一 4-①




うまいなぁ。もういっぱいくれ!」


 ぺろりとおしるこを平らげた漱石が、おかわりをねだった。

「もう小豆あずきがないんで、おしまいです」

 そう言うと、漱石は隣に座っている寒月のおしるこをじっと見つめた。


「あげませんから」


 寒月は漱石に背を向ける。ゆっくりとおしるこを味わっている。時折胃のあたりを気にしているから、急に食べて胃を痛めないようにと気をつけているのかもしれないと思う。

 その顔色は、先ほどよりは随分と良くなっていた。


「食い意地が張っているにゃあ」


 漱石が寒月の太ももの上に前足を乗せる。そしておねだりだろうか。かりかりとズボンを引っく。その姿は、中身が文学者でオジサンだと知らなければ、すさまじく愛らしい。

 寒月は猫の手が届かないようにとおわんを高く持ち上げた。


「食い意地が張っているというのは、二杯も食べておいて人の分まで食べようとするあなたのようなことを言うんですよ」


 穏やかな顔をしているくせに、なかなか言うなと思う。そして言われっぱなしの漱石もまた、なんだか楽しそうにさえ見える。

 その遠慮のなさは、ずっと連れあった飼い主とペットのようにも見えた。猫がしゃべっていなければ、だが。

 それにしても。人間というのは順応性が高い生き物なのだろうか。次第に目の前で起きていることに対して慣れが出てきていることに亜紀は驚く。

 まったりと過ぎていく時間に亜紀はふと思った。


(で……この人たち、これからどうするつもりなの……)


 動きが取れないが、客に出て行けとも言えない。なんとなく成り行きで落ち着いてしまったけれども、もう店の様子は見たし、あとは祖母の着替えを届けたら家に帰らねばならない。勢いで飛び出してきたし、きっと母が心配している。


(って、今何時だろ)


 ずいぶん時間が経ってしまったような気がする。

 時計を探して、亜紀は店内を見回した。だが、

(あれ?)

 とある一点にくぎけになる。


「え……これって」

「どうした」


 漱石が反応する。

「私の絵が飾ってあって……」

 冷蔵庫の上の少し空いたスペース。客席からは見えない位置に額に入れられた子どもの絵が飾ってあったのだ。

 それは亜紀が小学生の時に描いたもの。クレヨンで描かれているのはこの店で、亜紀が料理を作っている絵だった。

 青空を舞うオムライスにナポリタンにサンドイッチ。両手で差し出すのはビーフシチュー。美味おいしそうなメニューたちに、笑顔の客。

 記憶の中の祖母は客を大事にし、大事にされていて、いつもしあわせそうで。

 だからこそ、あこがれだった。あんな風になりたいなと心から思っていた。


(ああ、私……この頃、よく言ってたな、お店で働きたいって)


 そのたびに祖母は嬉しそうに言ってたのだ。『じゃあ、亜紀が大きくなるまで、ばあちゃんが元気で頑張っとかないとね』と。

 だが、母や友人に「自営なんて不安定で大変な職、やめた方がいい」と言われ続けいつのまにか口に出さなくなり、やがて夢も弱りきった。急に思い出して胸がぎゅっと縮む。


(ごめん、おばあちゃん。私……約束守らなかった)


 子どもの言うことだ。真に受けたわけがない。とも思うけれど、この絵を見ていると、祖母が待っていたような気がしてしょうがない。祖母が、亜紀がやって来るのを待てずに力尽きてしまったような気がして、しょうがなかった。

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