一 3-②


(今の外から聞こえたかなあ……? っていうかなんで入ってこないんだろ……寒くないのかな……。起き上がれないくらいに参ってるってこと? それだと病院行ったほうがいいんじゃ……?)


 そう思ったが、声が妙に元気そうなので迷ってしまう。

 餅を小鉢に入れてレンジで一分加熱。小鉢を出すと、缶を開け小豆を流し込む。水を少々加えて再びレンジに投入。さらに一分加熱して、仕上げに塩をひとつまみ。あっという間にレンチンおしるこの出来上がりだ。

 お盆におわんを載せて寒月のいるベンチまで戻る。


「おまたせしました」


 声をかけると寒月のまぶたがぴくり、と動いた。だがまだ目を開けない。また眠ってしまったのだろうか?

 少し大きめの声で耳元で呼びかける。


「あの? 寒月、さん? できましたよ?」


 すると彼はハッとしたように目を開け、ガバッと起き上がる。伸びた前髪の隙間から覗く二つの目に縫いとめられて息が詰まった。


(う、わ……)


 くっきりとしたふたまぶたまつは長く、鋭い光をたたえるひとみに陰と色気を添えている。

 目を開けた彼の顔は直視できないレベルのイケメンだった。これはダメだ。女性は漏れなく心を奪われるタイプのヤバイやつだ。

 亜紀は例から漏れず心を揺さぶられてぼうぜんとしてしまう。


「……あんた、だれだ?」


 甘い印象のする低い声は、破壊力のある顔のせいなのか、先ほどの声とは別人にも思えた。

 どこかで聞いたような気がしたけれど、知り合いにこんなすさまじい美形はいないはず。


(って、今更それを聞くの? それにそれってこっちのセリフ!)


 亜紀は不審者扱いされてしまって困惑する。イケメンだからといって何でも許されるわけではない。

 寒月が立ち上がると長身に圧倒される。百五十五センチの亜紀と頭一つほど違うので、百八十センチくらいだろうか。なんというか、色々迫力がすごい。


「あ、えっと……ここの家のもので、小日向、です」

「……ってハルさんの孫の? 亜紀さん?」


 名前を知っているということはやはり常連客で間違いないのだろうけれど、なんとなく違和感があった。祖母は亜紀の話を客にしていたのだろうか?

 うなずくと寒月は「ハルさんは?」と顔に焦燥感をにじませた。


「えっと、実は救急車で病院に運ばれて」

「──病状は?」


 寒月がぐい、と顔を近づけた。真剣な顔に亜紀は息が止まりそうだった。

(ひ、ひええええ……! ちょっと、近いんですけど!?)

「だ、大丈夫です。命には別状がないそうです」

 なんとか答えると寒月はホッとしたように脱力し、ベンチに座り込んだ。


「あ、あの、中で食べますか? 寒いですし」


 聞こえているのかいないのか、彼は黙ったまま湯気を上げるおしるこを凝視している。そしてわずかにのどを鳴らし、なにか確認するように胃のあたりを押さえた。


「これなら、食える……か?」


 どういう意味だろうと思っていると、寒月は亜紀の手からお盆を取り上げる。そしてそのまま店の中へ。

 亜紀が続いて店の中に入り、引き戸を閉める。手にグニャリ、という抵抗感を感じ、それから「みゃっ」となにか悲鳴のような声が聞こえた。


(な、なに? あ、そういえばさっき、猫の鳴き声がしたような気がしたけど……)

 ぐるり、と見回すが暗い店内にそれらしきものは見当たらなかった。

(気のせいか)


 ふと見ると、奥のソファ席へと移動した寒月は、さっそくしるこに口をつけようとしていた。その時だった。


「二人分だと言ったのに……にゃんで私の分がにゃいのだ!」


 店内に響いた怒号。

(え、今の声って)

 亜紀はぱちくり、と目を瞬かせた。

 同時に寒月が大きくむせている。気管に小豆が入ったのか、ひどくつらそうだ。


「だ、大丈夫ですか!?」


 慌てて水を差し出すと、寒月はうなずきながらき込み、呼吸を整える。

「今のって……寒月さんじゃ、ないですよね?」

 せきが落ち着いたのを見計らって問いかけると、寒月は恐る恐るといった様子でソファの下をのぞき込んだ。

 直後、亜紀の視界を黒い影が横切った。そして──。


「君、亜紀くん。私の分のしるこを出したまえ!」

 一匹の黒い猫がソファの上でフーッと毛を逆立てた。

「……は?」


 そう発した後、あごが、まったく動かなくなった。

 猫には立派なくちひげがある。観察した後に、亜紀はぼんやりと思う。髭なんてどの猫にもあるよ、と。だから、目の前の猫には口髭の模様があるというのが正しいのだと思う。

(いや、いやいやいや)

 今問題とすべきは髭ではない……はず。


「ねこ、が、しゃべっ──」

 亜紀はそろそろと腕を上げ、人差し指をのばし、そして猫を指さした。

「たああああああああ!???」


 自分でもびっくりするような、ひっくり返った声が出た。

 だが、猫はすでにおしるこにしか興味を持っていないらしく、おわんに前足をかけている。


「私のだぞ、これは! 私が注文したんだからにゃ!」


 寒月に向かってぶうぶうと文句を投げつけると、猫はお椀に顔を突っ込んだ。

 そして直後「あぢぢぢ! にゃんだこの舌は!」と叫ぶが、すぐにまた顔を突っ込む。

 寒月は「ゆめじゆう、じゃない?」とつぶやいている。どうやら立派に動揺しているらしい。


「夢、じゅうや?」

 なんですか。それ。問いかけようとしたとき──。


「ぐうっ」


 突如、猫がうめいた。そして喉のあたりをがりがりと引っきながら、よろよろと床に倒れ込んだのだ。

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