第18話 ロジンカの異変

 

「疲れた……流石にもう歩けねーよ」

「そうですね……」


 ロジンカとカメリアは夜通し森の中を歩いた。

 何処に向かうべきかもわからず、とにかく屋敷から遠い方へと歩く途中、狼の遠吠えが聞こえたりして、身を護る武器を持たない二人は身を震わせながら歩みを進めた。


「腹減ったなぁ」

「そこに木の実がありますけど、食べられるかしら……?」


 ロジンカは茂みになっている黒くて柔らかそうな木の実を指した。

 小さな粒が集まって一塊になっているその木の実は、一見ブラックベリーに見えたが、そんなに都合よく食べられるものが森に生えているものだろうか?

 動物や鳥についばまれた形跡のないそれに、二人は慎重になった。


「食べてみるか……?」

「お腹壊したらどうしましょうか」

「でもなんか食えそうだしな……」

「うーん……」


 決断が早かったのは以外にもロジンカの方だった。

 彼女は木の実にふうっと息を吹きかけて埃を払うと、そのままぱくりと食べてしまった。


「お、おい!大丈夫かよ!?」

「……?ん……?」


 ロジンカは口をもごもごと動かして咀嚼し、こくんと飲み込むと感想を告げた。


「……味がしませんでした」

「えっ、怖くね?」

「少し……」


 味がないということに不信感を強めたカメリアだったが、ロジンカが食べたのに自分だけ逃げるのは無しだろう、こうなったら一蓮托生だと、自らも木の実を口に運び、噛んだ瞬間、


「あ”あ”あ”っ!?苦いっ!にが、苦い!!!」

「……え?」


 カメリアはたまらず、不作法を承知で木の実をペッと吐き出した。

 木の実を食べても味がしなかったというロジンカはきょとんとしている。


「まっず!よく食えたなこんなの……」

「え、でも……」


 ロジンカは不思議に思ってもう一つ木の実を食べたが、またしても微妙な顔をして咀嚼する。


「やっぱり味がないです……」

「お前、味覚死んじゃってないか?」

「そんなはずは……」


 とにかくこの不審な木の実をこれ以上食べない方が良い、という事で意見が一致した。

 そうなれば、彼らが目指すべきは村だ。

 出来るだけ栄えた村がいいとカメリアは思った。

 食べ物や宿だけでなく、地図や銃まで買い付けられるのが理想とくれば、それなりに大きい村か町で無ければできそうになかった。


「でも、お金を持ってないです」

「俺も持ってないけど、何とかする。稼ぐ当てはあるんだ。」


 そう自信ありげにいうカメリアに、ロジンカは首を傾げた。

 この身一つで、なおかつその日のうちにお金を稼げるなんて夢の様な方法が、ほんとうにあるのだろうか?

 ロジンカが想像する労働とは、露店などで客寄せと販売を行い、給料日まで稼ぎを待つような働き方だった。

 しかしそんなに悠長にしていては、二人は飢え死にしてしまうだろう。

 カメリアのいう「稼ぐ当て」と言うものに全くピンときていなかった。


「取り敢えず、今日は野宿だな」

「野犬に襲われなければいいけれど……」


 2人はその日、日が暮れるまで歩き続け、夜になる前に苦労して焚火を起こした。

 ボロボロになってしまった手を見て労い合い、焚火を挟んで横になった。

 カメリアは不眠症だったので、明るい星空を飽きずに眺めつづけた。

 疲労した足は棒のようになってしまっていたが、どことなく穏やかだった一日に思いを馳せる。

 毎日こうだったらいいのに。

 毎日二人で笑い合って旅を続けたい。

 そんな思いが胸を占めた。

 屋敷の事も彼女が捜索されているという事実もすっかり忘れていた。

 なんとなく、こんな優しい日々が続くのだと思っていた。




 *****




 数日、人里を探して歩き続ける日々が続いた。


 その中で一番厄介だったのはやはり空腹だ。

 森には食べられるものがあるにはあったが、それを見つけ出すのに骨が折れた。

 食料を見つけてくるのは主にロジンカだったが、彼女は何故か酷い味音痴だった。

 カンタレラに選ばれる前はそんなことなかったはずなのだが、食べられそうなものを見つけてきては「味がしない」と言いながら飲み下す。

 リンゴンベリーらしき木の実を見つけてきた時でさえ、彼女の舌は反応しなかった。


「なんか病気とかだったりする?」

「そうかもしれません…」


 カメリアと同じくらい食べているはずのロジンカは、どうしてか日に日にやつれていった。

 リンゴンベリーはたくさん生っていたので、もっと食べるように促すが、どれだけ食べさせても疲弊しきった様子に変化はなかった。


(人里についたら、まず病院だな)


 宿は当然として、しっかりした食事も食べさせてあげたい。

 肉でも食べたら元気になるんじゃないかとカメリアは考えていた。


「痛ってぇ!」


 茂みを歩いていると、鋭い葉に当たったカメリアの指が切れた。


「大丈夫ですか……!」


 手を抑えるカメリアに、ロジンカがよろけながら駆け寄る。

 痛みはなかったのだが、結構深く切れてしまったようで、血が滴っていた。


「いや、大丈夫だと思うんだけど……」

「……」


 ロジンカは切れた指を看ると、そこを自らの口に咥えて血を啜り始めた。

 蝶が花の蜜を吸うような自然さに、当たり前のようにそれを見ていたカメリアだが、甘露を舐めるように傷口を吸う少女を暫く眺めていて、彼女が喉を鳴らして飲んでいるのが自分の血だという当然の事に気が付いた。


「ロジンカ!病気になるかもしれないぞ?」

「……あ、すみません」


 手を引っ込めると少女は一瞬残念そうな顔をしたが、すぐにハッとすると申し訳なさそうに謝った。

 別に痛みを感じたわけではないので謝らなくてもいいのだが。

 その一件は妙に記憶に残る出来事だった



 *****



「ロジンカ!みろ、町があったぞ!」

「……は、い……」



 とうとう歩くのだけでやっとになったロジンカは、小さな声で返事をした。

 見かねたカメリアは彼女を背負うとまだ少し遠い町までの道のりを歩き始める。


 背負っていて気になったのが、ロジンカの体重があまりにも軽すぎることだった。

 木の実とはいえ一応食べてはいたのに、まるで何日も絶食していたかのような重みのなさに、カメリアは不安を煽られる。


 取り急ぎ宿を探すと、宿は町の入り口付近にあった。


「いらっしゃい!……おや?子供かね?」

「ああ、親に頼まれて遠くから買い物に来たんだけど、妹が持病で倒れちまって、何日か安静にさせたいんだ。人にはうつらない病だから、泊めてくれないか?」

「そういうことならいいとも。部屋は一つしか開いてないけど、あんたら兄妹なら構わないよね?」

「え」


 宿屋の店主の大男は気さくに笑うが、カメリアの額に汗が伝った。


(確かに兄妹だとは言ったけど、一緒の部屋に寝かせるか普通……)


 しかも本当は兄弟などでなく出会ったばかりの他人である。

 それにお嬢様然としているロジンカが、自分の部屋に男が入ることを許すだろうか。


 固まって口を閉ざした少年の肩をロジンカが叩いた。


「大丈夫ですよ」


 小さく告げられたその言葉にカメリアは安堵した。

 案外柔軟な対応をしてくれるロジンカに感謝し、笑顔を作る。


「構わないよ!あ、でも何日泊まるかわかんないから、お代は後払いでいい?」

「う~ん……。まあ、あんたらみたいなちっこいのでも、俺は逃がしゃしねえからな。いいさ!好きなだけ泊まってって、たんまりお代を置いてきな!」

「ははは……」


 現状一文無しのカメリアは冷や汗を掻きながら、案内された部屋にそそくさと入る。


 思ったより広い木造の部屋だった。小さめの机に椅子、ドレッサーも揃っている。

 狭い浴室まであったのだからもう文句なしだ。

 やはりというか当たり前なのだが、ベットは小さなものが一つしかなかったので、健康な少年は床に寝ることが決定した。

 カメリアはロジンカを狭いベットに横たえて様子を見る。


「大丈夫か?」

「はい……」


 少女は小さな声で答えたが、冷たい体や紫色の唇、震えが止まらないところを見ると、とても大丈夫そうではなかった。


(とにかく飯を食わせないと……)


 しかし、まだ二人は無一文だ。すぐに用意してやりたかったが、カメリアが一仕事終えるころには朝になってしまう。

 それまで彼女は持つのだろうか。

 カメリアが迷っていると、部屋のドアがノックされた。


「おーい、昼食の時間だよ。開けてくれ」

「え?食事もらえるんですか?」

「ああ、飯は宿代と一緒に払ってもらうから今はいいよ!」


 思いがけない幸運が巡ってきた。

 カメリアが扉を開けると、店主が中に入って机に二人分にしては多いくらいの食事を並べていく。

 店主が去ると、カメリアは慌てながら、横たわるロジンカにベーコン入りのミネストローネを持って行った。


「これどうだ?美味そうに見えるけど」


 少女の体を支えながら匙でスープをすくって口元に運んでやれば、彼女はなんとか飲み下せたようだ。

 相変わらず味はしなかったらしく、あまり美味しそうではなかったが。

 三割くらいを胃に納めてから、ロジンカはそれ以上スープを受け付けなくなった。


「もう大丈夫です」

「え、でもまだいっぱい残ってるぞ?他の奴なら味するかもしれないし……」

「食べられそうにないので、カメリアさんが食べてくれると嬉しいです」


 そういうと疲れ切っているのか、青い顔のまま眠り始めた。


 カメリアの不安は解消されなかったが、現状やれることはやったのだ。

 次に打つべき手は、明日ロジンカを医者に診てもらうための資金繰りである。


 金を稼ぐために必要なのは己の体のみ。

 まず彼は風呂に入って身を清めた。

 埃と泥を払い、二日間歩きとおした汗を流してから、ドレッサーで自分の姿を見る。


 やることは変わらない。

 でも目的は変わったんだ。


「それだけで、十分だよ」


 少年はそう呟くと、日の暮れ始めた町へ出て、雑踏の中に消えていった。



 *****


 夜、目覚めたロジンカは強烈な吐き気に見舞われ、先ほどカメリアに食べさせてもらったものを全て床に吐き出していた。


 荒い呼吸を繰り返しながら、床を掃除するためにベットから降りようとしたが、ずっと前から痺れたままの手足がいう事を聞かない。

 食べたものを戻してしまうのも今に始まったことではなく、神の蛹から出て以来、ロジンカは何も消化できていなかった。

 このままでは死んでしまうと自分でもわかっている。

 どうにかしなければいけない、その気持ちだけが逸るが、どうすればいいのかは依然謎のままだった。


(あの時は……)


 ロジンカはカメリアの傷口を口に咥えたときの事を思い出した。


(あの時は、なんでか美味しい気がしたのに)


 呼吸をするだけでも体力が奪われているのを感じていたロジンカは、不意に、ベットに近い窓の桟に、小鳥が止まったことに気が付いた。


 瞑らな瞳で此方を見る小鳥と目が合うと、ロジンカの心臓が高く鳴る。


 ――どくん


 目の前が真っ赤に染まっていく。

 小鳥の方へ、無意識の内に手が伸びた。



 *****



 朝になって、カメリアは服の埃を払いながら宿屋に帰ってきた。


「戻りました~」

「おっ、兄ちゃん朝帰りとはやるねぇ!」


 茶化してくる店主に「まぁね!」と言ってやれば、階段を登るカメリアに向かって彼はひゅうっと口笛を吹いた。

 こちらはただ不快な一仕事を終えてきただけだというのに、能天気なものだ。

 少年はため息をついて、部屋の扉を開けた。


 少年の目に飛び込んできた光景は、どこかいびつだった。


 朝日に照らされ、銀の髪を神々しく光らせた少女が、血にまみれて死んでいる小鳥を抱いている。

 涙を流す少女の口許も、乾いた血で汚れていた。


「……は?」


 壮絶な部屋に、状況を理解できない少年の、間抜けな声だけが響いた。


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