三 猫漱石と路地裏散歩

三 1




、かい」

「おばあちゃん、よかったぁ……」


 昨日の夜と同じく、まだいろいろとつながれている状態ではあったけれど、祖母の意識はずいぶんはっきりしているようだった。


「あんた、店に行ってくれたんだろう? どうだった? かぎとか大丈夫だったかい?」

「大丈夫。鍵もかかってたし、特に変わったことはなかったよ」


 祖母は心底ホッとした様子だった。


「あ、かんさんは来なかったかい?」

「今日来たよ。トーストセット出したらまずいって言われちゃった」

 とたん、祖母はぱっと顔を輝かせた。


「開けて、くれたのかい!」


 その喜びようを見て、亜紀は昨日の祖母の言葉の意図は正しかったのだと知る。

(あぁ、帰らなくって、良かった……)

 もし店を開けずに帰っていたら、祖母はどれだけがっかりしただろう。病状が一気に悪化していてもおかしくない。


「そうかいそうかい! もしかして、やる気になってくれたのかい!? あぁ、神田さんはシュガートーストが好きなんだけど、糖質制限してるからパンにかける砂糖は別でね……」


 祖母が一人でどんどん話を膨らませて、亜紀は慌てる。興奮させるのもまずい気がした。それにぬか喜びになる可能性だってあるのだ。


「え、えっと、でもまだ何にもわからないし、珈琲コーヒーとかもぜんぜんだめだから勉強しないと。おばあちゃんのレシピも覚えないといけないし」


 そう言って落ち着かせようとするが、祖母は「いいんだよ。亜紀の好きなようにすれば。良かったねぇ、これで一安心だよ」とホッとしたように目をつぶった。


「おばあちゃん? ちょっと、大丈夫?」

 不安になって周囲を見回すと、ちょうど看護師が廊下を通りかかった。


日向ひなたさん、検温のお時間ですよ」


 すぐに処置が始まり、じゃまになってはいけないと亜紀は外に出ようとする。だが祖母が「亜紀」と呼び止めた。

 亜紀はドアのところで振り返る。祖母はすがるような目をして言った。


「さつきって子は来なかったかい?」

「さつき?」

「もし来たら注意しな。いい子に見えるけど、見た目に絶対だまされちゃいけないよ。ああいうぼけっとしてて世界一安全そうな子が、人を油断させて騙すんだから」


 祖母は早口で言うと、看護師さんに「はいはい、血圧も測りますよ」と会話を遮られる。

 亜紀の頭の中にはクエスチョンマークが飛び交う。


(さつきさん? ぼけっとしてて世界一安全そうな子?)


 ひとまずそんな人に心当たりはなかったが、安心させるためにうなずいておく。

「うん、気をつけるね」

 部屋を出ると、もう一度記憶をのぞいてみる。


(怪しい人……あやしすぎる猫なら来たけど……)


 亜紀にとってはしやべる猫の方がよっぽど重大事件なのだった。

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