第19話 異変の夜
「ロジンカ……?どうしたんだ、これ……」
波立つ心を抑えて、カメリアはすすり泣くロジンカに近寄った。
「こないで……!」
少女は赤く汚れた唇で怯えるように叫ぶ。
血濡れの小鳥を抱く手はわなわなと震えていた。
足を止めたカメリアは死んだ小鳥を観察する。
肩の様なところを強く噛まれていた。人間で言うなら、首に相当する部分だ。
「落ち着いてくれロジンカ、」
少年がまた一歩踏み出すと、少女は声にならない悲鳴を上げて壁際に後退した。
小鳥を噛み殺したのは確実にロジンカだ。
その野蛮で猟奇的な行いを責めるつもりは少年にはなかった。
カメリアはその行動に一つの仮説が浮かんでいた。
それは幼い頃、人狩りたちが6つのカンタレラを入手してきた時だった。
神が生まれるには6つのカンタレラを飲ませなければいけないという事を知らなかった彼らは、6人の捕虜に一つずつカンタレラを飲ませた。
すると翌日、飲まされた6人の被験者にはほとんど同じ効果が出た。
せん妄と幻聴、幻覚、催淫効果、カンタレラへの強い依存……そして、吸血衝動。
思えば人の食事を受け付けなくなって、カメリアの血を啜って満たされたような顔をしていたロジンカの姿には見覚えがあった。
しかし何故、カンタレラに選ばれたはずの彼女にまで症状が現れたのか。
(神の蛹が壊されたからか……!)
ロジンカはレオナルドに蛹を壊され、不完全な体で世界に引きずりだされたのだ。
その後遺症で今こんな目にあっているのだと考えればつじつまが合う。
後遺症だということで頭は納得したが、この状態をどうやって回復させればいいのかがわからないままだ。
「大丈夫だ、そんなに怖がること無いから」
務めて優しく声をかけたが、近づくカメリアを恐れてロジンカは転がるようにベットから降りて、少年から最も遠い部屋の角に縮こまった。その手に小鳥を持ったまま。
「わた、しっ、そんなつもりなかったのに、こんなことするなんて思ってなかった!」
頭を壁に擦り付けて、少女は泣く。
「この子が窓にとまったら、お、お腹が鳴って……っいつの間にか殺してたの!なんで……っなんで!」
弁明のつもりだった告白は、嗚咽に代わった。
「わかったってロジンカ、お前は悪くないから」
「嘘っ!!」
カメリアが少女を背中から抱き込んで頭を撫でてやると、小さな少女は更に涙の粒を大きくした。
「なぁ、病院行こう?」
*****
まだ涙の止まらないロジンカはふらついたまま、カメリアに手を引かれて歩いた。
町の中央にあった診療所は、診察を始めたばかりのようで、待合室には他に人が居らず、ほどなくして医者のもとに通される。
「やぁ、今日はどうしたんだいお嬢さんたち」
2人に対応したのは初老の男性医師だった。いかにも穏やかそうな笑い皺が深く刻まれた医者は、柔らかい笑顔で患者を迎え入れる。
カメリアはロジンカの代わりに、嘘を交えて病状の説明を試みた。
「彼女は飴と間違えてカンタレラを飲んでしまって、」
流れるようにそう言ってから、カメリアはロジンカがカンタレラを飲んだ経緯を全く知らないことに気が付いた。
劇的な出会いを果たした割に、まだ自分たちはお互いの事を何も知らないのだと思うと少し悲しい気もする。
吸血衝動が抑えられなくなったことを伝え、噛み殺した小鳥を医師に見せると、いつの間にか険しい表情になっていた医者はため息をついた。
もしかして、この症状に有効な薬はないのだろうか?
一抹の不安を抱えながら医者の返事を待つ。
初老の男性から放たれたのは、予想だにしていない言葉だった。
「でていけ!この吸血鬼共が!」
医者は分厚い医療辞典をロジンカにぶつけた。
突然の出来事に彼女をかばう事が出来なかったカメリアは茫然として診療室から出ていく医者を見送った。
「大丈夫か!?」
「はい……それよりここは危険な気が……」
ロジンカの予感は当たっていた。
医者は大声で人を呼ぶと、銃を構えた数人の男性看護師を引き連れて戻ってきたのだ。
「さっさとこの町から出ていけ吸血鬼めが!」
カメリアはロジンカを背に隠しながら、口をそろえて二人を威嚇する男たちを睨みつける。
「なんだよ!カンタレラを飲んだって説明しただろ!」
「薬がどう作用しようが吸血衝動で鳥を噛み殺した事実がある!人を襲う可能性がある者を町に置いてはいられんのだ!」
ロジンカはカメリアの服の裾を引っ張って逃げることを促した。
ここにとどまる理由はもうなかった。
後ろを警戒しながらその場を立ち去った。
走れないカメリアを今度はロジンカが手を引いて走る。
「悪い……!こんなことになると思ってなかった」
「……いえ、いいんです」
先程まで泣いていた少女の心を緊張感が落ち着かせていた。
取り急ぎ宿屋へ帰るか?いや、碌な荷物も無いのだから、戻らずに町を出た方が良いかもしれない。
兎に角町の外側へと速足で向かった。
その間にも町中に吸血鬼が出たという情報は伝わっていく。
後方で異常事態を知らせる警鐘が鳴っていた。
道を歩いていた人々が慌てて家の中に避難していくのが見える。
彼らの行動一つ一つに、毅然と振る舞う少女の柔らかい心は傷ついていた。
彼は心配だからと一緒にきたがったが、走れないカメリアを説得して町の入り口に待機させる。
彼が稼いだという宿代を託されて宿屋の扉をノックした。
「あの、宿代を……」
開かれたドアから飛んできたのは大量の水だった。
「出ていけ化け物女め!よくも俺をだましてくれたな!」
続けて空に一発の銃声。
宿屋の店主が威嚇に放ったものだった。
びしょ濡れになったロジンカは、ふやけた札をその場に置いて走り去る。
カメリアのもとに帰ると、少年は悲痛な面持ちで少女の濡れた髪を拭った。
「だからやめろって言っただろ?」
諭すようにいうカメリアの心配そうな表情に、ロジンカの惨めな心は少し救われた。
しかし、ロジンカには言わなければならないことがある。優しい彼の為に。
町から出て森に逃げてから暫くすると、町の付近の森が赤く染まった。町人たちが森を焼き始めたのだ。
「ひでえな……ここまでするなんて」
何とか離れた場所までこれた彼らだが、ここも安全ではない。
油をまいたのであろう炎は森を平らげる勢いで木々を喰らっていた。
その火を眺めて、ロジンカの心が決まる。
「カメリアさん、ここから一人で逃げられますか?」
「は?」
予期していなかった質問にカメリアの間抜けな声が響いた。
「なんだよそれ、まるでここから別行動するみたいな……」
「しましょう、別行動。ここから先は一緒に行けない」
「……なんで!」
「だって怖いんだもん!しかたないじゃない!」
小動物が火に怯えて逃げる中、ロジンカの声が森を裂いた。
「あの小鳥、本当に殺すつもりなんてなかったのに、いつの間にか掌のうえで死んでた!
お医者さん達も宿屋のおじさんも私のこと吸血鬼だっていうの、きっとそうなんだわ、私知らないうちに化け物になっちゃったのよ!いつあなたの事まで殺そうとするかわからないのに、一緒になんていられないの!」
立ち上る煙が近づいてくる。
少女は頭を抱えて蹲る。
こんなことをしている場合ではないと二人ともわかっていた。
それでもこの場から立ち去れない。
「そんなこと言うなよ!俺、お前に殺されるほどやわじゃないし、ちょっとくらい噛んだって気にしない!お前が腹減って倒れるくらいなら、俺の血やるよ!」
「それが嫌なの!私ほんとうに吸血鬼になっちゃいたくない!あなたの優しさを利用してまで生きていたくない!だって、一度は死んだはずなのよ!どうしてまた苦しまないといけないの!?誰かを傷つけてまで!」
「なんだよ……それ、」
少女の悲痛な叫びを理解するにはまだ幼い少年が、自分の好意が拒絶されたことだけを悟って憤る。
続けられたロジンカの言葉に、目を見開いた。
「たすけて……ルトゥム……」
カメリアの心臓が高く鳴った。
こんな時に名前を呼ぶその相手は、誰だ。
自分の中に醜い嫉妬が湧いたことをわかっていた。
あれだけ劇的な出会いを果たしたカメリアという存在が居ながら、少女の心を占領しているのは自分ではなく、他の誰かだった。
彼女の一番になった気でいた。
今の彼女は自分のものだと思っていた。
それが違ったという事実が無性に腹立たしく、悲しかった。
この場にいない相手の名を呼ぶのではなく、自分に縋ってほしかった。
自分になら少女の助けになれるのに。
「ロジンカ、なぁ俺に言ってくれ…助けてって、俺に、言ってくれよ!」
カメリアは美しい顔を歪めて、苦しむ少女に懇願する
自分の存在を見て欲しい、求めて、受け入れて欲しい。
それだけだった。
「いなくならないでくれ、ずっと一緒にいてくれ。一人にしないでくれ、俺何でもするから!」
涙声で少年は蹲った少女に縋りつく。
火は彼らの近くまで来ていた。
「俺の事、噛んでくれよ!吸血鬼だなんて俺は思わないから、俺の事必要だって言ってくれ!」
少年は自分の事しか考えていなかった。
自分を求めて欲しい、その一心で綴られた言葉だった。
それにロジンカは反発する。
「そんなの信じられない!」
「じゃあどうしたらいいんだよ!」
「わからない!わかんないよぉ……!」
泣きじゃくる少女を、涙を流す少年がぼうっと見つめていた。
火は勢いをまして彼らに近づいてきている。
不意に、少女を見つめるばかりだったカメリアに天啓が訪れた。
おもむろに服の裾からナイフを取り出した少年に、ああ、じぶんは今から吸血鬼として殺されるのだろうか、なんて考えが過るが、事態は新たな展開を見せた。
「……え、」
少年は、自らの二の腕に刃を当てると、ナイフを一気に振り下ろした。
「い……ってぇ」
「な、なにを……!?」
うろたえるロジンカに、カメリアは冷や汗を額に滲ませながら笑う。笑ってみせる。
「これから先、鳥の血だけ吸って生きてくつもりかよ?腹減らしたまんまどこに行くんだよ。俺の血なら、いつでも飲んでいいから……」
ロジンカは傷を診ようと手を伸ばしただけだった。
しかし、漂う血の匂いに腹が鳴り、口内に唾液が溜まっていく。
彼の血の滴る二の腕に誘われて、気がつけば唇を寄せようとしていた。
その少女をカメリアが手で遮る。
「ちがう、私そんなつもりは……」
「なぁ、撤回してくれ。これからも一緒にいてくれるなら飲んでいいよ」
「違うの……!」
ロジンカの視界が赤く染まっていく。
待てをされた犬のように、息が荒くなっていく。
「なぁロジンカ、良いんだよ。」
「……ぅ、ううううぅっ!」
体を引き寄せられて、甘そうな血の流れる傷口を見せつけられる。
飢餓状態のロジンカの体は、それに耐えることが出来なかった。
「よかった……俺達、これからもずっと一緒だよな」
心の底から安堵したカメリアがロジンカに語りかける。
血を啜る少女は、まだ泣いていた。
カンタレラと神の花【1】 @kokoma4649
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