二 2-④


「どうしたんです、猫先生」


 さっそくそう呼ぶと漱石は嬉しそうに目を細めた。そしてぱし、ぱし、と長くてふさふさのしっぽで甕をたたいた。


「これで焼かにゃいかね」

「これ?」


 亜紀は首を傾げた。


「朝はこれであぶったものをよく食べたのだよ。さっきのはにゃにで焼いたのか知らんが、にゃんというかにゃあ、中がパサパサしておってにゃ」

「これって……?」


 甕で焼けというのか? 困惑していると、寒月が言った。


「これは火鉢ですよ」

「火鉢、え、これが火鉢!?」


 単なるインテリアだと思っていたのが実用品で驚いた。

「今はあまり見なくなりましたけど」

 寒月は漱石をどかすと、座布団と板を外した。のぞき込むと灰が入っていた。


「ハルさん、冬はこれで湯を沸かしてましたから、炭さえあればまだ使えるはずですよ」

「炭、ですね」


 亜紀は炭を探して、勝手口から店を出る。外には縦横二メートルくらいの金属製の倉庫が、灯油缶など、季節のものを入れるために置かれていたはず。亜紀の予想は当たる。


「わ、七輪もある」


 他に、植木鉢や土などもあった。宝探しのようでワクワクしてくる。

 ひとまず炭を持って戻ると寒月が「金網はありますか」とたずねる。

 魚焼き用のものを出すと、寒月はそれをコンロに載せ、さらに炭を網の上に置いて火をつけた。


「慣れてますね……?」

「祖母が使っていたので」


 寒月の声色がわずかに柔らかくなった気がして亜紀はおや? と思う。そういえばさきほどもおばあちゃんと聞いて懐かしそうにしていた。


「寒月さんも、おばあちゃん子なんですか?」

「なぜ?」

 思わず漏れた問いに、一瞬緩んでいた空気が再びぴりりと締まった気がした。


「……いえ、ただ……えっと、祖母のこと、大事にしてくださってたみたいなので……」


 祖母と自分の祖母を重ねているのではないか、そう思ったのだけれど、なんとなく言えなかった。踏み込まれたくない、そんな気配を感じたのだ。


「理由もなく親切にするのはおかしいですか?」


 逆に問われて亜紀はしどろもどろになる。これでは善意を疑ってますと言っているようなものではないか。

 だが、寒月は面白そうに噴き出した。


「え」

「いえ、すみません。疑わない方がおかしいのでいいんです。おっしゃるとおり、おれ、祖母に育てられたようなものなので。ハルさんを見ているとどうしても祖母を思い出してしまうんです」

「そうなんですか」


 ホッとしていると、寒月は「そうなんです」と穏やかにうなずいた。

「あ、でも……えっと、お仕事とか、大丈夫なんですか?」

 亜紀は時計を見る。もう十時だった。


「今日は休みですから」


 よく見ると、彼はコットンジャケットの下、黒のハイネックのセーターと細身のスラックスを着ていて、微妙にカジュアルダウンしてある。だが好感度の高い服装だった。緩い会社ならば仕事に着て行っても大丈夫そうな。スウェットなどで過ごしてしまう亜紀の休日とは大違いだった。


「あ、そうなんですね。お休みなのにきちんとされてるの、すごいですね」


 ともかく迷惑をかけているわけではなさそうだ。よかった。

 漱石が「それより火はまだか?」とれた様子でコンロを覗き込もうとする。そして熱気に顔をしかめた。


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