると、寒月はどこか申し訳なさそうに口を開いた。


「作っているのがハルさんだからっていうのが、売りだったと思うんです」

「おばあちゃん、だから……ですか」


 ずしんと心に重しが乗った。


「ハルさんと一緒に食べるっていうことが大事っていうか。神田さんみたいな寡夫だと、奥さんを重ねていたでしょうし、実の母とか祖母みたいに思ってた人もいるでしょうし」

「寒月さんもですか?」


 思わず尋ねると、寒月は一瞬言葉を詰まらせた。そしてナポリタンに目を落とし、「そうです、ね」と答える。

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