二 5-①
5
「どう見ても娘さんが何枚か上手でしたね」
親子
亜紀はうなずく。きっとあの娘さんなら、神田のわがままも簡単にいなしてしまうだろう。
「寒月さん、ありがとうございました。トースト、助かりました」
だがふと気になった。神田の言葉──ハルさんのと同じくらい。ノートには何も書いていなかったが、祖母は神田にはシュガートーストを出していたのだ。
「おばあちゃんが神田さんにシュガートースト出してたって、知ってたんですか?」
「いえ、猫が砂糖をまぶすって言ってたでしょう。ジャムもなかったですし」
寒月は肩をすくめた。気のせいかと外に出て、空を見上げる。ひんやりとした風が足元を駆け抜けた。
秋晴れの空には朱が差している。いつしか太陽は建物の陰に隠れてしまった。それと同じくして人通りも減り、
七輪の炭はほとんどが灰になっている。もう炭を足す必要はなさそうだ。
「それにしても、大盛況でしたね!」
「試食ですよ」
寒月が肩をすくめ、亜紀はそうだったと思い出した。
空っぽのパンの袋を折りたたむ。これが全部売れたとしたらどれくらいの売り上げだろうかと思うが、損だとは全く思わなかった。むしろ、なんだかわくわくしてきた。
会社でプロジェクトの歯車に組み込まれていた日々。上司に言われるままに作業を行うため工夫などは必要なく、むしろ嫌がられた。拘束時間は長いのに成果が見えにくく、さらには誰にも感謝されない日々。
そうした日々の
お客さんの
体に残る疲れも充実感に置き換わってしまうくらいで、なんだかすごく感慨深かった。
ああ、楽しかった。そんな言葉が湧き上がってくる。
「は~、なんだか久々に働いたって感じがしました!」
思わず漏らすと、寒月が苦笑いをする。
「久々にって……お仕事は、されていないんですか?」
遠慮がちに問われて、事情などはなにも話していないことに気がついた。
平日だというのに会社にも行かずに、こうして店を手伝えるという亜紀はどんなふうに見えているのだろう。
(ニートに見えてるかな?)
そう思ったけれど、ほぼ同じなので大きな訂正はしない。
「ちょっといろいろあって休憩中なんです」
「いろいろ?」
「いろいろ、です」
「よろしければ、話、聞きますよ? 話すと楽になることもあるでしょう」
穏やかな笑みに釣られそうになる。だが亜紀はぐっと堪えた。
「いえ、大丈夫です」
身の上話など重いだけ。寒月は客だ。客が話すのはありでも、客に話すのはなしだろう。
亜紀がごまかすと、寒月はわずかに戸惑ったような顔をしたが、それ以上の追及はしなかった。
亜紀は漱石を見下ろす。漱石のアドバイスのおかげで今日はかなり前進した気がする。
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