二 2-③


「ふうむ?」


 漱石はまんざらでもないと言った様子で黙り込む。そしてどこかうれしそうに目を丸めた。


「先生、か……にゃんだか懐かしいにゃあ」


 だが、寒月は不満そうだ。

「猫に『先生』ですか? やめましょう。『猫』で十分ですよ、漱石も最初に飼った猫を『猫』と呼んでいたんですから」


 漱石はふふんと笑った。

「じゃあ『猫』と呼ぶが良い。そして漱石ににゃらったとでも言えば、自称ハイセンスな寒月くんの趣味にも合うのではにゃいか?」


 ムッとした寒月が漱石に向き合った。

(うわあああ、なんか二人とも陰険じゃない……!? っていうか、どっちも言い方ひどい!)

 亜紀は険悪な雰囲気を断ち切ろうと頭をひねる。


「じゃ、じゃあ、間をとって猫先生ってのはいかがですか!?」

(って、くっつけただけ!)


 自分で言っておいて、センスのなさにがっかりする。

 だが、漱石はそれだ! と叫んだ。


「亜紀くんはにゃかにゃかセンスが良いにゃ。しかもじゆうにやんだ。寒月くんとは大違いだ!」

「そこでわざわざおれを落とす必要があるんですかね。おれは絶対呼びませんからね」

「好きにすれば良い」


 飽きたのか、漱石は喉の奥が見えるくらいの大あくびをする。そしてひげの模様のあたりを後ろ足でかいた。

 寒月はため息を吐くが、以降黙った。面倒臭そうな様子を見るに、納得したわけではなさそうだが。

 ひとまず呼び名が落ち着いてホッとする。だが問題は山積みだった。珈琲一つさえまだ解決していない。

 亜紀は珈琲のれ方をおさらいするべく道具を洗った。そしてお湯を沸かし、メモ通りに珈琲を淹れる。

 寒月に飲んでもらうと、「ずいぶん良くなりました」と言われる。

 だがまずくないは美味しいではないと心に刻む。客は店に美味しいを求めてくるのだ。ならばそれが出せないと店の存在意義などないのだと思う。

 なんとか明日の朝までにモーニングセットを完成させねばならない。

 明日。神田に来てくれとお願いした。それで美味しいと言ってもらえるようなものが出せなければ、確実に見切られてしまう。店の命運がかかっているのだ。


(あとでもうちょっと調べてみよう……スマホを返してもらってから。あ、本も買おう)


 再びスマートフォンに夢中になっている漱石をじっとり見やると、亜紀はすっかり冷めてしまったトーストをかじる。ここまで冷めてしまったら、いくら銘店のパンだとしても美味しくない。


(美味しいパンのはずなんだけどなあ)


 トースターで焼くのが本当に正解なのだろうか。せっかくだから、美味しいを倍増させるような技がないだろうか。


(それも調べたいなあ)


 ぼんやりとトーストをしやくしていると漱石が「腹が減ったにゃ」とつぶやいて、亜紀は思わず聞き返した。


「さっき食べましたよね?」

「人が食べているのを見ると食べたくにゃるに決まっておるだろう?」


 漱石の目は亜紀のトーストに釘付けだ。だがさすがに食べかけを渡すのには抵抗がある。

 はいはい、と亜紀は立ち上がると「甘やかさなくていいと思いますよ。この猫、無銭飲食ですし」と寒月が言った。


「猫からお金はいただけませんよ」


 もしこの出会いがなければ、亜紀は店を放置して家に戻ったと思うのだ。背中を押してくれたことには素直に感謝しているのだった。


「亜紀、あきくん!」


 ふと見ると、漱石が店の隅にあった大きな陶器にとびのっている。直径は六十センチくらいのかめ。上に板と座布団が載せてあって、腰掛けられるようになっていた。


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