二 猫とジャムと火鉢の焼麵麭〈トースト〉

二 1-①




不味まずいな、この飯。金取るとかおかしいだろ」


 客が顔をしかめて皿を突き返した。は平謝りだ。何が違うのだろう。タマゴサンドもハンバーグもナポリタンも、オムライスも。祖母のレシピのままに作ったのだ。失敗などあるわけがなかった。


珈琲コーヒーも何これ。色がついたお湯? 素人がれてももうちょっとマシ」


 別の客が珈琲カップを突き返す。しかもカップにはヒビが入っている。ぽたり、と珈琲のしずくが落ちて客の上質そうなスーツにシミをつけ──。


(いやああああああ、まって!!!!)


 亜紀は叫びそうになったが声が出ない。だが、珈琲の雫が落ちた場所にはなぜか白いくちひげのある黒猫がいて、スーツは汚れずに済む。落ちた雫が黒猫になったかのようにも見えたが、驚くよりホッとして床にへたり込む。そんな亜紀を猫が笑う。

 そして、後ろにいた背の高いイケメンもニヤニヤと亜紀の失敗を笑っている。


(笑ってないで、手伝ってくださいよ!)


 亜紀はそう訴えようとした。だが声がやはり出ない。

 そのときがらりと引き戸が開いて母が現れた。母は仁王立ちで言う。いや、仁王そのものに見えた。なんだかマッチョで気味が悪い。


「ほうらやっぱり人様に迷惑ばっかりかけて。あなたまだ半人前なんだから──さっさと家に帰るわよ?」


 腕を掴まれる。マッチョなせいかすごい力でとても振り払えない。いや、なぜか腕が動かない。全身が金縛りにあったように。

 せめていやだと言いたいのに声がどうしても出ない。必死でく。

「い、や」

 もうちょっとで声が出そうだ。亜紀は必死で声を絞り出す。全身全霊で叫ぼうとする。


「いやあああああ、絶対帰らないからぁああああああ!!!!」


 念願かなって叫ぶと同時に、亜紀は自分の声に驚いて起き上がった。




「……………………え?」

 ぱちぱちと瞬く。視界に入ったのは、先程まで目の前に広がっていた薄暗い店。


「どうしたどうした」

 立派なしろひげを蓄えた黒猫がのぞき込んでいる。


(え……? 私、まだ寝てる?)


 とっさに頭が働かずに固まっていると、引き戸がたたかれる。猫がかぎを器用に外すと、戸はがらりと開いた。そしてすさまじい美形が顔をのぞかせた。


「今、すごい声しましたけど、大丈夫ですか?」

「か……かんげつさん、大丈夫です……」


 ぽろっと名前が出てきて思い出す。

 そうだった。昨日知り合ったばかりの人。みずしま寒月。


「こんにゃところで寝るから悪い夢でも見たのだろう。起こしても起きなくてにゃあ」


 猫がごく普通に亜紀に話しかける。それで完全に思い出す。昨夜から続く不可思議な出来事を。

 テーブルの上には営業日誌、レシピの書かれたノートや、数々の料理本が散乱している。


(ああ、そうだった)


 昨日の夜、亜紀は病院に着替えを届けに行った。その後、なんだか色々考えてしまって眠れなかったのだ。

 だからキッチンにあった営業日誌やレシピノートを読んでいた。母にああ言った手前、無責任に放り出すこともできなくなってしまったから。

 ついでに必要な資格なども調べてみた。調理師免許などが必要となると荷が重すぎると思って。

 だが、カフェ経営には店主が食品衛生責任者という資格を持っていることで事足りると知り、安心したところで……いつの間にか眠ってしまっていたらしい。


「すごい悪夢でした…………」


 そうつぶやきながらも、どちらが夢なのだろうと思ってしまう。猫がしやべり、そうせきだと名乗る世界の方がよっぽどこうとうけいだと思った。


(大丈夫。まだ終わってない……始まったばっかり)


 大きく深呼吸をすると乱れた髪を手でで付けた。



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